「もはやアルバイトは簡単な仕事ではない」と実感した年①

今年は2024年。

2021年頃から、かれこれ3年くらい、西暦を記入する際に、十の位の21に書き間違えてしまうことが度々あり、例によって今年も2014年としてしまうことが何度かあった。

2014年を2004年と間違えることなどなかった。

同じ月日でも、歳を取ってからの方が時の流れが早く、10年前など昨日のことのように感じてしまうからだろうか…

2014年は10年前だというのに、私にとっては、つい昨日のことのように感じる。

もっとも、それは私が歳を取ったからだけではなく、その年が今でも忘れられない一年となったからでもあるが…

・これから起こることなど知らずに…

10年前の2014年、私は絶望の中でもがいていた。

正社員として勤務し、年功序列・終身雇用というレールの中でしか生きること許さないこの国に嫌気が差した私は、海外への逃亡を企て、前年の2013年はそのための資金稼ぎに一年を費やしていた。

ところが、その職場は新卒採用こそしているものの、基本は年中通して、欠員補充の採用をしており、正社員であっても早期離職が横行している会社だった。

これだと単に「ブラック企業」という言葉で括られてしまうが、正社員の人もあまりやる気はなく、パートやアルバイトに仕事を丸投げして、しっかりと週休2日を死守するような人たちだった。

一言でいえば、「日本の会社らしくない会社」で、人によっては「なんて非常識な会社だ!!」と言いたくなるかもしれないが、「日本の会社で働きたくない」と思っていた私にとっては、「この国でもこんなに自由に働いていいんだ」という希望を与えられた。

就業開始時のメンバーが次から次へと去っていく中、いろいろと厄介ごとを押し付けられたものの、仲間にも恵まれて、当初予定していた期間を全う出来た。

その職場で多くのことを学べただけでなく、思ったほど英語が上達しなかったことや、留学の下見が上手く行かなかったこともあり、私は日本に留まることにした。

だが、20代前半から中頃に差し掛かる年齢だったので、いつまでも親元に留まることに引け目を感じた私は、都会に住んでいる親戚の引っ越しに合わせて、同居する形ではあるが、実家を出ることにした。

これが20144月の出来事。

ちなみに、初めて本格的な都会生活を送るということで、「地元では出来ないことをやろう」と思って、毎週月曜日は午後7時から中国語教室に通うことにした。

こうして、2014年は明るい未来を期待していた。

これから先に待ち受けている現実など知る由もなく。

・就活失敗2014

新しい住居へ移り、荷物の整理も一段落した私が最初にやるべきことは仕事探しである。

最初に見つけた求人は、自宅から徒歩10分の場所にある食品工場で派遣社員としてのパッキングの仕事である。

これは近くのスーパーに置いてある求人誌で見つけた。

電話で申し込みをした数日後に派遣会社でスタッフ登録をしたのだが、その時はすでに派遣先が募集を締め切っており、特に他の仕事を紹介されることもなかった。

この時は「ただタイミングが悪かったな」くらいにしか思わなかったが、この何気ない不採用は、これから半年続く悪夢への序章だった。

次に応募した求人は、同じく派遣で、倉庫でのピッキングの仕事だった。

自宅から徒歩15分の場所にある駅のすぐ近くが就業場所…だと求人票には書いてあった。

だが、そこは面接地で、実際の就業場所はバスや電車も通っていない反対方向の場所だった。

自転車だと30分くらいだそうだが、私は自転車を所有していなかったため、その仕事は辞退することにした。

ところが、担当者の女はヘラヘラ笑いながら

「本当に自宅から徒歩で通える場所の仕事しか探していないんですね。ハハハ(笑)」

「他の仕事をご紹介するためには、もう少し範囲を広げて下さい。(笑)」

ふざけんなよ。ババア!!

こっちは、てめらに就業場所を騙されたから、わざわざ登録に来たのに、自分のことを棚に上げて、よくもそんな人を小バカにした態度が取れるな!?

こんな会社二度と世話になるか!!

私はそれまで派遣という働き方をしたことがなかったが、やはりろくでもない派遣会社が派遣社員を食い物にしているというのは本当のようだ。

そう思った私は、今度は曲がりなりにも直接雇用であるパソコンの買取と中古販売の仕事に応募することにした。

この仕事も求人誌で応募したが、少し気になることがあった。

それは、雇用形態がアルバイトにもかかわらず、「学生不可」と書いてあることである。

学生不可ということは、学業の都合で急に休んだり、「この日はテストだから休みにしてください」というシフトの融通が利かないのだろうか?

そんなことが気になった私は、電話で応募連絡をした際にそのことを訊ねたら、案の定「ウチはバイトでもギリギリの人員で回しているから、会社が定めたシフトは絶対に守って欲しい」と言われた。

当時の私は英語を勉強していたため、数ヶ月に1回は試験を受けるために休ませてほしいと告げたら、「それじゃあ、ウチで働くのは無理ですね~」とその場で断られた。

いや、これアルバイトの求人でしょう!?

だったら、正社員を雇え!!

当時は「ブラックバイト」という言葉もなかったので、こんなド・ブラックな会社が存在することに腰を抜かしそうになった。

それでも、「こんな会社には採用されなくて良かった」と前向きな気持ちで次の仕事を探すことにする。

・まだまだ続くおかしな会社

次はスポーツ用品店の販売の仕事に応募した。

スポーツ用品を扱った経験はないが、求人票には「未経験歓迎」と書いてあるし、販売の仕事に就いていたこともあったので、応募することにした。

電話で連絡をしたら、店長から「明日、履歴書を持って来てほしい」と言われた。

早速の面接ということで、すぐに履歴書を書いて、お店へ向かったのだが、どうも様子がおかしい。

その日は店長が不在であり、引継ぎ事項にも、私の面接については何も知らされておらず、こんなことを言われた。

「本日は面接の予定は入っていませんが、本当に当店でお間違いないでしょうか?」

それを聞いた私は驚きながらも、携帯の通話履歴を見せたら、たしかにその店の番号だった。

すると、店員の一人がこんなことを言った。

店員:「もしかしたら、担当者が誤った伝え方をしたのかもしれませんが、『面接ではなく、書類選考のために履歴書を持参して下さい』とご連絡したのではないでしょうか?」

え!? アルバイトなのに書類選考があるの!?

たしかに、「履歴書を持って来て欲しい」と言われたが、それは「=面接をする」の意味ではなかったのか?

驚きながらも、その日は面接を受けられないため、履歴書だけを渡して帰ることになり、後日不採用の通知が届いた。

次に応募したのは自動車工場で、パーツの加工や検査の仕事である。

この求人が魅力的だったのは、就業場所が自宅から徒歩3分という立地である。

しかし、自宅の近くに車の工場らしき場所は全く見当たらないことが気になった。

求人情報に「就業場所」として記載されていた場所で面接を行っていたのだが、そこは普通の一戸建て住宅で、とても車の工場には見えなかった。

「絶対にここではない」と思いながら、恐る恐る呼び鈴を鳴らして、アルバイトの面接に来たことを告げると、作業服を着た男性が迎えてくれた。

中に入っても、やっぱり普通の自宅であり、リビングで面接を受けることになった。

そこで言われたのは、就業場所は車で片道1時間半の場所にあり、毎朝ここに集合して、車で向かうということ。

なんじゃそりゃ!?

仕事の日はここに来ることになるので、さっきのインチキ派遣会社よりかはよっぽどマシだけど…

就業が8-17時だから、毎朝6時半には集合することになり、帰りは18時半になる。

帰りはともかく、朝は大変だ。

なお、移動時間も拘束時間に含まれるため、賃金は発生するとのこと。

こんな条件のため、事前に断るチャンスを与えてくれたり、移動時間も給料が貰えることを考えるとそこまで悪い会社だと思わないが、その就労条件に耐える自信がなかったので、断ることにした。

私は普通に仕事をしたいだけなのに、なんでこんなにもあり得ないことが横行しているのだろう…

このように、引っ越しから1ヶ月間はアルバイトの仕事すら満足に見つけられなかったのだが、高時給に釣られて、自宅から徒歩10分の場所にある工場の短期の派遣の仕事に応募することになった。

そこでも、面談後はあらかじめ告げられていた期間に返事がなかったので、呆れていたが、他に目ぼしい候補者もいなかったのか、無事に採用されることになった。

就業期間は3ヶ月の予定で、全くの未経験となる仕事だが、時給は当時の私にとっては破格の1,030円である。

こうして、短期ではあるが職に就けたため、就職活動も束の間の休憩となるはずだったが…

次回へ続く

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