シリーズものではなかったものの、前回までは3度に渡ってゴールデンウィーク絡みのネタをお送りしてきた。
その影響で、すっかり旬は逃してしまったが、今日は時次ネタをお送りしたい。
・初めて聞く気がしない人権侵害発言
今から1ヶ月ほど前にこんなニュースがあった。
【速報】吉野家 「生娘をシャブ漬けに戦略」役員を解任 きょう午前発表「到底容認できない」 (fnn.jp)
吉野家「生娘シャブ漬け戦略」で露呈した“マーケティング業界”のお寒い事情 | 文春オンライン (bunshun.jp)
概要をまとめると
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早稲田大学が主催した社会人向けの講義で、吉野家の常務取締役企画本部長が若い女性をターゲットにしたマーケティング戦略を語る際に、「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢、生娘のうちに牛丼中毒にする」、「男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、絶対に(牛丼を)食べない」と発言。
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一連の発言が「生娘シャブ漬け戦略」として問題になる。
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吉野家は翌日、臨時の取締役会を開き、「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することの出来ない職務上著しく不適切な言動」とみなし、当日付で取締役から解任。
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ちなみに、解任された元常務は男性客についても「家に居場所の無い人が何度も来店する」と言っていたらしい。
私も一連の発言は問題だと思うし、すぐに取締役会を開いて、解任を決定した吉野家の対応も適切だったと思う。
「生娘」や「牛丼中毒にする」といった発言は人権侵害甚だしいし、「高級料理の味を覚えたら牛丼なって絶対に食べない」という発言は吉野家で牛丼作っている人に対しても失礼である。
ただ、この報道を聞いた時は正直こんなことを思った。
つまり、「言葉の選択は別にして、解任された元常務と同じようなことを考えている人は他にもいるのではないか」と。
しかも、私たちの身近に。
もちろん、「シャブ(覚せい剤)漬けにしよう」と考えている人はいない。
彼らが他人に入り浸せようとしているものは「借金」である。
今日はそんな人たちを紹介したい。
なお、「牛丼シャブ漬け戦略と同等の発言をしている人は他にもいる」と言っているからといって、それは決して、解任された元常務を擁護する理屈にはならないことをあらかじめ申し上げておく。
・どっちが女衒だか分からん
2019年の11月に、私はこんな記事を書いた。
若い時の私は、会社から生活の大部分を拘束され、週5日、1日8時間というフルタイムの労働時間でさえも、「ぬるい!」とみなされる「正社員」という働き方に抵抗があり、常々「サラリーマンになりたくない!!」と思っていた。
一方で、自分の出来の悪さを自覚していたが故に、「これ以上、親に迷惑をかけたくない」という想いがあり、やりたいことがあるわけでもないのに高額な学費のかかる大学や専門学校へ進学することは絶対にできなかった。
そんな理由から高校卒業後は、就職も進学もせずに、フリーターとして生きることにしたのだが、高校卒業前の時は多くの人から反対された。
しかも、理由は不明だが、当時は「ちゃんと就職しろ!!」とはほとんど言われずに、進学だけを煽られた。
もちろん、学費は安くないが、それを理由に進学を拒むと「奨学金(と呼ばれる借金)」を使って、進学することをしつこく勧められた。
その時の私は背筋が凍るような恐怖を感じた。
彼らのおぞましい執念を断固として拒絶した私は、たとえ「クズ」、「底辺」、「穀潰し」、「社会不適合者」と罵られようと、進学をしなかった。
その時の不安は、上京して、シェアハウスで暮らしていた時に間違っていなかったことを確信した。
当時20代後半だった同居人の男性は、専門学校を卒業した後、その業界に進み、新卒として入社した会社で働いていた。
彼はその職場で5年以上働いていたが、給料は17万程度で、その賃金ではシェアハウス住まいといえど、東京の中心地で一人暮らしをすることは難しいようだった。
その上、専門学校には奨学金を借りて通っていたため、その返済のために週1日アルバイトをしなければならなかった。
一方、当時の私は派遣社員として販売の仕事をしており、時給制であるが、月給はおよそ20万程度、もちろん、その仕事に就くために大学や専門学校に通っていたわけではないから、奨学金の返済も不要である。
要するに、職業的な能力を身に着けるために教育を受けた人の方が、貧困に苦しむという逆転現象が起きていた。
目の前で貧困に苦しんでいる彼の姿は、とても他人のものとは思えなかったし、「本人が選んだ結果の自己責任」だと突き放す気にもなれなかった。
だって、高校生の時の選択肢によっては、私も同じ道を歩むことになっていただろうから。
もしも、私が教育系の人(=「学校教師」の意味ではない)の甘言に唆されて進学した結果、奨学金の返済に苦しむ人生を歩むことになったら、彼らのことを一生怨み続けたに違いない。
「一人でも多くの子どもを進学させなければ!!」という独りよがりな使命感から、若い人の無知に付け込み、借金漬けでボロボロの体にする教育系の信者の行動は、れっきとした「生娘シャブ漬け戦略」である。
「女子大生風俗嬢 中村淳彦(著)朝日新書」という本がある。
これは奨学金を借りて進学した結果、生活苦に陥って、性産業で働くことになった若い女性を取材している本である。
本のあとがきで、著者は学生に「奨学金」と呼ばれる借金を背負わせてまで、進学率を上げることを目指している国の政策や、「夢」を煽り無責任に進学を勧める教育現場を批判し、「奨学金を返済できるような仕事に就く自信がない学生は、勇気を出して通学制の大学に通わないという選択を」と提言している。
これは私の偏見なのだが、若い女性を商品としか考えていなさそうな性産業に密着している人から、若い人の将来を心配する発言が出てきて、逆にそのような業界で働く人を軽蔑していそうな教育系の人たちが、若い人を借金漬けにして、結果として性産業へ送り込むとは何だか不思議な話である。
これでは
どっちが女衒だか分からん。
(※「女衒」:「ぜげん」と読む。女性を性産業に斡旋すること業者のこと)
・「責任感」という名の覚せい剤
教育系の人たちが、無知の学生を借金漬けにしてでも、進学させるようとする情熱には身震いするが、自分の宗教のために他人を借金漬けにしようと企んでいる人間は他にもいる。
むしろ、「生娘シャブ漬け」という発言を聞いたら、こちらの人たちの方が最初に思い浮かんだ。
前段の話の続きになるが、高校を卒業した後も「正社員として働きたくない」と思い続けていた私はフリーターとして働き続けていた。
20代前半の時は「留学したいから、そのための資金稼ぎ」という口実もあったため、周りからもフリーターとして働くことを容認されていたが、年齢を重ねることで相手から期待される役割が変化したからなのか、気楽なフリーターとして生きることさえ難しくなった。
私がフリーターとして働くことを快く思っていない人間は、口を揃えてこのように言った。
「自分の家や車を買いたいとは思わないの?」
「そろそろいい歳だし、結婚して、自分の家族を持ちたいとは思わないの?」
正社員として過労死ラインを超えるほど働き、結婚して、家を買うことが唯一絶対の正しい生き方と考えている、このブログでもおなじみの「自称:社会人」の典型である。
当時の私は彼らのそのような発言を聞く度にこのようなことを思っていた。
だが、今では、「話があべこべだったのではないか?」と思うようになった。
要するに、「家や車のローンを背負わせたり、家族の扶養義務を負わせたら、責任感が生まれる。そうしたら、フリーターなんてやっている余裕がなくなり、正社員として就職するに違いない!!」という魂胆なのではないかと。
彼らにとって「責任感」とは、つらい仕事から逃げるという思考を奪い、身を粉にして労働へ駆り立てるための「覚せい剤」なのである。
「借金や責任感にドップリと沈めることによって、馬車馬のように働かせよう」
そんな下劣な精神と非人道的な手法は、吉野家元常務の「生娘シャブ漬け戦略」と1㎜の違いもない。
そして、彼らは、吉野家の元常務みたく、このシャブ漬け戦略を笑顔で語っていることが多い。
薄気味悪くて、鳥肌が立ちそうである。
以前、結婚の話をした時にこんなことを書いた。
世の中には劣悪な労働条件に苦しんでいるが、家族の扶養義務があるためにつらい仕事を辞めることができない人がたくさんいる。
しかし、このように苦しみながらも仕事を続ける(辞められない)人たちを見て、なぜか、「家族のためにどんな苦しいことにも耐えて一生懸命働いて偉い!!」などと感動するバカがいる。
そのような発言をする人間は、他人が苦しんでいる姿を見て感動するとは正真正銘のサイコパスである。
目指すところは同じ借金漬けであっても、教育系の人は「誰かを苦しめよう」とか「追い詰めよう」と考えているわけではない。
彼らはただの能天気であり、いい言い方をすれば無垢である。
一方で、こちらは意図してやっている分、悪質である。
私が「フツー」と呼ばれる特定の生き方しか認めない「自称:社会人」を憎むきっかけとなったのは、自分は規制緩和や増加する非正規労働者が担う安い労働力や消費者としての快楽に浸りながら、その舌の根も乾かぬうちに、「正社員じゃないやつは人間じゃない!!」と「保守」を気取るご都合主義からだった。
だが、この記事で取り上げた「正社員だから詐欺」や、借金を背負わせ、恐怖で人を追い詰める「シャブ漬け戦略」を見ると、彼らの凶暴性は「我がまま」、「自己中」、「社会人としての意識の欠如」という言葉だけで収まるレベルではない。
彼らは正真正銘の危険人物である。