・10年前も経験した偶然の一致
先日、ネットで少し高めの買い物をした。
購入時は少し奮発したくらいの気持ちだったものの、注文後に自動配信された注文受付のメールを見たらあることに気付いた。
送料なども含めたトータルの値段がなんと…
今の私の一日分の給料とピッタリ同じだったのだ…(笑)
自分の一日の労働が、この商品を手にするために必要な値段だと考えると、「これを購入するために、満員電車に乗って会社へ行き、退屈で面倒な業務を一日頑張っているんだな…」としんみりした気分になった。
初めてアルバイトを経験した高校生が、その日手渡しで貰った給料を必死に握りしめて、欲しかったものを買うためにお店へ直行しているようなものだ。
私は初めてのバイトの給料が銀行振り込みだったから、実体験はないけれど…
ちなみに、11年程前の2013年にも、複数の商品を購入したら、合計金額がたまたま一日分の給料と同じだったことがある。
その頃は、留学を目指して貯金に励んでいたこともあり、一段とお金の計算に敏感だった。
なお、その時の金額は・・・
5,625円である。
(内訳は時給750円×7.5時間)
職種や時代、地域の違いも考慮する必要があるが、今のおよそ1/3である。
改めて振り返ると、「よくこの程度の金額でフルタイムで働こうと思えたな…」と呆れるくらいの低さである。
当時はまだ親が働いており、親元に同居していたから何とか生活出来たが、とてもではないが、この金額では最低限の生活を送ることなど出来るはずがない。
大変な仕事の方が給料は高いというが、工場で肉体労働をしていた当時よりも、事務職の今の方が断然楽である。
この記事に書いた通り…
そりゃあ、皆さん揃いも揃って事務職を希望するわな…
・嫌な仕事から逃げ続けた30代フリーターの現実
かつての記事にも書いたが、私は水泳の授業や、地域の子ども会が大嫌いで事あるごとに逃げ回っていたり、高校生活に嫌気がさして退学を希望したことがある。
その際は親や教師から常にこんなことを言われた。
「大人になって社会に出たら、学校とは比べ物にならないくらい辛いことがたくさんあるぞ!!」
「『嫌なことがあったから』と言ってすぐに逃げたら、逃げ癖が付いて将来はもっと苦労するぞ!!」
それについては、水泳の記事で述べた「高校卒業と英検2級の話」で、完全に論駁したつもりだが、そもそも私は子どもの頃から常々こんなことを思っていた。
「子どもは強制的に学校に通わされて、嫌になっても転校できないが、大人は自由に転職ができて、嫌な仕事はいつでも辞めればいいから、大人の方がよっぽど楽じゃないのか?」
そんな素朴な疑問を持ってから20年以上が過ぎて、私は30代半ばになった。
いよいよその時の答え合わせが出来そうな気がする。
今改めてそのことを振り返ってみると、当時の自分は…
やっぱり間違ってはいなかった。
実際に私は嫌な仕事は辞めまくってきた。
バックレや、日雇いを除外したとしても、職歴は両手の指の本数を大きく超えている。
満員電車がしんどいから、上司がムカつくから、保身のことしか考えず過剰なまでに確認作業ばかり求められるから、といった感情的な退職理由が大半である。
その結果、30代半ばにして未だに非正規の仕事をしながら、今の仕事に行き着いたのだが、おかげさまで…
給与面に関しては自己最高額に達した。
たぶん、地元でフリーターをやっていた時の正社員と比べても、月給は10万円以上高い。
恒久的な残業や休日出勤などもなく、同僚にも恵まれている。
昨今は毎年のように、「数年前に比べて、物価や税金、社会保険料がこんなに高くなっているのに、給料は全然上がらないから生活がどんどん苦しくなっている!!」という話をよく耳にする。
しかし、私自身について言えば、前段の通り、収入が10年前の3倍の額に達しているので、生活苦という感じは全くない。
「仕事を辞めるのはけしから!!」という説教に加えて、「フリーターなんてやっていられるのは25(歳)までで、30過ぎたらどこも雇ってくれずに親の脛かじって惨めに生きていくだけだぞ!!」とすべてお見通しと言わんばかりの口ぶりだったセンコー共よ、耳の穴を掻っ穿ってよく聞きたまえ。
これが現実だぞ!!
残念ながら、あなたの予想(期待)は見事に外れましたー(笑)
・侮辱すらせずにシカトする
このように、嫌な仕事をすぐに辞めても、死ぬわけではないし、転落人生まっしぐらで生活保護水準を下回るような賃金しか得られないというわけでもない。
にもかかわらず、悪魔に呪文をかけられたかのように「今の仕事は絶対に辞められない…」と思っている人がいることも事実である。
彼らが言う「辞められない」とは、退職したら法外な違約金を請求されるとか、組織の殺し屋がどこまでも追いかけて来て命を狙われるという話ではなく、「次の就職先が簡単に見つからない」という意味なのだろう。
しかし、よくよく考えると不思議な話である。
私の地元のように、ハローワークに新規の求人が週に2,3件しか入ってこないようなド田舎ならともかく、少し栄えている都市で暮らしていれば、仕事などいくらでもある。
にもかかわらず、なぜ「次の仕事がない」と考えるのか?
それは彼らが「会社=大企業」と考えて、中小企業など端から相手にしていないからである。
これについては、前段の教員連中も同じだろう。
余談だが、私が高校一年生の時の担任教師は、「正社員として就職できるチャンスは毎年4月1日の年一度としかない」と本気で思っていた。(大企業でもそんな会社は聞いたことないぞ)
彼らは中小企業の正社員に対して、非正規労働者のように「こんな生き方は絶対にしてはいけない」と侮蔑の言葉を吐くことはない。
だが、一方で頑なにその存在については認識しようとしない。
なぜなら、中小企業の多くは正社員であっても、年功序列や終身雇用など存在せず、ボーナスや退職金すらない会社も珍しくないからである。
ややこしい言い方だが、「正社員だけど『正社員』ではない」のだ。
そうした「正社員」らしくない正社員の存在は断固として否認しないといけないので、彼らは中小企業の正社員の存在をぼんやりと認識しているけど、気付かないフリをしないといけない。
「正社員=人生の安泰」という信仰心を守るための宗教的行動と言えばそこまでだが、「シカト」というのはこういうことを言うのだ。
子どもに対して「いじめなど絶対に許さん!!」と随分とご立派な説教をしている大人が平然とこんなことをやっているのは、実に恐ろしい。
「大企業の正社員こそすべてで、非正規や中小企業は人間にあらず」
そんな偏屈な考えによって自縄自縛しているのはお笑いである。
・自覚なき政治への依存
前々段で少し触れたが、「生活費が高騰しているのに、給料は全然上がらない!!」と憤慨している声をよく耳にするが、少なくとも私は転職を繰り返すことで、収入を10年前と比較して3倍近くに上がった。
もちろん、会社の将来性に不安を感じて退職したわけではないが、結果としてかつての就業先の内、少なくとも4社は倒産か事業所閉鎖となったわけだから、泥船からはいち早く脱出していたことになる(笑)
周囲の手前勝手な洗脳を真に受けて「絶対に自分から仕事を辞めたらいけない!!」と当時の勤め先に執着しなくて、心から良かったと思っている。
というよりも、会社の人に人生を救ってもらった程の恩があったり、「仕事や職場環境が好きだから、どうしても辞めたくない」というような強い動機がある場合は別として、給料に不満なのにダラダラと続ける理由が分からんのだが…
しかも、転職に限らず
「個別で給与アップの交渉をするのは嫌だ!!」
「組合や政治活動でベースアップを勝ち取るのは嫌だ!!」
とリスクを背負って戦うことを散々拒否して逃げ回り、景気回復という魔法によって、自分にお零れが流れて来ることを期待するだけの人間に、賃金が上がらないことを嘆く資格があるのだろうか?
それだけならまだ可愛げがあるが、上記のような手段で給与アップを勝ち取る人を嫉んで「自分はこんなに苦労しているのに許せない!!」という見当違いの怒りをぶちまけて、人の足を引っ張るバカも少なからずいるのだから質が悪い。
それは忍耐や我慢強いのではなく、「負け犬根性が染みついている」と言うのです。
元同僚のタケダ(仮名)みたく、「自分は政治家なんかに期待しないし頼らない」と豪語しつつ、お上の施しに甘え切っているのだから呆れてものも言えない。
もちろん、自身がそのような生き方を選択するのは自由である。
だけど、その結果、いつまで経っても給与が上がらずに、仕事の責任だけが増えることを政治や社会のせいにするような幼稚な言動だけはお控えください。
それこそ、あなたが自身の労働環境に不満を漏らす非正規労働者に喜び勇んで振りかざしている「自己責任」なのですから。