職場で嫌味や悪口を言わずにはいられないモラハラ人間の正体

今月最初に投稿した記事のテーマは「子持ち様」だった。

その記事で、私が初めて幼い子どもを育てる母親(仮名:事務員さん)と共に働いた職場の話をしたのだが、記事の作成中にある人物のことを思い出した。

彼女は子どもの体調不良を理由として、毎月のように長期的な欠勤をしていた。

私が知る限り、本心はともかく、少なくとも表面的には、頻繁に仕事を休む彼女に対して、「子持ち様がー!!」と文句や不満をいう者はいなかった。

たった一人を除いては…

その唯一の例外は、40代前半のパート女性だった。

彼女は事務員さんが休む度に

「子どもの病気なんて3日もあれば治る!!」

「正社員なら、子どもを親に預けてでも働け!!」

と厳しい言葉で罵っていた。(まあ、所詮陰口だが…)

このブログでは、人物にスポットライトを当てる場合に仮名をつけることが多いが、同じ職場で働いていたB(仮名)と同様に、今回は彼女に悪役を担ってもらうので、仮名による風評被害が生まれないよう、「僻み(ひがみ)ババア」と名付ける。

・自分はこんなに頑張っているのに!!

僻みババアは私が就労を開始した2ヶ月くらい後に働き始めた。

彼女が働き始めた時は、まだ職場が操業を開始して半年程度だったため、そこまで忙しくなく、最初期のメンバーである高齢者のパートと共に平穏に働いていた。

今振り返ると、そんな時期ですら、彼女の本性が垣間見える出来事があった。

指導的な立場にある正社員のBも、キモト(仮名)も、半年前に転職するまで全く別の分野で働いていたため、業務内容の詳細を把握しておらず、私たちがヘマをしても厳しく咎めることはなかった。

悪く言えば「甘く」、良く言えば「優しい」。

キモトはともかく、Bも意外と優しい一面もあったのだ。

パートのボス格であるホリカワ(仮名)は、彼らのそんな姿勢が気に食わず、もっと厳しく接するように求めた。

そんなことになったら、自分の首も絞めることにつながるのに、バカかこのババアは?

よっぽど、自分は仕事が出来ると思っているのだろう。

ところが、なぜか僻みババアもホリカワに同調していた。

彼女は結婚前まで正社員として工場に勤務していたが、その職場は個人の生産数によって、ボーナスの額が決まったり、ノルマが未達であれば定時を過ぎても帰れない(当然、残業代など出ない)スパルタ式の会社で、365日稼働しているため、急なシフト変更なども頻繁にあったという。

そんな職場で働いていたため、Bやキモトのようなやり方を「手ぬるい」と批判していたホリカワに同意していたのだろう。

この会社は、正社員・パート問わず、人の入れ替わりが激しかったこともあり、半年も経つ頃には、パートを勤続年数順に並べたら、私が2番目になった。

当然、彼女も順序が繰り上がり、あっという間に先輩格となり、パートの多くは後輩となった。

彼女たちは子どもが幼いため、土日祝日が完全休みであることを希望し、実際にそのようなシフトが組まれていた。

僻みババアは自分も就学前の子どもがいるにもかかわらず、週末もシフトに入っているためか、彼女たちが毎週末固定で休むことを苦々しく思い、正社員のBに対して、「彼女たちを土日も出勤させるべきだ!!」と執拗に求めていた。

彼女たちが休むことで人手が足りず、職場が回らなくなり、その結果、僻みババアも疲労困憊となってしまうのであれば、私も彼女に同情していた。

ところが、実際に毎週末出勤していた私から見ると、土曜日はともかく、日曜日は市場も取引先も休みなので、決して「人手が足りない」というわけではなく、平日より早く仕事を片付け、退勤時間までは事務所でのんびり過ごすことが多かった。

彼女が、「他の奴らも土日出勤させろ!!」と切望するのは、「自分は休みたくても、休まないほど苦労しているのに、毎週休んでいる甘ったれた奴らは許せない!!」という嫉みからである。

そんなに羨ましいなら、あんたも休め!!

と言いたい気分であり、なぜか、自分が楽をするよりも、他人に苦労をかける方を選ぶのである。

・人の幸せが憎い

冒頭の事務員さんに対する僻みババアの発言も同じ理由で発せられたのだろう。

彼女が同様に社員に牙を剥けたのは、事務員さんが休んだ時だけではない。

たとえば、後に職場にやって来たオカダ(仮名)が、風邪で休むことがあった。

事務員さんのように長期的なものではなく、1日だけだったのだが、たまたまその日は仕事が多く、バタバタしていたこともあり、僻みババアはオカダに対しても、得意げな顔でこんな陰口を叩いた。

「オカダさんも正社員なんだから、普通は風邪ぐらいで仕事を休まないでしょう?」

「ああいう人は、歳を取ってから、自分が間違っていたことに気付いて後悔するから」

オカダが固定給で働く正社員とはいえ、この会社には有給の病気休暇などなく、休んだ分は給与が控除されるので、彼女が不公平感を持つ理由はない。

あまりにも、頭が悪くて、「正社員だから風邪で休んでも給与は減らない」と勘違いしていない限りは。

にもかかわらず、彼女が風邪で休むオカダに対して怒りを隠せないのは、「自分はこんなに苦しい思いをしているのに、責任がある立場の正社員が風邪ごときで休むのは許せない!!」という嫉妬からである。

ここまで僻み根性を隠すことなく、毒を吐き続ける一貫した姿勢はある意味では尊敬できる。

悪役の設定にお困りの作家や脚本家の皆さんには、ぜひとも彼女のことをモデルとして紹介したいくらいである。

ここまでだと、「単に、仕事に厳しいだけでは?」と言いたくなる人もいるかもしれないが、彼女の性格の本質や、言動の原動力は僻みであると間違いなく断言できる。

年長者のパートが続々と退職して、彼女が先輩格になった頃、彼女と同じ町に住む、10歳ほど若い女性(仮名:カワノ)が働き出すことになった。

カワノはかなりお喋りな性格で、勤務初日から自身のこれまでの職場の話や家庭内の話を語って、同僚たちと打ち解けていた。

もちろん、「それが悪い」というわけではないのだが、厄介なのは、彼女の夫の勤め先が地元ではかなり有名な大企業であり、彼女の生活は「会社員の夫が世帯主として、家計の大半を担い、彼女がパート兼主婦として主に家庭を支え、子どもが2人おり、休日は家族揃って、遊びに出かける」という、かつての私のお笑いの師匠である日本型雇用信者が唯一神と崇め、よだれを垂らして切望する生活を送っていたこと。

一方で、僻みババアの夫は地元の零細企業に勤め(職業差別にならないよう、具体的な職種は公表しないが)、給料もハローワークの求人票などから察するに、手取りで20万あるかないか程度だったと思われる。

そんな貧しい生活を送っている彼女にとって、カワノが当然のように語る日常は、自身が到底得られないような羨ましい生活であり、日頃からカワノに対する敵対心を剥き出しにして、Bに対して彼女のネガティブキャンペーンを展開していた。

「毎日、この作業でミスが出ているけど、犯人は絶対にカワノだ!!」

「カワノがうるさくて仕事に集中できないから、あいつには一人で作業をさせてほしい!!」

「この前、カワノが理事長の悪口を言っていた!!」

40歳を過ぎた大の大人が、まるで小学生の告げ口や汚い政治工作のようなことを毎日やっていたのだから呆れる。

これにはさすがのBも頭を抱えて、「女性の人間関係は手に負えない」と嘆いていた(笑)

彼女が大して忙しくもないのに、土日固定休み撤廃を望んでいたのも、「カワノが休日に家族と楽しい生活を送ることを邪魔して、彼女の平和な生活をぶち壊したい」という野望があったからなのだろう。

・「僻み教育」が生んだ悲しきモンスター

ここまでは僻みババアという哀れな一個人の話をしてきた。

だが、彼女の話を聞いて、「まるで、自分の職場の話をされているような…」という既視感(デジャビュ)を持った人も少なくないと思う。

ここまで極端なのは珍しいかもしれないが、「自分はこんなに苦しい思いをしているのに、アイツは楽をしやがって許せない!!」というどす黒い衝動を隠し切れない者は、度々見かける。

職種や会社どころか、住んでいる地域すらも全く違うはずなのに、彼らの口から出てくる言葉は、まるで金太郎飴の断面や双子の兄弟のように似通っている。

僻みババアもそうだったのでだが、このような人間は自然と顔つきにも根性の悪さが表れている。

彼らの思考や言動にはお決まりのパターンがある。

  • 苦労することを美徳と捉え、個人的な幸福を追求する人、個人で輝こうとする人、高みに挑戦する人は徹底的に否定して、そのような素振りを見せた者には手痛い攻撃を加えずにはいられない。

  • 童話「アリとキリギリス」を聖書のように敬い、「自分は働き者のアリで、キリギリスのように働かない怠け者は、税金を払わない上に、後々生活保護を受けるから、自分たちだけが苦労した上に、怠け者を養うはめになる」という都合が良い未来を妄信する。

  • 何の根拠もなく、自分は底辺や負け組から嫉妬されている強者や勝ち組の側で、正しい存在だと思い込んでいる。

このようなキチガイが生まれる原因は間違いなく教育にある。

もちろん、ここで言う「教育」というのは、国語や算数のような正規のカリキュラムのことではなく、その教育を行うのも学校だけとは限らない。

学校にせよ、企業にせよ、この国では長年、年功序列や終身雇用に適応する人間を教育してきたが、その過程では、会社や上司に歯向かわないこと、辞めたり、状況を変えるために闘うことを徹底的に悪とみなし、服従を拒否する者には、いずれ貧困や村八分という神の罰が当たることをしつこく口説く。

彼らはその教えに悲しいほど忠実に従い、パワハラやセクハラ、長時間労働など耐え難い境遇に陥った時は、決して自分や環境を変えるのではなく、ひたすら我慢をして強者に屈服し、同じように卑屈にならない人間が失敗することを期待しているのだ。

そのような人間は他人の希望さえも妬ましく感じてしまう。

骨の髄まで負け犬根性が染みついているのだ。

もちろん、自分たちが悪いことや醜いことをしているとは微塵も思わずに、むしろ、社会秩序を守っているとさえ思っている。

こういった連中こそ、真の底辺と言える。

このように、(自分たちが勝手に崇拝している)レールから外れた人間の不幸を願う教育を「僻み教育」と呼ぼう。

今はだいぶ沈静化しつつあるが、一時期「ゆとり」という言葉が流行った。

ゆとり教育を受けた世代が社会人として働き始めた10年ほど前から、新入社員の非常識な行動を(自分たちが若い時も同じことをやっていたことを棚に上げて)彼らが受けた教育と結びつけて、悪ノリしながら「これだからゆとり世代は使えないんだ」などと盛んに言われていた。

だが、僻み教育を受け人々は、ゆとり教育を受けた世代などよりよっぽど危険で他人に害を及ぼしているのではないか?

映画ドラえもんに「のび太の結婚前夜」という作品がある。

タイトルの通り、野比のび太がヒロインの源静香と結婚する前夜の話なのだが、彼女は両親のことが心配になり、直前で結婚を取り止めたいと思うほど不安になった気持ちを父親に吐露する。

そんな彼女に対して、彼女の父親がのび太なら大丈夫と諭し、彼の人間性のことを「あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ」 と評した。

これは映画ドラえもん屈指の名言なのだが、僻み教育を受けた人々は彼とは正反対に「人の幸福を嫉み、人の不幸を願う」のである。

「正社員として働かないフリーターや、子育てを放棄した独身貴族は将来、誰からも助けられずに、一人寂しく孤独死しろ!!」

「正社員でも、残業や休日出勤をしない協調性がない奴はリストラされろ!!」

こんな腹の底まで腐り切ったモンスターを生んだのは紛れもなく僻み教育である。

私は精神科医のように彼らを治療したり、刑務官や保護司のように更生させる術は持っていない。

彼らは悪人だが、僻み教育の被害者であり、そのような浅ましい言動を目にしたら、奴隷の鎖自慢と同様に哀れみの目で見てあげるだけである。

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