これは先月、電車の中で耳にした会話である。
男性A:「そんなこと言うても、あの人は例の件を知らへんのですよ」
男性B:「ホンマですか? そんなことありえへんでしょう?」
状況としては会社員と思われるスーツを着たおじさんが二人で仕事の話をしているところだ。
内容自体は同僚との仕事の話をするというありふれたものだが、特徴的なのは関西弁で会話がなされていることである。
私は東京で5年以上暮らしているが、このようなシーンを初めて目にした。
これまでに同僚で大阪出身の人は5人いた。
大阪だけでなく、兵庫、京都の人も含めるとおよそ10人。
しかし、彼らから関西弁で話をされたことは一度もない。
方言どころか、訛りすら全く意識しなかった。
そのため、(おそらく同僚間とはいえ)仕事の話題を関西弁で話している人を見ているととても新鮮な気がしたのだ。
・数ある方言で関西弁だけが怪奇の眼差しを向けられる謎
実際の会話を目の当たりにしたのは初めてだったが、私は「関西弁で仕事の話をする人」との間にちょっとしたエピソードがある。
3年前、求職活動中に派遣会社から電話で短期の仕事を紹介された。
大阪に本社がある会社の東京支店が閉鎖されることになり、その機能を段階的に本社と北陸地方の支社へ移動させるために生じる事務仕事の求人だった。
派遣会社の案内によると、東京支店で働いていた正社員の多くはすでに退職したり、北陸支社へ異動したため、その仕事は大阪本社から応援に来ているメンバーが取り仕切っているとのことだった。
そこで、こんな説明をされた。
私の答えはもちろん大丈夫だし、派遣会社の担当者の言わんとすることも分かる。
しかし、冷静に考えると…
それって、特記事項として扱う必要ある!?
こうして改めて文字にすると、とんでもなく失礼なことを言っているように見えるのだが…
これまでも、仕事を紹介される際に言葉に関する事前説明は2回程経験した。
概要は以下の通りである。
①:日本語が話せない同僚がいる
これは外資系(アメリカ資本)企業の仕事を紹介された時のこと。
同僚に日本語がほとんど話せない外国人スタッフが数名いるため、「英語で意思疎通を図る場面が生じるが問題はないか?」という確認。
②:仕事柄言葉使いが荒いスタッフが多い
こちらは運送業のオペレーターの仕事を紹介された時の話。
急な集荷の依頼が入った際は、近くを走っているドライバーに集荷の連絡を入れる業務が発生するとのことだが、その会社のドライバーは気性が荒い人が少なくないようで、運転中であるだけなく、急な経路変更でイラっとさせられることも相まって、「言葉が乱雑になることが多いから、メンタルに自身がない人はお勧め出来ない」と言われた。
そのようなケースであれば事前の説明に正当性があり、こちらとしても大変助かるのだが、関西弁が飛び交う職場はどちらに当てはまるのだろう?
中国のように、国内であっても意志疎通が困難な程の多言語がある国ならともかく、関西弁はれっきとした日本語であり、前者が該当するとは思えない。
後者であれば、関西人は皆、名探偵コナンに登場する「せやかて工藤!!」が口癖の某浪速の高校生探偵(服部平次)みたく、息を吐くように「アホ!!」、「ボケ!!」と暴言を連発する、もしくは攻撃的な言葉がデフォルトとでも言っているようなものであり偏見甚だしい。
そもそも日本に数ある方言の中で関西弁だけが(良い・悪いは別にして)特別視され過ぎではないか?
たとえば、私は数年前に働いていた職場で、急遽熊本県から応援のメンバーが駆け付け、私がそのチームの世話役に回されたことがあった。
その際も、職員から事前にいくつかの確認と説明があったのだが、先の派遣会社の職員みたく「九州地方からやって来る方々なので、現地の言葉を多用されると思いますが、言葉の不安はありませんか?」などと聞かれたことはない。
実際に彼らと一緒に働くことになっても特に言葉の壁は感じなかった。
・堂々と関西弁を話して何が悪い?
アニメやドラマに登場する関西人は、たとえ非関西人が相手であっても、一方的に関西弁で捲し立てるシーンが多く描かれる。
名探偵コナンに登場する某浪速の高校生探偵(服部平次)がその典型例である。
関西弁に抵抗(偏見)がある人は、そのような所構わず、頑なに関西弁に固執する姿に嫌悪感を持っているのかもしれない。
だが、そもそも、職場(ビジネスシーン)で関西弁を話すことは本当に非常識でマナー違反なのか?
私は全くそう思わない。
というよりも、他人の方言や訛りにイチャモンを付ける神経が理解できない。
たとえば、横文字や新しい言葉を毛嫌いする人間はバカの一つ覚えのように「正しい日本語」なるものに執着している。
「それは正しい日本語じゃない!!」
というように。
しかし、言葉というものは時代に合わせ常に変化しているものであり、「正しい日本語を使っている」と信じて疑わない自意識過剰なおバカさんたちも、自分たちが使っている言葉が、何千年とまでいかなくても、百年前から正しく継承されているものとは限らない。
「自分は方言も訛りもなく完璧なイントネーションで標準語を喋っている」と思い込んでいる人間も、それが本当に「標準語」と呼べるものなのか疑わしい。
また、「方言と標準語では同じ言葉でも差す意味が違う」と言われることがある。
たとえば、「自分」という言葉が示すものが、「私」なのか「あなた」なのかは地域によって違いがある。
そこで、誤解を生む危険性を排除するためにも職場では方言を慎むべきという理屈もあるのだが、これも根拠としては弱い。
もしそうなら、この記事で取り上げたように、人によって定義がまちまちな「ゴールデンウィーク」や「年末年始休暇」という言葉を真っ先に禁句にすべきである。
その他にも、「『郷に入れば郷に従え』という言葉があるから、東京で働く時は、標準語で話せ」と主張する阿呆もいることだろうが、これも甚だしい勘違いである。
物事を180度逆にして考えてみて欲しい。
標準語を話すと自称している東京出身者が関西支社の営業部門に異動を命じられたとする。
そこで、上司から「担当顧客は関西弁の相手にしか心を開かない」という理由で、徹底的に関西弁で話すことを強制されたとする。
「ちゃいます!! 関西ではそういう時は『しまう』やのうて『なおす』って言うんです!!」
「ここは大阪ですー!! あんた、いつまで東京人を気取っとるんですか!?」
その指導に対して「パワハラだ!!」、「人間の尊厳を侵害された!!」と金切り声をあげたり、逃げ出したりせずに、「郷に入れば郷に従えだから…」と素直に関西弁で話すことを受け入れることなど出来るのだろうか?
関西弁が抜けない人に使用を禁止するということは、これと同じことをやっているのである。
心の中で「迷惑(不快)だからやめてほしい」と思うのは自由だが、他人を傷つけない上に、本人が愛着を持って使っている言葉の使用を止める権利は誰にもない。
「多様性(ダイバーシティー)」や「グローバル化」という言葉が多く聞かれる昨今であるが、海外どころか、国内の人の言葉にすら偏狭で排他的な態度で、しつこく言葉狩りに走る不寛容な差別主義者には、そんな言葉を口にする資格はないだろう。