私は3月末にそれまで働いていた会社を退職したのだが、その職場では休憩中によく話をする女性がいた。
彼女とは別の部署で働いていたものの、顔を合わせるうちに親しくなった。
彼女はアメリカへ留学経験があり、コロナ前まではアメリカで働いていたこともある。
そのため、私が英語の本を読んでいる姿を度々目撃したことが話を始めるきっかけだった。
彼女も派遣社員で、私と同様に3月末で契約を終えることになったのだが、まだ次の仕事が決まっておらず、勤務終了数日前にこんなことを言った。
「この年齢になると、仕事を探す時に、これからの人生のこともいろいろと考えてしまう」
・これからもこの暮らしを続けるのだろうか?
彼女は当時37歳(未婚)。
これから先も、東京の実家で両親と共に暮らす道を選ぶのであれば、次の仕事は長期を希望するが、コロナも終息後は再びアメリカへ行きたいという夢もあるため、その場合は短期の仕事の方が適当であると考えている。
つまり、彼女が次の仕事を選択する際は、「条件が良い」、「すぐに決まりそう」というような目先の利益ではなく、これからの進路も見据えた上で選択しなければならないのだ。
私が当時の彼女と同じ年齢になるのは、少し先だが、彼女の言葉には思わず共感した。
東京に出てきて早5年が経過し、その間にいくつもの職を転々としてきた。
当初こそ、この記事に書いた通り、
「英語を使う機会がある仕事に就きたい」
「事務職の経験を積みたい」
と考えていたが、そのような目標は次第に失われ、いつしか「割が良い仕事」を求めるようになっていた。
しかし、昨年の9月以降は、彼女と同様に、仕事を探す際は今後のことも考えるようになった。
その理由は、地元に戻ることも意識し始めたからである。
これも昨年末に投稿した記事で書いたことだが、コロナが収束へ向かい、コロナ前のような殺人的な混雑と、そんな中で見せる人々のモラルの無さ(もっと、本人たちは自分たちの薄汚さの自覚など微塵もなく、外国人観光客にすべての罪を擦り付けているようだが)に嫌気が差してきた。
しかも、夏は殺人的に暑い。
この記事で少し触れた通り、私は熊本県出身の人と一緒に働いたことがあるのだが、その同僚曰く「東京の夏は九州より暑い」らしい。
これからもこの地で暮らすことに不安と絶望しかない。
さて、東京の生活に嫌気が差して地元に戻るとして、ネックとなるのは仕事の面である。
実家がある田舎町はもちろんのこと、県庁所在地がある都会ですら、当然、選択できる就職先は減ってしまう。
すると、自分がやりたい仕事を経験できるのは、東京にいる今が最後のチャンスかもしれないし、地元でもそれなりに高い給料を稼ぐことが出来る職種の経験を積んでおきたいとも思うようになった。
事情こそ違うものの、私も「次の仕事を探す時は、今後の人生のことも考えてしまう」というのは彼女と同じだった。
・かつての同僚たちの言葉
気付けば私が東京で暮らし始めて5年以上経過した。
この記事で紹介した通り、元々は2年程度で去るつもりだったが、気付いたらアパートの契約更新も2度も行っていた。
私のように、定職に就いているわけでも、身を寄せさせてくれるような友人がいるわけでもない人間が、東京で5年間暮らし続けるというのは、長い方なのだろうか?
10年前、私は留学の資金を貯めるために、地元の工場で働いていた。(詳しくはこちら)
その職場で親しくしていたのが当時50代後半のタケダ(仮名)という男だった。
彼はこちらの記事をはじめ、多くの記事で触れたように、女房子どもを養う男性世帯主とはかけ離れた宿六だが、独身時代はさらに自由奔放としており、かつて東京でその日暮らしていたこともあった。(私にはしつこく地元に戻るよう説教しておきながら)
彼によると、最初は東京ほど地元から離れていない大阪に住んでいたが、どうも馴染むことが出来ず半年程度で撤退し、後に東京へ出ることになった。
大阪では1年も持たなかったが、東京ではおよそ3年暮らすことが出来て、大阪にいた時のような不完全燃焼感もなく、満足して帰郷することが出来たという。
タケダと共に働いていた職場には、シモヤマ(仮名)という当時60代の同僚がいた。(この記事にも登場)
彼は20代前半で子どもを授かり、子どもが大学を卒業した40代半ばの頃に、突然芸能活動を始めたりと、タケダに劣らない波乱万丈(?)の人生を送っていた。
タケダが大阪や東京で暮らしていたという話を私にしていた時、シモヤマも話に加わり、彼も同じように東京や大阪での生活を語った。
彼もタケダと同じように、大阪にはあまり馴染めなかったが、東京では5年程滞在していたという。
かつての同僚たちは、東京での生活をとりあえず「成功」とみなすことが出来た期間は「3~5年」だった。
私も状況当初は2年で帰ることを想定しており、シモヤマのように5年も暮らしていたら、「随分と頑張ったんだな」と感じていた。(どんだけ上から目線やねん!)
しかし、今の私の滞在期間はそんな彼を超えている。
もし、来年まで東京に滞在してから地元に戻り、向こうの人に「私はかつて6年間東京で暮らしていた」という話をしたら、「頑張ったんだね」と言われるのだろうか?
最近、そんなことを考えている。