嫌いだった職場を辞める直前に愛着が生まれてしまい後悔する

このブログの実質初年度の2019年以来、年末の反省会として、その年に犯した最も大きな過ちを懺悔するつもりだったが、近年は「懺悔したい!!」と思うほど大きく後悔したことはなかったため、代わりにこれから進む道への決意表明という形を取ってきた。

だが、今年は久々に自分の選択を後悔したことがあった。

その出来事とは「仕事を辞めた時のこと」である。

私は今年の9月に半年間務めていた派遣の仕事を退職したのだが、その後は半月程失業したことで、10月は「無職ネタ強化月間」と大々的に宣言していたこともあって、ご存じの読者の方もいるかもしれない。

キャンペーン終了後も度々その職場をディスっていたことから、私はスッキリした気持ちで退職したと思われている方も少なくなかったかもしれないが、実は複雑な気持ちだった。

過去にも退職して後悔することはあったが、いずれも再就職が上手く行かないことで、「あの仕事を辞めなきゃよかったなあ…」と後悔したのだが、今回は退職数日前に「本当にこれで良かったのか…」と煮え切らない思いに苛まれていた。

それは今までも経験した「もう、同僚たちと会えない」という寂しい気持ちとも違う初めての感覚だった。

・退職のきっかけ

私はその職場で、主に社内データや、取引先への書類生成の仕事を行っていた。

外資系で、一般の消費者にそれなりに名前を知られている大企業なのだが、筋金入りの書類主義であったり、頑なにメールではなく電話での連絡にこだわり、テレワークが可能であるにもかかわらず忌み嫌い、正社員は週3日ペースで1時間の会議に精を出すという非効率かつ濃厚な人間関係によって運営される「日本の会社よりもコテコテの日本的」な体質の会社だった。(※:こんな言い方をしたら、真面目な日本企業に失礼であることは重々承知しているが、この場は比喩としてご理解頂きたい)

にもかかわらず、企業スローガンでは「グローバルなんちゃら」などと謳っているのだから、私の元同僚タケダ(仮名)と同じくらい清々しい程の行動と自己認識の乖離である。

この会社は「グローバル」と同じく「戦略」という言葉も好んでいるが、(少なくとも私が働いていた場所では)常に行き当たりばったりの対応で、戦略など微塵も感じなかった。

たとえば、私が働き始めて3ヶ月目に使用していたシステムのサービスが終了したことで、それまで自動化していたものが、恐ろしく原始的なマニュアル作業になった。

テクノロジーの進歩に逆行する戦略(皮肉)には多いに驚くが、そのシステムの終了は何と1年前から分かっていたことであり、ギリギリまで対策をしていなかったことで、このような面倒な作業が生じてしまったのである。

この会社は従業員教育も行き当たりばったりで、「就業開始1ヶ月でこれを覚えて、半年でこれを…」という目安もマニュアルも何もないようである。

ちなみ、手前味噌で恐縮だが、私は同期(「同期」という言葉の定義は様々だが、ここでは「同じ日に就業開始した相手」という意味で使う)と比べると仕事を覚える(させられる)ペースがかなり速く、マネージャーからも今までの派遣社員でもトップクラスと評価された。

もちろん、最初は嬉しかった。

マネージャーだけでなく、正社員からも評価されて、次々に仕事を与えてもらったのだから。

だが、次第に「やってもらって当然」という態度で、同期と仕事の量が明らかに違うにもかかわらず、間違いをグチグチと指摘されることが増え、私も彼らのそんな態度が鼻につくようになった。

その極端な例が顧客対応で、同期と二人で分担していたのだが、割当量が毎日のように「8-0」や「10-1」という誰がどう見ても不公平なものだった。

この業務はクレームにつながることが多かったのだが、私が対応に困り、社員に助けを求めた際も「そんなことで…」と言わているように感じることが度々あった。

しかも、私が「これでもか」というくらい仕事を押し付けられている傍で、同期ともう一人の派遣社員は無駄話に興じている。

さすがにこれには耐えられないと判断して、「この状況がこれ以上続くようであれば退職する」と宣言した。

数日後、マネージャーから説得されて考え直すよう頼まれたが、翌日の割り当て量が「24-0」だったため、その時点でもう完全に愛想が尽きた。

ちなみに、マネージャーは説得の際に、かなりの低姿勢で泣き落としのような交渉をしたのだが、その後は一度も個人面談の場を設けられることはなく、派遣会社を通じて、「引継ぎのために退職日を調整して欲しい」と告げただけだった。

ここまで来たら私の方も未練など一切ない。

8月に入ってからは完全に消化試合モードへ移行して、表立った態度は見せないものの、完全にやる気をなくしていた。

もっとも、私にかかれば惰性だけでも、同期以上の仕事はこなせたが。

仕事で起こる面倒なことも、職場のトイレの不便さも「嫌がらせか?」と感じる程の回り道ばかりで、電車がなかなかやって来ない通勤も、「すべては後12ヶ月で終わる」と自分に言い聞かせて乗り切った。

先述の通り、私は会社から「引継ぎのため」と言われたことで退職日を調整したのが、後任者がなかなか採用されず、退職一週間前にようやく顔を合わせることになった。

ここまではひたすら会社に呆れていたが、この引継ぎによって、自分でも思いもしなかった感情が生まれることになった。

・後任者がとてつもなく優秀な人だからこそ

私にとって最後の一週間が始まった926日の朝。

普段は朝礼など行わないが、私の後任スタッフが勤務初日ということで、始業前に集まって、挨拶をすることになった。

事前のメール周知で名前を知って、何となく年配の女性を想像していたが、マネージャーから連れられ執務室にやって来た彼女を見て驚いた。

「え!? もしかして、この人は学校を出たばかりの新卒者なのか?」

率直にそう感じるほど、彼女は幼い顔立ちをして、野暮ったいリクルートスーツに身を包んでいた。

しかも、外国出身ということもあって、日本語は通じるのだが、話し方がかなり拙い。

年齢はおそらく20代半ば位だろう。

挨拶の後、マネージャーから、彼女はこれまでも日本の会社で働いていた経験はあるが、派遣社員という働き方は初めてでかなり緊張していることを告げられた。

ひとまず、この一週間は、私の当番業務を一緒にやりながら、少しずつ仕事に慣れてもらうことになった。

9月下旬、このブログでも「後任者は前途多難になるだろう」という記事を書いた。

それは紛れもない本心だったのだが、その時はまだ彼女と会う前で、私も退職日が待ち遠しかったこともあり、どこか他人事として「気の毒だなぁ…」くらいの気持ちだった。

しかし、今目の前にいる女性がその苦難に直面するであろうことを想像すると、一気に不安になった。

そして、自分は仕事が嫌だから辞めるというのに、ろくな引継ぎもせずにその仕事を押し付けて辞めてしまうことにとてつもない罪悪感が生まれた。

同僚の派遣社員は全く頼りにならないし、本当にこれでいいんだろうか…

そんな私の悩みとは裏腹に彼女はとても仕事を覚えるのが早い。

私は過去に仕事を教えてくれたスーパー派遣社員を少しでも真似ようとしたが、よりによって、その週の担当業務は例外が多く、上手くいかないことが多かった。

彼女はそんな私の下手な説明でも一回で理解してくれた。

彼女は優秀なだけでなく、とても真面目で一生懸命に取り組んでいた。

働き始めたばかりで、まだ緊張しているのだろうか、私以外の人とも一切世間話などはしない。

そんなひたむきな彼女を間近で見ていたからこそ、「何とか力になってあげたい」と思うと同時に、余計に心配になった。

彼女がこの仕事に慣れるまで見届けたい。

だけど、残り時間を考えるとそれは不可能だ。

先ずは機会を伺って、私が嫌な業務を極力さけるために密かに行っている正規のルートから外れたずる賢い処世術も伝えることに重点を置き、他の業務は一緒にやりながら、不安な点や十分に教えることができなかった点は、後に同僚の派遣社員や担当社員に教えてもらうことにした。

もちろん、彼らには事前にその内容をすべて報告しておく。

そんな引継ぎ作業に奔走していた。

・まさかこんな気持ちになるとは…

彼女に仕事を教えた後は、毎回誰かの席を訪れ、「ここは理解されていますが、ここはまだ十分にお教え出来なかったので、次回はその辺りのサポートをお願いします」と説明することになった。

同じエリアにある派遣社員の席を訪れる時はともかく、正社員の席は離れているため、私は日に何度もその間を往復することになった。

その様子には同僚たちも驚いていた。

「ここまで丁寧な引継ぎをやる人は今まで見たことがない」

「早川さんって一人で淡々と仕事をするイメージだったのに、そんなに人に教えることのスキルやバイタリティを持っていたなんて驚いた…」

「益々惜しい人をなくす気がした」

次々とそんな言葉を掛けられたが、もちろん、これは自分が辞めた後の彼女のことを心配しているからであり、会社のためではない。

だが、そんな引継ぎを通して、今までにない程に同僚とのコミュニケーションを密にしていると、彼らに対する感情が何か変わっていた。

彼らに対しても、まるで仲間のような感情さえ芽生えた気がした。

先週までは「この職場で働く回数は残り…」という嬉しさに満ち溢れたカウントダウンも、残り少なくなった花びらを数えるような惜しむものへと変化した。

「もう少しここに居たい」という気持ちも、「彼女が仕事に慣れる姿を見届けたいから」だけではなく、「この人たちと一緒に働きたいから」も加わった。

最後の一週間で、あれほど嫌だった職場に愛着が生まれたのである。

勤務最終日となった930日金曜日の午後。

休憩を終えた私は、執務室に戻りパソコンのロックを解除した。

その瞬間、「このパソコンにパスワードを入力することはこれが最後」だと悟り、気付いたらマスクの中に水滴のようなものが付着していた。

まだまだ彼女に教えたいことはたくさんあるし、同僚たちと共に仕事をしたいが、もう時間はほとんど残っていない。

その時、私は生まれて初めて仕事中に「時間が止まって欲しい!!」と感じた。

「何で、こんな仕事を辞めようなんて思ったんだろう…」

そんな感情を抑えることに必死だった。

勤務終了まで残り一時間になった頃、彼女の手が空いたということで、私がどうしてもやりたかった秘密の抜け道を伝えることができた。

もっとも、その時点ではすぐに理解できることでもないだろうから、事前に用意していた資料や、密かに同様の手口を教えていた同期の助けに期待しなければならないが。

退勤時間の5分前、マネージャーの呼びかけで部内に挨拶をすることになった。

その後はまず定時で退社する派遣社員の同僚に挨拶をした。

あれほど仕事の不公平感にイライラさせられていた同期にも、最後は別れが惜しくなり「一緒に昼食を取ったり、仕事の悩みを聞いたりと何一つ同期らしいことができずに申し訳ない」と詫びた。

すると、彼女も同じ気持ちだったことを伝えてくれた。

私の後任となった彼女にも、短期間で十分な引継ぎを行うことができなかったことを詫び、彼女のおかげで最後に同僚たちと仲良くできたことのお礼を言った。

それを聞いた彼女は「いつも優しく教えてくれてありがとうございました。来週からは早川さんの分も頑張ります」と言ってくれた。

お世辞も多いに含まれているのだろうが、私は彼女の心遣いが嬉しかった。

・マネージャーの言葉と来年以降の決意

その後は、残業していた社員にも一通り挨拶をして職場を去ったのだが、建物を出た後で重大なことに気付いた。

それはマネージャーへの挨拶を完全に忘れていたこと。

これは決して当て付けではなく、最初に声をかけようとしたら、たまたまマネージャーが不在で、その後は一番近くの席から出口の方へ流れながら挨拶をしていたら、そのまま気付かずに部屋を出てしまったのである。

故意ではないとはいえ、さすがにそれでは印象が悪すぎる。

そう思った私は、慌てて戻り、入口で警備員さん(余談だが、彼もその日が勤務最終日だった)から来客用のカードキーを借りて、部屋に戻った。

途中で出くわしてしまった人には「印鑑を引き出しに入れたままにしていたから…」と言って誤魔化し、何とかマネージャーの席まで辿り着いた。

彼女に改めて別れの挨拶を告げた後は、短期で職場を去ることがとても残念であり、もし次の職場で上手く行かなかったら、いつでも歓迎すると言ってもらえた。

次の仕事が未定だった身としては、その言葉は大いに有り難かったが、自己都合で辞める私が、その言葉に甘えるわけにはいけないことは十分に分かっていた。

だが、その言葉を聞いて、「もし、もっと早く、最後の一週間のようなことが出来ていれば、この職場で働き続ける未来もあったのかな…」と感じた。

退職から半月後、私は無事に次の仕事を見つけることができた。

今度の仕事は打って変わって、単純なマニュアル作業であり、同僚や上司とは必要最低限のコミュニケーションを取るだけである。

当然、多くの仕事を押し付けられることはなく、濃厚な人間関係に巻き込まれることもない。

そして、距離こそ延びたものの、通勤は快適であり、行きも帰りも多くの区間で座ることができる。

その上、顧客対応は全く存在しないため、メールアドレスは付与されず、電話も取らなくていい。

時給は少し落ちたものの、仕事のストレスはほとんど感じない。

一言で表すと「快適」そのものなのだが、だからこそ、働き始めた時は前の職場のことが頭から離れなかった。

仕事中に時計を見て、「今頃、彼らはこんなことをしているんだろうなぁ…」と考えていた。

そして、辞めた後でも、後任者の彼女のことが気がかりだった。

最後に社員には秘密の裏ルートを教えた時、彼女も私と同じことが嫌だと言っていたが、要領よくこなせているだろうか…

退職して3ヶ月経った今では、そのような未練がましい気持ちも少しずつ落ち着いてきたが、通勤中に当時利用していた電車を眺めると、今でもその職場のことを思い出す。

これが2022年に起きた「最も後悔している」と感じている出来事である。

退職を決意した時は、「本当にこれ以上続けられない」と感じ、自身の決断に後悔など微塵もなかったが、やり方によってはマネージャーとの挨拶の時に感じたように、「別の未来もあったのかな…」という考えも未だに残っている。

もっとも、私が退職を決意しなければ、後任スタッフの彼女と出会うことはなく、引継ぎのために熱心に同僚とコミュニケーションを取ることはなかったわけだから、当然、そこから愛着が生まれることはなかっただろうが。

私はこれまで多くの仕事を転々としてきたため、職場を去ることなどお手の物だと思っていたが、今回の件で自分の未熟さや考えの甘さを改めて痛感することになった。

今の仕事は季節的なもので、遠くない内にまた改めて職探しを行う必要があるが、来年以降は同じ過ちを繰り返さないつもりだ。

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