帰省中に感じたUターン就職への不安

今の私は東京に住んでいるが、最近はコロナ渦の質素で奥ゆかしい生活も過ぎ去り、以前のような生きづらい社会へ回帰しつつある。

その代表例が2年前にこの記事で取り上げた通勤地獄の再来である。

そんな生活にうんざりしていて、昨年頃から東京を離れることを考えている。

東京を去った私が向かう場所はどこか?

私はこれまで東京以外では地元でしか暮らしたことがないので、東京を離れるとしたら、地元以外考えていなかった。

早い話がUターン就職である。

だが、地元への帰郷もそう容易く行くとは思えない。

そう感じたのは年末年始の帰省の時に利用した飲食店での出来事がきっかけだった。

・同じマクドナルドのはずだけど…

今年の年末年始は少し長めの休暇だったため、いろんな場所へ出かけて、いろんな人と会った。

これまでも帰省の度に会っていた元同級生のマサル(仮名)

彼とは別の元同級生。

結婚して実家を出た兄弟。

そして、この記事で登場した母方の祖母である。

数えてみたら、祖母と会うのは7年ぶりだった。

彼女の家へ向かう道中で食事をすることになり、立ち寄ったのは子どもの時と同じくマクドナルドだった。

今は子どもの頃と違って、「食べたい」と思えばいつでも利用できるものの、完全に「習慣」となっており、他の選択肢は考えられなかった。

そうして、いつもと同じメニューを注文したのだが、会計時に違和感があった。

いつもと比べると値段が150円程安かったのだ。

思わずレシートを確認したものの、注文の品に間違いはなかった。

そういえば、「マクドナルドは店舗によって価格が変わることになった」というニュースがあったことを思い出して、少し得した気分になった。

そして、席に着き、番号を呼ばれるまでスマホを見ようとしたのも束の間、すぐに店員さんが商品を持ってきてくれた。

「早っ!!」

しかも、席まで届けてくれるなんて!!

同じマクドナルドのはずなのに、東京の店舗と比べると段違いに早く、その上、値段も安い。

その上、モラルがない客は一人もいなくて、殺伐とした雰囲気は一切なく、店内は快適そのもの。

飲食店でこんな良い気持ちになったのはいつ以来だろうか?

そこはまさしく、私が子どもの時に大好きだったオアシスのような環境だった。

・飲食店の質が低すぎて呆れる

誤解がないように言っておくと、地方と比べると、「高くて遅い」とはいえ、マクドナルドは商品の出来は素晴らしく、店員の接客姿勢も申し分なく(むしろ、「狭い店内で大量に押し寄せる客をよく捌けるな」…と感心する)、お金を払って利用する価値は十分あると思っている。

一方で、東京に出てきてからというもの、初めて耳にする名の飲食店では、高くてまずい上に、接客態度で不愉快な思いをしたことが一度や二度ではない。

たとえば、同僚と3人で御徒町の焼き肉店で食事をした時のこと。

営業中の看板が出ているのだが、入り口には誰もおらず、呼び鈴も、順番待ちの案内の表示も一切ない。

仕方ないので、空いていた席に腰を掛けたら、不愛想な女(店員)がやって来て、「こちらから案内するまで座るな!!」というようなことを言っていたのだが、たまたま通路側に座っていた同僚は外国出身で日本語の訛りがあり、リスニングも一回で聞き取れないことがあった。

彼の様子を見た店員は、いかにも日本語が分からないお気楽な外国人観光客を相手にしているという態度で「じゅんばん!! じゅんばん!!」という言葉を放ったのである。

自分たちが順番待ちのルールを一切告知していないにもかかわらず、この差別的で侮辱的な態度にははらわた煮えくりかえるをしたのは言うまでもない。

「この店にして、この店員あり」と言わざるを得ない。

翌日、会社で彼らとその話をしていたら、通りすがりに聞いた上司も激怒して、正式に本部へ苦情を入れることになった。

さすがに、これ程悪質な店は他になかったが、メニューに載っている写真は大盛サイズのもので、並盛を頼んだら、まるで10年程前に世間を賑わせたおせち料理並みのスカスカだったり、ホームページに記載されていたメニューが全然なかったり、こちらから催促するまで1時間以上料理が出て来なかったりと、呆れるほどレベルとモラルが低い店だらけなのである。

それに比べたら、マクドナルドに限らず、地元の飲食店は料理の質も量も、店内の心地良さも段違いであり、まるで天国である。

マサルと食事をした店も、さすがにデフレ全盛期だった15年前と比べると量もメニューも減少した感は否めないが、東京では滅多にお目にかかれないクオリティで大満足だった。

・消費者てしては天国だが…

このように、帰省中は飲食店を多いに楽しんだわけだが、同時に複雑な考えも頭を過った。

それは「たしかに地方は消費者として過ごしやすいが、労働者としてはどうなんだろう…」ということ。

先述の通り、東京の飲食店は料理も店員も質が低い店が少なくないが、裏を返せば、「そのような低レベルの仕事でも、社会に許容されている」ということになる。

もし、私の地元に限らず、地方にそんな店があったら、すぐに淘汰されてしまうだろう。

それくらい東京は出来の悪い人間でも仕事に困らない地域なのである。

私自身、上京前は仕事で苦労したことが少なくなかった。

アルバイトとして働いていた時の給料は現職の半分以下だったが、アルバイトとしての立場や時給に見合っているとは思えない程の働きぶりを求められることも多々あった。

それに比べたら、今働いている事務職はとにかく楽だし、安全だし、給料も高い。

おまけに、仕事中でも周囲を気にせず、自由にトイレへ行くことも出来る。

私は1時間に10分のペースで自主的にトイレ休憩を取っている。

もちろん、賃金の控除は一切ない。

一応、労働条件明示書には「パソコン操作の業務を行う際は、60分につき10分の小休憩を設ける」と書いてあるが、今の職場は上司から「時間になったので休憩を取ってください!!」と声をかけられることはなく、自主的に休憩を取ることが認められているので、その権利を行使させてもらっている。

たぶん、正確に数えたら、毎日1時間以上抜けていると思う。

地元にはこんな恵まれた仕事がないことは断言できる。

・たとえ都会に出ても…

私の地元は県庁所在地から、50km程離れた場所にある田舎町である。

求人数は微々たるもので、当然そこで満足できる仕事が見つかるとは思っていない。

一方で、都心部は求人の数自体は比較的多い。

出来ることなら、そこで仕事に就けたらと考えている。

だが、「物価の違いを加味して、時給が200円くらい下がる水準で、今と同じような仕事が見つかるのか?」と言われたら、それは厳しそうである。

派遣の求人を専門に扱うサイトで調べてみたら、東京では時給1,700円が相場の仕事が、時給1,1001,200円である。

これではお話にならない。

一般事務の仕事で時給1,500円という案件も全くないことはないが、求人の数は東京と比べると圧倒的に少ないので、「今の職場がダメだったら、違う所へ行けばいいや」という安心感が段違いである。

1年半前に、「失業中に就職活動が上手く行かない時は、焦らずにチャンスを待つことが大切」という記事を書いたが、それも求人数の多さ故に、余裕があったから言えたことである。

もし、地元で今と同水準の求人をやっと見つけて、応募したものの、採用に至らなかったとする。

その時は「またすぐにチャンスはやって来るさ」とどっしり構えることが出来るかと言われたら、かなり怪しい。

おそらく、東京で仕事を探す時と違って、「もう、こんなチャンスはないだろうな…」と大いに落胆して、次へ進む気力も沸いてこないかもしれない。

つまり、東京の生活に嫌気が差して地元に帰省し、いつでも実家に帰ることが出来る距離にある都会で仕事を探そうとしても、そう上手く行くとは思えないのである。

ましてや、その場所は10年前に、一度滞在して、大いに失敗した経験があり、今でもその時の恐怖が蘇ることがある。

あの時と同じく「こんなはずじゃなかった…」と後悔することだけは絶対に避けたい。

新年早々、楽しい思い出だけでなく、頭を悩ませる課題に直面したのである。

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