数日前、自宅のポストから郵便物を取り出そうとしたら、あることに気付いた。
私のお隣さんの部屋のポストにはガムテープが貼られていたのだ。
おそらく退去したのだろう。
お隣さんについてはこのブログでも一度取り上げたことがある。
彼は外国の出身者で、言葉は分からないものの、よく友人たちと賑やかに話していた。
私はドアが開けっ放しになった部屋の前を通る時に会話を交わしただけだったが、「感じがいい人」という印象を受けた。
そんな彼も出て行ってしまったのだな…
たしか、彼が隣にやって来たのは2021年の春だったから、もう2年前になる。
その前の住人も、私が2019年のゴールデンウィークに帰省(その時の話はこちら)から戻ってきた頃から入居したので、およそ2年間住んでいた。
さらにその前のお隣さんは、私が入居開始した2ヶ月程後にやって来たが、結局1ヶ月足らずで出て行ったようだった。
つまり、私はすでにお隣さんが退去する様子を3度見送ったことになる。
このような言い方だと、人の出入りが激しいアパートのようだが、日本の借り家における平均居住年数は単身世帯で3年3ヶ月、ファミリー世帯で5年1ヶ月らしい。
賃貸住宅の平均居住期間に関する調査「2022年日管協短観」を発表|公益財団法人日本賃貸住宅管理協会のプレスリリース (prtimes.jp)
その数字を考えると、最初のお隣さんはともかく、後の2人は極端に短いというわけではなく、私が長く住んでいるだけのようである。
たしかに、元々は2年で東京を去るつもりだったが、気付いたら、5年以上東京に住み続けて、2度も賃貸契約の更新をしていた。
「ついこの前、地元を離れたばかりだと思っていたが、もうそんなに長く東京に住んでいるのか…」としみじみ感じる。
だが、5年も住んでいるというのに、未だに慣れないことがある。
その代表例は通勤ラッシュである。
そのことについてはこのブログでも度々取り上げてきた通りである。
だが、曲がりなりにも対策方を講じている通勤地獄よりも、一向に慣れないものがある。
それは言葉の壁である。
職場を転々とする度に、「間違いなく地方出身だろう」という前提で「どこの出身ですか?」と聞かれるし、マクドナルドでは馴染みの店舗でない限り、ほぼほぼオーダーは一発で聞き取ってもらえない。
上京して最初に働いた職場の上司は生まれも育ちも東京の江戸っ子だった。
そんな彼に訛りを指摘されたのだが、同時にこうも言われた。
「こっちに2,3年も住んでいれば、自然と垢抜けて訛りもなくなるって!!」
そう言われて5年も経つというのに、未だにその気配は見えない。
むしろ、悪化したような気さえ感じる。
訛りについては自分で分からないため、何とも言えないが、滑舌については間違いなく上京前より悪くなっている。
呂律が回らないというか、舌も含む口を思い通りに動かすことが出来ず、言いたい言葉すら出てこないことも少なくないのだ。
加齢もあるだろうが、おそらく何年も一人暮らしをして、家族や友達と会話を一切しない生活を送っていることが原因で、言葉を発するために必要な筋肉が年々衰えているのだろう。
つまり、上京したことで、地元の方言や訛りを聞くことも使うことからも離れたが、同時に言葉を発する機会すらも失ってしまったのだ。
それでは標準後に慣れるどころか、ますます言葉がスムーズに話せなくなるのは当たり前である。
私は別に語学目的で上京したわけではないが、最悪な形で以前の自分を失うかもしれないことに怯えている今日この頃である。