前回の記事では、ブログ記事の下準備のことを少し紹介した。
「自分が書きたいことを書くこと」はもちろん大切なのだが、インターネットの検索結果に記事を表示させるには、検索エンジンから評価されることが不可欠であり、そのためには、検索されそうなキーワードを事前に調べて、文中にさりげなく入れなければならない。
今日はその作業中に感じた少し危険な話をしようと思う。
・意図せぬ結果
検索されそうなワードの抽出作業とは、まず記事の中心となるキーワードを一つ決めることから始める。
その次は、専用ツールや実際の検索結果を参考に、キーワードと同時に検索されることが多いものをいくつかピックアップして、「そのまま文中に使えそうなもの」、「少し言い回しを工夫する必要があるもの」を仕分けする。
そして、それらが入るよう意識しながら文章を書いていくのである。
だが、そのように念を入れて準備したワードが結果的に別の読者層を呼び込むこともある。
昨年書いた記事で、検索エンジン対策が最も上手くいったのがこちら。
記事の内容は地方出身の私が、実際に東京で生まれ育った人と関わる中で、「東京生まれの人はエリート人生を歩むにしても、非エリートコースを生きるにしても、地方出身者より圧倒的に恵まれている」という説が本当なのかを検討するものである。
対象となる読者は、かつての私のような「東京出身者はあらゆる面で恵まれているから羨ましい!!」と思っている地方出身者に設定したため、キーワードを「東京生まれ」とし、関連ワードを「地方出身」「羨ましい」「勝ち組」に決めた。
幸いなことに、これらのワードの大半は、もっとも読者の目を引き、検索エンジンからの評価につながる記事のタイトルに並べることができた。
目論見通り、この記事は公開から1ヶ月で、いくつかのワードで検索結果の上位に表示されるようになった。
やはり、少なくない人が東京生まれの人に対する不公平感を持っていることは間違いないようである。
まあ、あの記事がそんな人たちの求めていた内容だったのかは別問題だが…
一方で全く想定外だったのは「東京生まれ」(または「東京出身」)を含まずに、「地方出身」+「羨ましい」で検索、クリックされた回数もなかなか多かったことである。
私は記事の中で「地方出身者には分からない東京出身者の苦悩」について言及したが、それらはあくまでも私の推察に過ぎなかった。
しかし、予想通り、少なくない東京出身者も「自分たちよりも地方出身者の方が羨ましい」と思っているようである。
彼らは私が想定していた読者層ではなかったため、彼らの目を引くためのワードは全く組み込んでいなかった。
だが、意図せぬ形で当初の想定とは違った読者を呼び込むことになった。
もっとも、記事の内容は、東京生まれに悩んでいる人の気持ちを代弁している部分もあるため、彼らが読んでガッカリするということもないのかもしれないが…
結果的に、より多くの人に読んでもらったことは嬉しい誤算だった。
ただし、これはあくまでも意図せぬ形が良い方向へ動いたケースの話である。
・癒しのための言葉が憎しみに満ちた人を引き寄せる
逆に、「これで大丈夫なのか…」と考えさせられることもあった。
先述の記事の次に検索エンジン対策が上手くいったのがこちらである。
こちらは「マミートラック」をキーワードにして、関連ワードを「わがまま」、「ずるい」、「自分勝手」、「無理」、「限界」、「迷惑」に設定した。
マミートラックで働きながら、「自分はわがままなんだろうか…」、「周囲に迷惑をかけているんじゃないか…」と悩んでいる女性が、「マミートラック」+上記のネガティブワードで検索することを想定し、彼女たちに「そんなことはないですよ」というメッセージを送ることが私の目的だった。
こちらの戦略も上手くいき、複数のワードの組み合わせで、検索結果の1ページ目に表示されることになった。
だが、検索エンジンからは評価されたものの、読者の心に届いたのかは疑問が残った。
なぜなら、この記事は直帰率(このページだけ読んで、サイトから離れる人の割合)がかなり高いからである。
この記事は、「マミートラックでどう生きるか?」というような「How to」の記事ではないため、閲覧したのは一記事だけだが、ヒントを得ることができ満足してサイトを離れるということは考え難い。
つまり、記事の内容が役に立ったけど、「もう用は済んだから、さようなら」とはならず、記事の内容に賛同できるのであれば、他の記事も読んでみたいと思うことが自然だろう。
そんな記事で直帰率が高いということは、読者が望んでいた内容ではなかったということである。
もっとも、単純に「記事がつまらない」と思われただけの可能性もある。
途中で全部雇用やお笑い日本型福祉社会論などへ話が脱線したことで、あの記事は300本を超す当ブログの記事の中でも、トップを争う長さとなってしまった。
それは仕方ないとして、私が危惧しているのは昨年のMVPである「東京生まれの~」の記事と同様に、検索エンジンからは認められたものの、「私が意図して組み込んだキーワードが全く別の考えの人を引き付けてしまったのではないか」ということである。
たとえば、想定していた読者とは正反対に、マミートラックで働く同僚のために残業や休日出勤を強要させられていることにストレスを感じている人たちが、ワーキングマザーへの憎悪から上記の関連単語を罵倒言として検索し、サイトを訪れたりとか。
おそらく、彼ら(彼女ら)は「この記事は『子持ち女性のわがままを許すな!』、『正社員は常に会社優先で行動できる男だけで固めるべきだ!』と書いているのではないか」と期待していたことだろう。
そのような人たちが来ても、怒ってすぐに帰ることは明白だし、先ほどと違って、想定外のお客であっても全然嬉しくない。
もっとも、私に全く非がないわけではない。
よくよく考えてみると、あの記事のタイトルは、誰へ向けて書いた記事なのかを明確化できていない。
私が言いたかったのは「これ以上マミートラックを増やすことは『女のわがままな理想論』と考えるのであれば、男性稼ぎ手モデルを標準モデルとみなすことも同様に『非現実的で偏りがある支援』であることを認めよ」ということである。
だが、人によっては「女のわがままばかり聞き入れないで、男の仕事(男性稼ぎ手モデル)ももっと増やせ!」と言っているように解釈できなくもない。
そんな人たちが、「男性稼ぎ手モデルは昔から多数派だったわけではありません!」という内容を目にしたら、「なんだコイツは!!」と裏切られた気分になって、直帰したくもなるだろう。
ちなみに、わざとネガティブなワードを並べる集客方法で、最も奏功したのは「九州男児」である。
あれは「クズ」「頭がおかしい」など多くのネガティブワードを餌にして、差別主義者を誘き出し、最後にどんでん返しのお説教をするまでがセットだった。
しかし、マミートラック編はそのような打算はなく、純粋に、つらいことを言われて傷ついている人に読んでもらいたいと思い、あのようなネガティブワードを組み込んだ。
それが全く反対に、憎しみを込めてネガティブワードを打ち込む人を引き寄せてしまったのであれば、何とも残念な意図しない結果なのだろう。
・弱っている人にアプローチすることの難しさ
この記事に書いた通り、このブログでは日々の生活でつらい思いをしている人に「生きる勇気」を与えることを目的にしている。
このような言い方をすると響きはいいだが、「人を癒したり、慰めたり、励ましたりする」ということは、弱っている人、すなわち「人の弱さ」にアプローチするということでもある。
そのためにはネガティブな発言が効果的であることを認めざるを得ない。
だが、「職場で孤立しているワーキングマザーに読んでもらいたい」と思って書いた記事が、全く逆に、憎しみの対象として見ている人を引き寄せたように、この手法は扱いが難しく、意図しない結果をも引き起こす。
考えが違う人を呼び寄せてしまうだけなら、まだマシなのかもしれない。
ネガティブな言葉の癒しは、考えが近い人ほどより狂わせる可能性が高いのかもしれない。
なぜなら、悪意の共鳴は気を大きくし、無意識の内に悪の道へと突き動かすから。
「職場での悪口」という対面コミュニケーションを例にして考えてみよう。
ある職場に、多くの人たちが毎日残業をしている中で、毎日のように定時退社する人間がいたとする。
彼が退勤した後で、一人が
「俺たちが毎日残業している中で、堂々と帰れる神経が理解できない!!」
「何で『他に手伝うことはありませんか?』って聞かないんだ!!」
と、ネガティブな発言をしたとしよう。
すると、常々同じ不満を持っていた同僚たちは「同じことを思っていたのは自分だけじゃなかったんだ!」という気持ちになり、賛同の意志を示す人間も現れるだろう。
そして、翌日から彼を標的にした悪口大会が始まることは容易に想像できる。
これは同僚が定時退社する傍ら、毎日残業していることで精神的に参っている人たちが、自分を癒してくれる言葉に共鳴したことで、仲間意識を持った結果だろう。
だが、問題の根本は残業の方ではないのか?
定時で退社する人を憎むことで一致団結しても、そのことで本当に救われるのか?
そもそも、彼らは定時退社する人を悪者にする前に、「今日は仕事が終わらないから残業してくれ」と頼んだことが一度でもあるのだろうか?
「毎日残業しなければ仕事が終わらないから、人員を補充してくれ」と会社に頼んだことが一度でもあるのだろうか?
それをせずに、定時退社という当然の権利を行使している人の陰口を叩き、場合によっては退職強要のようないじめを行うことは、れっきとした加害行為である。
半年前にいじめ理論の記事で書いた通り、いじめという行為は圧倒的なケースで損得勘定に基づいて実行される。
「やっても大丈夫」という安心感、「自分は一人じゃない」という責任意識の欠如によって、一人では到底できない残酷なことも平気で行えるようになり、次第に悪意の輪は制御できない程暴走する。
このように、人の弱さに響くネガティブな言葉が、共鳴すると、本人たちが気づかない間に増長して、気が付いたら全員揃って悪の道へと突き進むこともあり得る。
2年前の記事で、弟子入りを志願した読者を仲間にしなかった時の話をした。
あれも、彼のように社会に不満がある若い人が、同じ不満を持つ人間に傾倒してしまうと、後々取り返しがつかないことを犯してしまう危険があると判断したからである。
もっとも、弟子ができることによって、自分自身も気付かぬ間に誇大妄想に囚われ、堕落することを恐れたからでもあるのだが…
・あの人もつらい気持ちを抱えて頑張っている
弱っている人にネガティブな言葉を投げかけると、悪の面を引き起こし、発言者が意図しない最悪の結果を招く危険性はお分かりいただけたと思う。
そのため、安易にネガティブな言葉を使うことは賛成できない。
しかし、忘れてはいけないのは、ネガティブな言葉への共鳴が正しい方向へ導くこともあるということ。
かつて私は、「未経験歓迎」という誘い文句ながら、いきなり「あれもこれも」と仕事を押し付けられる会社で働いたことがあった。
当然、その会社に対する憤りは募り
「ここには自分の仲間なんていない!!」
「こんな会社で働いてられるか!!」
と思って退職することにした。
しかし、退職を表明した翌日、同じ部署で働いていた同僚から食事に誘われ、その席で、かつて自分も同じように仕事で悩んでいて、特にある業務がとても嫌だったことを打ち明けられた。(詳しい話はこちら)
彼女が何か意図を持ってその発言をしたのかは定かではないが、それを聞いた私は「この人も自分と同じ気持ちだったんだ…」と救われた気持ちになり、理解者が現れた気がした。
彼女はその後、同じ歳の私に対して仲間意識を持っていたことも告白してくれたが、その前のネガティブな発言への共鳴がなければ、その言葉も私の胸に響かなかっただろう。
もしも、もっと早く彼女とそのような話ができていれば、「彼女も頑張っているから、自分も頑張ろう!」と思い、退職することはなかったのかもしれない。
私の場合は未遂に終わったが、他人のネガティブな発言を聞いて、「あの人も同じ気持ちで頑張っているんだから、自分も頑張れる」と前向きな気持ちになることは多くの人に心当たりがあるだろう。
このようにネガティブな発言は、人の癒しになり、明日への励みへとつながることもある。
ネガティブな発言への共鳴は、人を悪い結果へも、良い結果へも導く。
大事なのはその使い方である。
私は前者の危険を認識した上で、後者の使い手でありたいと思っている。
このブログでは、これまでも少々乱暴な言葉や他人をコケにする言い回しを多用してきた。
つらい思いをしている人の敵をディスって、「少しでも彼らの鬱憤が晴れたら」と思っていたから。
言い換えれば、「息抜き」や「気晴らし」程度の認識だった。
「このブログの影響力など微々たるものだから、多少の毒を吐いても、それに感化されて、現実的な行動を起こす人などいるはずがない」
そう思っていた。
だが、昨年のアクセス数は一昨年の倍、3年前の5倍まで増加した。
ほんの僅かであるが、以前よりもブログの影響力が増しているのかもしれない。
だからこそ、ネガティブワードを使う時は、「安易な扇動に走らず、より一層気を引き締めなければならない」と自分に言い聞かせている。
(と言いながら、次回の記事で早速とんでもないワードが飛び出しそうな気もするが…)