2年半連絡を取り続けたスペイン人と別れる

先日、オンライン上で2年半連絡を取り合っていたスペイン人と別れた。

といっても、私たちはケンカ別れをしたわけではないし、お互いの連絡先を消したわけでもない。

これまで私たちはたわいもない日常の話をしていたが、昨年の秋頃から彼の返信の頻度が下がったため、お互いに区切りをつけて、これまでのような連絡を控えることにしただけである。

・知的で日本語が堪能なスペイン人

彼と出会ったのは2018年の夏頃だった。

当時の彼は大学を卒業したばかりで職に就いていなかった。

このブログの読者の方には改めて説明するまでもないが、海外の若者には彼のような生活を送っている人が珍しくない。

多くの国では、職務経験がない若者は満足な職に就くことが出来ないからである。

そのため、大学を出たばかりの彼は職に就いておらず、時間を持て余していた。

そんなこともあり、出会った当初は毎日のように話をしていた。

最初は身近な生活の話から始め、次第に大学の入試制度や、仕事を得るまでのプロセスなどお互いの国の社会について話すことが増えた。

彼は若いが、観察力や表現力が素晴らしく、他の同年代の人は「知らない、分からない」といって全く興味を示さないことでも積極的に自分の意見を伝えてくれた。

このブログでも、「30歳という年齢には特別な意味があるのか?」や「外国人も自分と同じ年の相手に特別な気持ちを持つのか?」、「海外のお正月ムードはいつまで続くのか?」というテーマには彼の意見を紹介した。

それから、記事には登場しなかったが、「外国には付き合う前に告白するという習慣はあるのか?」を取り上げた時は、スペイン語にも「declaración」という誓いの言葉があるそうだが(英語のdeclarationのように公的な宣言の意味はない)、重いイメージがあるため、好んで使う人は少ないという話も教えてくれた。

ちなみに、彼は日本語が使えるため、最初の1年は英語でやり取りをしていたが、2019年の秋頃からずっと日本語でやり取りをしていた。

・無職でも楽しい日々

さて、そんな彼の日々の生活であるが、2018年の年末から2019年の年始にかけて、販売アシスタントの季節労働に就いていた以外はほぼ無職である。

また、住まいは実家である。

海外では「成人後はすぐにでも親元を去るべき」だという文化がある国もある(もっとも、それも本当かは怪しいが)が、スペインやイタリアのような南ヨーロッパの国は日本と同様に成人後も実家で住み続けることに大きな抵抗はない。

彼もその一人なのだろう。

数ヶ月のアルバイトを除くと、大学卒業後に何年も定職に就かず、実家で暮らしている彼だが、悲壮感は全く感じなかった。

聞くところによると、大学院で研究をしている学生時代の友人の手伝いをしたり、友人と旅行やコスプレパーティーへ行ったりと、とても楽しそうな日々を過ごしているようだった。(なんてうらやましいんだ!!)

彼に日本は若年失業者への視線が冷たく、そのような楽しい生活を送ることが出来る人はほとんどいないと伝えると、彼は「仕事に就けないのは、本人だけの力では解決できない問題なのに、日本人はなぜ失業しているくらいでそんなに卑屈になるんだ?」と軽いノリで返された。(その余裕もうらやましいぞ)

・旅立ちの時

無職ながらも充実した日々を送っていた彼だったが、昨年の秋から生活が変わった。

大学では環境問題について学んでいたため、そのような分野の専門職に就くことを考えていたのだが、卒業後、数年が経過しても、その道では手に職をつけるチャンスが限りなく薄いことを感じたため、職業学校に通うことになった。

その結果、これまでは週に2,3回は私に送ってくれていた返信が減ってきた。

当初は私もあまり気にしなかったが、次第に彼からの連絡が途絶えることが増えた。

今年に入り新年のお祝いメールを送る前は1ヶ月程連絡がなかった。

彼が忙しいのは仕方がないことだが、連絡の頻度が変わると、話の内容もこれまでと同じように続けていくことは難しくなる。

そんな考えから、お互いに大きな生活の変化があるまでは連絡を控えることに決めた。

以前の記事でこんなことを書いたことがある。

海外の若者は仕事をしていない人が多く、時間に余裕があるため、毎日のように連絡をくれる。

しかし、そんな彼らも、やがて仕事に就くと、段々と連絡が減り、いつの日か完全に連絡が途絶えてしまう。

彼とは2年以上という長期間に渡り連絡を取り合っていたが、結局は他の若者と同じような道を辿るのだろう。

私はそれでも構わないと思っている。

彼とそのような関係が消滅したとしても、それは同じ地域に住んでいた彼が、仕事のためにその場所を離れるようなものであり、いわば私の住んでいる田舎町から都会へ旅立つようなものである。

というわけで、彼に対して

「なんで全然連絡してくれないんだ!!」

「あなたは前よりも冷たくなった!!」

というような恨み節は一切ない。

私に連絡をする時間がないくらい、日々の生活が充実して、情熱的に打ち込めるものがあるのなら、その方が彼にとって幸せであることは間違いない。

連絡先は保っているが、ひょっとすると、二度と彼から連絡が来ることはないかもしれない。

それでも、私は「自分の役割は終わった」と胸をなでおろすことができる。

・便利さの弊害

先ほど「旅立ち」という言葉を用いたが、私は5年以上外国人とのオンライン交流をしているが、こんな形ではっきりと別れを告げることは初めてである。

ある日突然連絡が途絶える人もいるが、多くは「最近、仕事が忙しくなって…」といって次第に疎遠となる。(稀に突然、連絡を再開してくる人もいる

「外国人は日本人と違って曖昧な態度を取らず、別れたい相手にははっきりと告げる」というイメージを持っている人がいるかもしれないが、ケンカ別れの場合を除くと、そのようなことを言ってくる人はいない。

こちらから、そのことを切り出しても、彼らの大半(というよりも「ほぼ全員」)は「また、時間ができた時に連絡するよ」とは言うものの、その後は以前と同じような関係に戻ることは全くない。

バックレはともかく、そのような形で意図せずに分かれてしまうことはなんとも悲しい気がする。

たとえ、離れていても、都合のいい時はいつも連絡を取り合うことができるのがオンラインの良さである。

そのため、連絡が遠のいた後も連絡先はキープされている。

だから、あえて別れを切り出すことはない。

しかし、それがはっきりとした別れを告げることができないきっかけとなってしまうのはなんと皮肉なことだろうか。

思えば、これはオンラインに限った話ではない。

かつて私が地元に住んでいた時、遊び仲間だった2人の友達が立て続けに就職したことがある。(その時の記事はこちら

彼らは就職した後も実家で暮らしていたため、私は「時間ができればまたすぐに会えるだろう」と思っていた。

しかし、数ヶ月後に一度食事をしただけで、次第にメールの返信も減っていった。

彼らは今まで通り実家に住んでいるため、会おうと思えば会えたはずである。

だが、私は彼らにどうアプローチしたらいいのか分からなかった。

そんなことを考えていると、連絡が取れないまま1年以上が経過していた。

それなら、いっそのこと、彼らが就職に合わせて、地元を離れる方が、踏ん切りがついて、彼らを快く送り出すことが出来て、帰省した時に会うことで、つながりを保つことが出来たのかもしれない。

「いつでも連絡を取ることが出来る」という便利さが、反対に連絡を妨げてしまった。

こんな経験があったため、彼が私の下から離れて行く時は正式に別れを告げたかった。

そして、これは彼の旅立ちであることを確認して、お互いに良い形で連絡を終えたかった。

彼と言葉を交わすことは二度とないかもしれない。

それでも、彼と共有できた2年半は私にとってかけがえのない時間であったことは変わりない。