今はあのころよりも未来の近くにいるじゃないか

12月に入り2019年もいよいよ残り1ヶ月を切った。

毎年この季節になると思い出すことがある。(なんだか前回も同じことを言っていた気がするが…)

それは今から5年前の2014年の12月のことである。

5年前の師走

当時の私は「会話できる英文法大特訓」という本で英語の勉強をしていた。

これは当時のメモ帳である。

このように日付を書いておくと振り返る時に非常に役に立つ。

私の文字を見て「汚ねえな~」と思った人もいるだろうが、これも当時の私の決意の表れである。

なぜなら、「英語がなかなか覚えられない!!」と嘆いた時の私は、メモを取る時に「いかに綺麗にノートを作るか」という本末転倒なことに重きを置いていたから。

これは同じノートの始めのページである。

ボールペンを3色も使って実に手の込んだ作りである。

だが、この頃から、「ノートは美しい作品として書き溜めるのではなく、あくまでも暗記の補助として使う」という当たり前のことに気づいた。

だから、「自分が読めさえすればいい」と割り切って、なるべく簡単に済ませるようになった。

私が当時のことでここまで感慨深くなってしまうのは「その時が(英語学習において)一番成長できた」と思っているからである。

先ほど紹介した本の効果はこれまで何度も書いた通りである。

この本を通して初めてまともに文法の知識やリスニングの能力を身につけることができたと言っても過言ではない。

当時の私は平日8時~18時(金曜日だけは17時)というフルタイムで働いていたが、それでも毎日3時間以上勉強することが苦ではなかった。

それだけ、自分の英語力が成長していることを実感できたから。

…と、なんだか、青春時代の回顧のようになっているが、当時はそんな日々が楽しいと思ったことは一度もなかった。

なぜなら、当時は自分の成長を喜ぶことよりも「何でもっと早くこの勉強法に気づかなかったのだろう…」という後悔の方が大きかったからである。

・もしも2年早ければ…

その時は私が英語の勉強を始めて3年目に入っていた。

いろいろあって英語の勉強を始めたのが20122月だから、2014年の年末は「ほぼ3年経過したくらい」である。

その時になってようやく中学校で習うレベルの英語を使いこなせるようになってきていたのである。

「英語の勉強を始めて最初にこの本に出会えていたら…」

と贅沢は言わない。

せめて、開始一年後、ある程度の文法の知識を学んだ2012年の年末くらいにこの本に出会えていたら、今頃(2014年)は自分の人生がもっと良い方向に進んでいたのかもしれない。

もしかしたら

・無職だった時の有り余る時間を無駄にすることはなかったかもしれない。

・人前で堂々と「僕は英語を勉強しています」と宣言できたかもしれない。

・英検準2級の試験に2度も落ちることはなかったかもしれない。

初めて海外旅行へ出かけた時に、もっと現地を楽しむことができたかもしれない。

・毎日こんなつらい仕事をすることはなかったかもしれない。(この職場の詳しい様子はこちら

・海外で生活することができたかもしれない。

2年早くにこの本に出会っていれば…」

当時は常にそんな思いに駆られて、遅れを取り戻すための勉強に必死だった。

(余談だが、その本の発売日は大変皮肉なことに「まさにその2年前」である2012年の10月だった)

・あれから5年…

私が今でも「もっとも成長していた時期」だと考えている2014年の12月は「自分が成長している」という喜びよりも「あと2年早ければ…」という年寄り臭い後悔の念に駆られていた。

しかし、気づいたらその時からも、すでに5年の歳月が経過している。

今の私は当時よりもマシな人間になっているのだろうか?

たしかに、英語力は大きく向上した。

当時は英検3級の試験にも合格できていなかった私が、今や準1級を持っているし、人に「自分は英語の勉強をしています」と宣言しても恥をかくことはなくなった。

今は当時の時給の2倍の仕事に就けるようになった。

一人暮らしができるようになった。

だが、一方で当時やりたいと思っていたことの中には未だにできていないこともたくさんある。

・外国人と英語でコミュニケーションを取る時に上手くいかないことが多い。

・英文を日本語のようにサクサクと読むことができないことが多い。

・ワーキングホリデービザを使って海外で働くという目標も達成していない。

・気兼ねなく話ができる友達や頼れる仲間が近くに一人もいない。(←英語とは全く関係ないがこれが一番大きい)

5年前は20代前半で「自分は若者である」と認識していた私も今は30手前になって「自分は若者である」と堂々と宣言することもなくなり、「未来」だの「夢」だのいう言葉も徐々に遠のいて行った。

これから30代に入ると、今までは当然のように思っていた「年齢」というこの社会で最大のアドバンテージを失って、面前払いされたり、機会ロスが増えるだろうし、体力の衰えを感じることも出てくるだろう。

歳を重ねることが怖いとは思わないが、少なくとも、これから先が今よりも良くなるとは全く思えない。

最近はそんな不安を感じることが増えてきた。

今は5年前の自分よりも確実に進歩しているはずなのだが、どうも自信や確信が持てない。

当時は「今の暮らしが楽しい」と思ったことはなかったが、今では「ヘタクソな英語しかできなくても、夢や希望や可能性に満ち溢れてあの時の方がよかったのでは?」という気がしないでもない。

果たして5年前の自分と今の自分はどっちがマシなのだろうか…

・年を取ることの不安を吹き飛ばしてくれた曲

そんなことを考えていた時に、よく分からないきっかけから、関ジャニ∞の「プロ∞ペラ」 という歌を知った。

こちらのページで個人が投稿した作品を聞くことができる。

その一節にこんな歌詞がある。

心のプロペラ回して

両手をひろげたら

今はあのころよりも

未来の近くにいるじゃないか

かっこわるいことじゃないさ

かっこつけてゆこう

アスファルトは大地

そしてこの僕たちの滑走路

この曲を聞いた時は「音楽でこんなに勇気を与えられることがあるのか!?」と思うくらいの衝撃だった。

今はあのころよりも 未来の近くにいるじゃないか

そうだ。

振り返ってみると、確かにこの5年間は無駄ではなかったし、悪いことばかりでもなかった。

悩んだり苦しんだりすることもあったが、それでもあの時よりも前に進んでいることは間違いない。

英語の勉強だけでなく、たくさんの本を読んで、たくさんの経験をして知識も増えた。

仕事で困ったことがあっても自分の力で切り抜ける方法も覚えた。

本当に大切なものが何なのかが分かるようになった。

人として確実に成長した。

5年以上音信不通になっていた友人とも連絡を取り合う仲に戻れた。

そう思うと、今は不確かな未来を信じることしかできなかった5年前よりも、はるかに充実している気がする。

そして、まだまだ先に進めそうな気がしてきた。

ちなみにこの曲は2番も

心のプロペラ回して

世界を見わたせば

今はあのころよりも遠くへ

軽々と行けそうさ

かっこわるいことじゃないさ

かっこつけてゆこう

大海原はいつも輝く

大空を映してる

と素晴らしい歌詞である。

今の自分はあの時よりもシワと白髪は増えたし、あの時縋っていた「無限の可能性」も「希望に満ちた未来」もなくなったかもしれない。

それでも、あの時に思っていた「なりたい自分」へと確実に近づいているし、当時はできなかったことでも簡単にできるようになったことが増えた。

歳を重ねるのも悪いことばかりではない。

最近、そのことに気付いたのであった。

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