先月、アメリカ人の友人とある話題で盛り上がった。
彼とはLINEでやり取りをしているが、出会った場所はInterPalsだった。
彼から最初にメッセージが送られてきたのが、今から5年前の2017年の2月だった。
つまり、彼と私が出会ってから5年が経過したことになる。
・付かず離れずの関係で5年が経過
彼はテキサス州の田舎町に住んでいる34歳の男性。
昨年の年末に書いた記事でも、昨年頻繁に連絡を取り合った外国の友人として紹介したことがある。
その時は無職だったが、今では以前と同じくパソコン設定の仕事に就いている。
彼と私はおよそ3ヶ月の間隔でやり取りをしている。
話題はお互いの近況報告の他、私が度々日本で耳にするアメリカの噂話の裏取りが主である。
私が上京のためにごたついたこともあり、しばらくの間連絡を取らなかったが、この記事の意見聴取のために連絡を入れたことがきっかけでやり取りを再開した。
毎回、やり取りは自然に消滅するが、時間を置いて
「Long time no see.」
「It’s been a long time.」
などで切り出し、定期的にメールの交換を続けている。
そんな付かず離れずの関係を続けていると、初対面の日からあっという間に5年の歳月が経過した。
以前、ペンパルサイトで知り合ったものの4年間音信不通だった人物から突然連絡が入ってきた時の記事を書いたことがある。
彼とのやり取りは長期間の空白があったので、再会した時は4年前との変化がはっきりと分かった。
一方で、今回紹介する彼とは一時期の中断があったものの、ここ3年は定期的に連絡を取り合っているため、その間の変化には気付きづらかった。
だからこそ、5年という月日もあっという間に感じてしまうのだろう。
・周りから取り残された気分
さて、彼と出会ってから5年という節目を迎えたことを機に、出会った時のことを振り返ることにした。
「konnichiwa」
これが、彼が5年前に彼から送られてきた最初のメッセージである。
メッセージを読み返まですっかり忘れていたが、彼は当初、「日本語に興味があり、日本語でやり取りができる相手を探している」と言っていた。
結局、彼が私に日本語でメッセージを送って来ることはなかったが…
当時の彼は地元のハンバーガー店で働いていた。
その仕事は勤続3年目を迎えていたが、一人暮らしができるほどの賃金が稼げないことが彼の悩みだった。
ちなみに、彼は大学を卒業しているが、学費はローンで工面していたため、その返済にも苦労していた。(結局、親が払ってくれていたらしいが…)
彼とそんな昔話をしていると、当時のことが懐かしくなったが、同時に一抹の寂しさも感じた。
昨年、彼が父親と姪の3人で遊びに出かけた時の写真を送ってきたことがあった。
写真の中の彼は、5年前からInterPalsに載せられている写真と比べると、一瞬誰だか分からなかったくらい薄毛が進行し、体型もすっかり中年太りしていて驚いた。
初対面の時はお互いに20代でバリバリの若者だったが、今では私は白髪が増え、彼は薄毛が進行し、自分のことを「若者」と呼べなくなった。
その認識は彼も同じである。
こうして改めて振り返ってみると、やはり5年も経つと、私たちは大きく変わっていた。
私たちが年月の経過に寂しさを感じたのは老いを実感したからだけではない。
例の写真で、彼と一緒に写っていた姪は彼の弟の娘である。
彼の弟も5年前はまだ定職に就いておらず、結婚もしていなかったが、今では自分の家庭を持っている。
一方で彼は未だに独身で、住まいも実家暮らしである。
「かつては自分と同じ立場だった弟が、今では随分と遠い場所へ行ってしまった気がする」
私との会話で5年前のことを懐かしんだ彼は、そんな本音を漏らした。
だが、その状況は私も同じである。
当時は私と同じく実家に住んでいた兄弟も、今では子どもを持つ親になったし、当時は高校生だった親類さえも、今は東京の会社で正社員として就職している。
この5年間で、周囲の人間がどんどん旅立っていく中で、取り残された自分たちは明るい未来もなく、ただ年を重ねている。
これまでの5年間がそんな様子だったので、これからの5年間はどうなってしまうのだろうか?
そんな不安が頭から離れない。
・劇的な変化こそないものの…
段々と暗い話になってきたが、出会った時と比べて、悪い方へばかり向かっているわけではない。
先ほども触れた通り、5年前の彼はハンバーガー店で働いており、その時の給料では一人暮らしはおろか、過去の(日本ではなぜか「奨学金」と呼ばれている)教育ローンの返済すらできなかった。
だが、5年後の今ではパソコン設定の職を手にして、当時の2倍以上の給料を稼げるようになった。
かつてのように、自分の出費を親に払ってもらうこともなくなり、昨年車を買い替えた時は自分でローンを組んだ。
弟のように、結婚して子どもを育てるというような劇的な変化こそないものの、当時よりも前に進んでいることは間違いない。
どうして、そんなことが分かるのか?
それは、私も同じだからである。
彼と知り合った5年前は実家に住んで時給800円のアルバイトをしていたが、今では倍以上の賃金で働けるようになり、一人暮らしを始め、職場でも頼りにされることが増えた。
未だに非正規の仕事を続けて、職場も転々としているため、「立派」とは言えないが、それでも当時より前に進んでいる。
たとえ、「若さ」や「(根拠のない)将来性」を失ったとしても、今の自分の方が少しでもマシな人間になったと思っている。
これは今回の彼とのやり取りで、私が最後に伝えた言葉である。
彼はこの言葉に心から賛同してくれた。