ペンパルサイトでは海外に住んでいる人たちと文通することが主な目的であるため、基本は海外在住の外国人とやり取りすることになる。
だが、日本在住者からメールが送られてくるケースが、今年に入って早くも3件発生した。
今日はそんな人たちの話をしたい。
・怪我の功名
・1人目:愛知県在住カナダ人女性
最初にメールを送ってきたのは名古屋に住んでいるカナダ人女性だった。
彼女はカナダ出身ということを活かし、語学学校で英語とフランス語の教師をしていた。
来日したのは5年前で、年齢は34歳だった。
お互いに自己紹介をして、「何を話そうか?」と考えていたら、彼女がLINEの交換を切り出してきた。
以前であれば、二つ返事で教えていたが、出会い系サイトやマッチングアプリの件以来、ネットで知り合った人にすぐにLINEのIDを教えることに抵抗があった。
だが、無碍に断るわけにもいかず、一旦返事を保留して、「しばらくこのサイトでやり取りを続けないか?」と提案した。
すると、それ以降、彼女からの返信は一切来なくなった。
一週間ほど経った日、彼女のアカウントは削除されていた。
おそらく、彼女は架空の人物で、実際はID回収の類の業者だったのだろう。
・2人目:熊本県在住フィリピン人女性
先の彼女が業者であることを確信し、「LINEのIDを教えなくてよかった」と安堵していると、すぐに二人目の日本在住者からメールが届いた。
今回の人物も日本在住だったが、居住地は初めて目にする場所で、調べてみたらところ熊本県の山間部であることが分かった。
彼女の年齢は36歳。
出身はフィリピンで、10年ほど前に日本人と結婚して以来、その場所に滞在しているようだったが、日本語は一切使えず、私とのやり取りも英語だった。
今回も一通り自己紹介をした後に、「何から話そうか?」と考えていると、彼女からLINEの交換を切り出された。
またか!?
今回の人物は意図的に顔を隠そうとして撮影した写真を掲載し、既婚者であることを明言しているため、ID回収が目的のなりすましである可能性は低いと判断した。
しかし、それでも知り合って一週間も経たない間柄でLINEを交換することには躊躇した。
とりあえず、「しばらくはこのサイトでやり取りを続けたい」と思っていることと、「そのことで彼女に何らかの不便があるのか?」を尋ねた。
その結果、今回も相手からの連絡は途絶えた。
彼女のアカウントは今でも存在しているため、彼女が本物だったのか、業者のなりすましだったのかは定かではない。
だが、LINEを交換しなかったことで、連絡が途絶えたとしても、そのことに後悔は一切ない。
たしかに、今の私は過剰に警戒している気がするが、これまでがあまりにも無防備過ぎたのである。
出会い系サイトやマッチングアプリを使ってもろくなことはなかったが、素性がよく分からない相手にホイホイとLINEのIDを教えなくなったことは、あの時の経験が役に立っていると思っている。
・異例中の異例
そんな付かぬ間の感慨に浸っていると、すぐに3人目からメールが届いた。
・3人目:千葉県在住日本人女性
先の二人は一言の挨拶からメッセージを送ってきたが、今回の人物は初回から自己紹介として長文のメッセージを送ってきた。
その内容は
・名前はナカムラ(仮名)、千葉県在住の34歳の女性。
・親しい友人がおらず、話しを聞いてくれる相手が欲しくてサイトを使っており、実際に会うことができる人を探している。
・海外向けの文通サイトだということは分かっているが、外国人の友達を作るつもりはなく、英語も一切話せない。
・生まれも育ちもずっと日本で、両親が海外出身というわけでもない。
これには少し驚いた。
先の2人は居住地こそ日本だったが、外国出身者であり、二人とも英語を使っていたため、(業者のなりすましか本人かはともかく)ペンパルサイトを通して、私にメールを送ってきたことは特に不自然ではなかった。
だが、ナカムラは日本在住の日本人であり、英語の勉強をしているわけでもない。
そんな人がペンパルサイトからメッセージを送ってきて、その上、「会うことを前提に話をしたい」と言われるのは異例中の異例であり、LINEの交換を打診されるよりも業者である可能性が高そうである。
しかし、顔写真を見てみると、年相応の顔立ちをしており、飛びぬけて美人というわけでもなかったため(失礼!)、業者ではない気もした。
そこで、一応話だけは聞いてみることにした。
・境遇は違うが苦しみは同じ
ナカムラは千葉の田舎町に母親と二人で住んでいて、近所のスーパーで働いている。
かつては都内で保険販売の仕事に就いていたそうだが、仕事で疲れたことと、父が亡くなり高齢の母が独り身になったことで、5年ほど前に帰郷した。
帰郷後すぐに仕事を見つけたものの、恵まれた収入があるわけではなく、今の生活は自身の収入と母親の年金で辛うじて成り立っている。
そして、困った時に頼れる地元の仲間も全くいない。
学生時代の友人とは彼女が東京へ働きに出て以降疎遠になった。
そんな彼女の一番の悩みは将来の不安である。
今は母の収入も含めることで生活できているが、将来の見通しは全くなく、どんどんと年だけを取ってしまう。
そのせいか、最近は夜も眠れないことが少なくない。
そんな不安を少しでも和らげたくて話しを聞いてくれる相手を探していたのである。
彼女の不安は何となく想像できる。
このブログで度々取り上げていることだが、この社会の生き方について「大企業型」、「地元型」、「残余型」という3つの考え方がある。(詳しくはこの記事をご覧いただきたい)
大企業型とは、学校を卒業すると東京に本社があるような大企業に就職し、定年まで同じの企業で勤め上げ、その中で企業福祉に守られながら、結婚・子育て、ローンを組んで家を購入するなどのライフイベントを行う。
大企業型はしばし「フツーの生き方」などと呼ばれ、日本人の標準的な人生のように語られるが、希望者全員がそのコースに入れるわけではなく、定員は(昭和時代ですら)人口の3割程度だったと言われている。
一方の地元型とは、学卒後も地元を離れず、親戚や学生時代からの友人などに囲まれて過ごす生き方である。
大企業型に比べると収入面は大幅に劣るが、地域の人間関係の支え合いによって生活を安定させる。
この2つから外れた生き方を「残余型」と呼ぶ。
残余という名前は「その両方でもない」というだけで、特にマイナスの意味はない。
だが、親元を離れ都会で一人暮らしをしている非正規労働者をイメージすれば分かるように、企業福祉による支えも、地域の人間関係による支えも期待できない生き方は極めて不安定で、将来の見通しも全く立たない。
かくいう私もその残余型の人間である。
これまでの経緯から、一人で生きることには慣れっこだが、たまに不安になることもある。
そのため、実家で暮らしているとはいえ、手厚い福利厚生や企業内秩序による明確なキャリアビジョンがイメージできるわけでもなく、いざとなったら助けてくれる地元の友人がいるわけでもない彼女の不安は分かっているつもりである。
・欲しいのは本当に友達?
ナカムラの不安はそれとなく想像できたが、彼女はこのブログの読者ではなく、ペンパルサイトで知り合った人であるため、いきなり「大企業型」だの「地元型」だの話を切り出されても困るだろうし、どのように説明したらいいのか迷っていた。
「彼女は最初のメッセージで『話を聞いてくれる友達が欲しい!』と言っていたことだし、求めている友人関係の話でもするか…」
そう思って友人関係の話から始めることにした。
…のだが、彼女は友達関係の話題には乗り気でなく、恋愛の話を好んだ。
しかも、私の結婚観や過去の恋愛経験をこれでもかと聞いてくる。
そこで、私にある仮説が浮かんだ。
ひょっとして、彼女は友達ではなく恋人や結婚相手を探しているのでは?
もしそうなら、それはよくない傾向である。
2年前に結婚に関する記事を書いたことがある。
今、私たちが「当たり前」だと思っている結婚は「近代的結婚」と呼ばれ、比較的最近になって誕生したものであるが、その特徴のひとつに、経済的な安定と情緒的な満足感を一人の相手に求めるということがある。
そのため、一人の恋人や結婚相手が現れれば、今までの人生をできるかのような過剰な期待を抱いてしまう。
そのような一発逆転の救世主を求める考えはとても危険である。
もし、彼女がそう考えているのであれば、その危険性を指摘して、「微力ではあるが、一人の友人として力になることはできる」と伝えるべきだろう。
だが、恋愛の話を続ける彼女と私の間には大きな溝がある気がした。
そう思うと、私は次第に彼女を避けるようになり、彼女とのやり取りは2週間で終了した。
結局、助けを求めていた彼女に何もできなかった。
彼女とやり取りをしていたのは1ヶ月以上前であり、今ではメッセージはすべて消えてしまった。
プロフィールのURLは辛うじて残っているが、彼女はもう何週間もログインしていないようである。
もちろん、連絡先の聞いていないため、現在の彼女の様子は知りようがない。
他に良い相手を見つけ、その人と順調に仲を深めたから、私への連絡を絶ったのであれば結構な話であるが、そうでなければ、今の彼女の様子が気がかりである。
彼女は私がブログを書いていることは知る由もないが、もしこの記事を読んで、「ひょっとして、これは自分のことでは?」という心当たりがあるのであれば、問い合わせのページからご一報願いたい。
彼女の住まいは私の最寄り駅から電車で片道1000円以上かかる場所だが、数ヶ月に一回程度なら、会いに行けない距離というわけでもない。
私には家族にも恋人にもなれないが、苦しみを分かち合う「仲間」になることくらいはできる。
それが、あの時、助けを求めてきた彼女に何もできなかった私ができる精一杯のことだと思っている。