水泳という悪夢は蘇っても、コロナ前よりも味方は増えたはず

・悪夢の再来

今日は20236月最初の投稿となる。

6月といえば、夏の始まり。

夏といえば・・・

夏休み!!

と、30歳を過ぎた今でも、子どものようなことを考えてしまうが、子どもの頃は夏休みに入る前に鬼門があった。

それは水泳の授業である。

子どもの頃の水泳の経験については2年前にこちらの記事で、私の過去を取り上げたが、当時はコロナ渦ということで、多くの学校で水泳の授業は行われていなかった。

「そんな時代に青春を送れていたらな~」

そんな羨望の眼差しさえ向けていたが、2年も経過すると状況は変わった。

この記事で紹介した通り、昨年からコロナが収束に向かいつつあるということで、夏の悪夢も蘇ってきた。

今にして思えば、先週も特集した在宅勤務を否定し、無意味な出社を強制する悪徳企業同様、「なぜコロナが猛威を振るう内に、完全に根絶できなかったのか…」という悔いだけが残る。

2020年から2021年にかけては平和な夏を過ごしていた全国の水泳嫌いの少年少女たちも、昨年の夏はつらい思いをしていたことだろう。

毎年コンスタントに水泳が襲ってくることはつらいのだが、2年間の平和を経験した後に舞い戻ってくる悪夢は、まるで夏休み明けの91日のように一段と残酷に感じた人もいたかもしれない。

だが、そんな人たちに声を大にして言いたいことがある。

それは…

「今は平和とは言えないかもしれないけど、コロナ前よりも確実に味方は増えている」

ということ。

・根絶は出来なかったが功績は遺した

コロナ渦は水泳嫌いの青少年にとっては、心の安らぎを得られる期間であったが、「嫌い」とまでは言わない人たちにも、少なからず影響を与えた。

学校のプールだけでなく、市民プール、スポーツジムなど多くの場所も閉鎖されたことで、多くの人が水泳の機会を失った。

この2年というブランクのせいで、すっかり泳ぎ方を忘れてしまったという人もいることは容易に想像できる。

そして、かつての私のように、泳げなくなったことが原因で水泳嫌いになる人は決して少なくないだろう。

ということは、元祖(?)水泳嫌いの人にとっては、仲間が増えたことになる。

これは素晴らしいことではないのか?

昨年、Facebookを覗いて得た情報を基に数人の元同級生について取り上げる記事を書いた。

その中に、大人になって一緒に働いたかもしれない中学時代の同級生が登場した。

私と彼は一年間だけ同じクラスだったが、特に交流はなく、この男のように嫌っていたわけではないが、親しかったわけでもなかった。

そんな彼に唯一親近感を持ったのが、水泳の授業だった。

その理由は彼も、完全に不参加だったから。

彼とはそこでも世間話などは一切なかったが、二人だけの間の特別な気持ちが生じた。(そう思っているのは私の方だけだろうか…)

大嫌いだった水泳の授業も、このような交流には一役買っていた。

私が中学生の時はこんな関係になれたのは彼一人だけだったが、コロナによるブランクで泳ぎ方を忘れた人が増えた今、1クラスには4,5人の同士が生まれるかもしれない。

水泳の授業は年中行われているわけではなく、「苦手でも毎日続けていたら上手くなった」とはなりにくいため、この状況は今後数年は続くと思われる。

水泳を根絶できなかったことは残念だが、コロナ前よりも、事態が好転したのは間違いないのだから、今後数ヶ月間悩まされる水泳の授業には絶望することはない。

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