通勤時間が短くなっても生活の質が向上するとは限らない

今の職場で働き出して2ヶ月が経過した。

両手の指の本数以上の転職をしてきた経験から言うと、働き始めて間もない頃はほとんどの職場で前職の良い所だけを思い出してしまう。

もちろん、今回の転職も例外ではない。

そんな中、明確に「前職よりも良くなった」と言えるものがあった(※:過去形であることに注意)

それは通勤面である。

以前の職場だと、乗り換えが2回だったのに対して、現職場へは1回。

電車内の所要時間は10分短縮され、駅から会社までも5分程短くなった。

他には嫌なところはたくさんあっても、通勤面においては今の職場の圧勝である。

数字の上では…

実際に働き出す前はそう思っていたが、毎日通勤していると、そうではないことに気付かされた。

・ささやかな息抜きの場が消えた

乗り換えの回数も、所要時間も減ったはずなのに、今の通勤の方がつらく感じてしまう理由とは何か?

先ずは乗り換え面。

回数が減ったとはいえ、乗り換える駅が東京でも屈指のターミナル駅である。

混雑が酷く、人を避けるために神経を使うし、多くの路線が乗り入れるため、少しでも遅延が発生すると、ホームはたちまち人で溢れ返る。

前職の通勤の乗り換えは2回ともそこまで大きな駅ではなく、神経を尖らせる必要もなかった。

しかも、乗り換えがネックとなるのは混雑の面だけではない。

立地にも大きな問題がある。

仮に乗車駅から降車駅までの駅数を11とすると、前職では3本の路線の駅数が812の割合だったため、かなり偏りがあった。

その結果、最も多くの駅(8)を要する区間では、目の前の席が空くことで座れる機会が多くあり、帰りに至っては始発駅からの乗車だったため、ゆっくりとくつろぎながら乗車することができた。

この隙間時間にスマホでネットを閲覧することがささやかな楽しみだった。

それに対して、今の通勤ルートはちょうど真ん中の6番目の駅で乗り換えることになる。

当然、着席の機会も減り、以前のように、楽しくスマホを閲覧する余裕もない。

通勤時間が短くなったことで、得をしているはずなのに全然楽しくない。

帰路は「早く家に帰ることが出来る!!」というモチベーションがあるだけマシであるが、往路は本当につらい。

コロナ終息により通勤地獄が蘇っている中、出勤前のささやかな息抜きさえも奪われた気分である。

職場のトイレは不潔というわけではないが、この記事で説明した典型的な「排泄のための場所」であり、勤務開始前に落ち着いて気持ちを整える場所ではなく、執務室に至っては、スマホをチェックすることなど出来ない程、あらゆる面で最悪な環境だ。

そんな職場だからこそ、以前と同じように、出勤中のくつろげる時間があったら、どんなに救われたことか…

今の労働環境の悪い面のほとんどは、就業前に知らされていなかったことである。

働き出して初めて、「こんなことをやるのか…」と嘆き、呆れた。

しかし、通勤に関しては、事前にはっきりと分かっていたことであり、誰のせいでもなく、「自分で選んだ」とさえ言える。

それでも、やっぱり「こんなはずでは…」と後悔している。

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