新入社員へ贈りたい3つの言葉2019年編①:仕事ができる人とできない人の差は周囲のサポートの違いに過ぎないことが多い

・新入社員の皆様へ

今日は41日である。

多くの会社で入社式が行われたことだろう。

読者の皆様はご存知だと思うが、海外には新卒一括採用などないため、41日の入社式もない。

会社の社長とまではいかなくても、社会の先輩が新入社員を集めて「ありがたいお言葉」(人によっては「迷惑な自慢話」と読む)を贈ることは日本人相手にしかできない。

というわけで、新入社員が働く上で常に頭に入れておいてほしい言葉を今日から3回に渡ってお伝えする。

今日は41日なので、「新入社員へ」と書いたが、内容自体はすでに働いている人や学生が読んでもかまわないものになっている。

それでは、社会の先輩(笑)のお言葉を心して聞きたまえ!!(と偉そうな顔で言う)

(注:41日といえば、エープリルフールだが、今回、私がする話は自分の体験に基づいた大真面目な話である。)

・仕事ができる人とできない人の差は本人の能力ではなく、周囲のサポートの違いに過ぎないことが多い

仕事を始めて、壁にぶつかると

「いつまで経っても仕事が覚えられない・・・」

「また先輩に怒られてしまった・・・」

「自分はこの仕事に向いていないのかな・・・」

と悩むことがある。

だが、仕事ができない人というのは本人のやる気や能力の問題ではなく、周りの人の影響でそうなっていることが多い。

特に下っ端の従業員ほど、この傾向が強い。

これは私の経験に基づく発言であり、無責任に言っているわけではない。

・自分は仕事ができると思い込んでいた

これは数年前のお話。

当時の私は工場で働いていた。

従業員は多い時でも15人ほどの小さな工場だった。

そこは人の入れ替わりが激しい職場で、私が働きだして半年後には数人の退職者が出たことで私が他の従業員へ指導する立場になった。

ちょうどその時、工場創設時からのメンバーで雑用や汚れ仕事をすべて引き受けていた正社員の男性も退職した。

私は古株、フルタイム勤務、男性と三拍子揃っていため、彼が担っていた雑用を引き継ぐことになった。

この仕事を引き受けた一番の理由は、私をパシリのようにコキ使うお局の婆さんから少しでも離れたかったからなのだが、雑用を引き受けたことが大当たりだった。

今までは自分が担当している作業場のことしか知らなかったが、彼の仕事を引き継いだことで職場の全体像を把握できるようになった。

その頃から、自然と周りから頼られるようになり、私の中に不思議な感情が生まれた。

「彼らが私に次々と仕事を頼むのは私の能力を評価しているからではなく、自分がやりたくない雑用を私に押し付けているだけ」

頭の中ではそれを理解しているつもりだったが、人に頼られているという感覚がたまらなく心地よかった。

そして私は、自分は仕事ができるのだと思うようになった。

今になって思い返すと恥ずかしいのだが、あの時は毎日、出勤するのが楽しかった。

1年ほど経つと、当時の工場長が本社に移動になり、2代目の工場長には私よりも後に入社した50代の男性が就いた。

これで私より前に入社した正社員はいなくなった。

・工場長の入院で自分も失脚する

変化が生じたのは、人手不足による過労が原因で新しい工場長が入院した頃からだった。

詳しい病名は聞かされなかったが、1ヶ月の入院が必要と言われたので、工場長の次に年長の社員である40代半ばの女性(以下:ボス)が工場長代理を務めることになった。

それ以降、彼女とその仲良しグループ(全員女性)を中心とした派閥支配が始まった。

最初は「人手不足を補うための効率化」が課題だったため、彼女が考えた作業工程や備品の保管場所の変更を従業員全員で話し合って決めていたが、一週間もすると、それは仲良しグループの都合だけで、好き勝手に変更されていった。

たとえば、休憩時間である。

以前は、12時になると全員で休憩に入っていたが、軍団の支配が強まると、軍団の都合のいい時間に自分たちだけで休憩に入り、非構成員はそれ以外の時間に入るようになった。

ちなみに、作業工程の変更は軍団の昼食会で決定されるものも多かった。

その結果、ますます軍団のメンバーか否かの差が表れるようになった。

当然、自分たちに都合のいいように作業工程を立てているため、自分たちの仕事は早く終わることになる。軍団のメンバーは「自分たちが仕事ができる」と思い込み、勢いづいて非構成員を口撃するようになった。

作業工程の変更を含む連絡はすべて仲良しグループの口頭で行われる。

だから、構成員ではない私は自分が何をするのかはその時にならないと分からなくなることが増えた。

次第に、指示書の印刷も無くなって、やるべきことは軍団の都合に合わせて、毎日のように変わるようになった。

そして、私はパニックに陥って、全く仕事についていけなくなった。

そんな私に対して軍団のメンバーは次第に語気を強めるようになった。

私はだんだんと職場に行くのが嫌になってきた。

・ボスの失敗はみんなで仲良く見て見ぬフリ

私が軍団の派閥支配でどうしても許せないと思ったのは、仕事ができないことを叱責するのではなく、仕事のミスをすべて非構成員に押し付けることだった。

たとえば、ボスの退社前に、翌日の作業内容が急に変更になり、印刷した指示書を手書きで書き直さなければいけないことがあった。

ボスは、その日は予定があったらしく、途中までやって定時で退社した。(ちなみに翌日は遅番)

すると、翌日に早番のシフトに入っていた入社1ヶ月の社員(軍団のメンバーではない)がその変更に気づかずに作業指示を出して、ボスが出勤した後に作業内容が違うことがわかり、仕事の大半をやり直すということがあった。

どう考えても悪いのは途中で仕事を切り上げて、連絡も書置きもしていなかったボスである。しかし、軍団はこのミスを新入社員のせいにして一斉に非難していた。

おそらく、軍団のメンバーも悪いのはボスだと分かっているのだが、それを指摘してボスに目をつけられると、軍団から外されて虐げられる側に回ってしまうと察知したのだろう。

だから、ボス以外の誰かを必死に犯人に仕立てていた。

一見、仲が良さそうだが、メンバーの陰口ばかり言っている女子中学生の集団がそのまま大人になったような薄気味悪い集団だった。

このようなこともあり、この新入社員は試用期間で退職した。

・自分が仕事ができたのは周りの人に支えられていたおかげ

私は仕事を辞めたくてたまらなかったが、工場長が復帰するまでの我慢だと思っていた。しかし、工場長は復帰こそしたものの長時間働くことができないので、バイト扱いのパートタイマーとなり、主導権はボスが握り続け、この地獄はさらに続くことになった。

私は同じ職場で働いているのに(2代目)工場長の失脚というだけで、ここまで仕事ができなくなるのかと驚いた。

そこで、私は「自分は仕事ができる」と思っていたのは、当時の工場長を含む、他の従業員が私に自由に仕事をさせてくれたおかげ、すなわち、周りの人のおかげであって、その支えがなくなると一気に仕事ができなくなるということを知った。

軍団に虐げられてよかったと思うことなどないのだが、この経験がなければ、ずっと「自分の実力だけで仕事ができる」と勘違いしていたままだったのかなあ・・・と思うとそれはそれで恐ろしい。

まあ、「自分は仕事ができる」と思っていた時でも、軍団のメンバーのように勢いづいて他人を攻撃しなかったのがせめてもの救いだが・・・

余談だが、私は退職した半年後に元工場長(2代目)と電話で話したが、ボスの一派は1人を残して退職していた。

やはり軍団のメンバーは友情ではなく損得勘定で動いていた。

私のケースは極端な例かもしれないが、仕事ができると思っている人は誰かに支えてもらうことを当然だと思っていて、周りの人の大切さを知るのは、それを失った時なのかもしれない。

次回へ続く