昭和時代ですら「日本的」とか「普通」と呼ばれる生き方をしていた人は3割しかいなかった

前回は「過当競争に苦しむ韓国社会は自縄自縛しているだけなのではないか?」というような記事を書いたが、これは決して他人ごとではない。

なぜなら、この国にも、そもそも存在などしない「安定」を求めて、その幻想に縛られている人は珍しくないからである。

彼らはよく「今の日本はフツーに生きることが難しくなっている」と嘆いているが、彼らの考える「フツー」とは何だろうか?

月並みの想像だが、彼らの考える「フツー」とは、「男性であれば高校や大学を卒業した後、一流企業…とまでは言わないにしても安定した会社に就職して、結婚して、子どもが生まれ、ローンで家を買い、子どもの学費を払い、新卒で入社した会社を定年まで勤めた後は、年金で悠々自適の老後を暮らし、女性であればそのような人の妻になる」というものではないだろうか。

こんな当たり前のことも贅沢になった…

と言われているが、そもそも、昔はそんな人が多数派であったのかはかなり疑わしい。

・大企業型と地元型

先日、この本を読んだ。

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学

小熊 英二(著)講談社現代新書

この本では、日本社会の暗黙の了解となっている「習慣の束」を解明しようとしている。

習慣の束とは社会を規定していると同時に行動によって形成されるものである。

それは歩き方やペンの持ち方のように、生まれた時から遺伝として決まっているものではなく、日々の行動の蓄積で定着するが、一度定着すると日々の行動を規定し、変えるのが難しくなる。

今回のテーマはその本の第一章にある「日本社会の3つの生き方」という考え方に沿って進めていきたい。

経産省若手プロジェクトが2017年に作成した「不安な個人、立ちすくむ国家」という文章に「昭和の人生すごろく」というページがある。

(出典:不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~ 平成295月 次官・若手プロジェクト)

それによると、「正社員になり定年まで勤めあげる」(=終身雇用)という生き方をする人の割合は1950年代生まれで34%1980年代生まれで27%だそうである。

たしかに昔に比べて減っているが、重要なのは1950年代生まれの人ですら、たったの34%しかいないということである。

それでは他に人たちはどのような生き方をしていたのか?

分かりやすいように、日本社会での生き方を3つの類型に分けて考えてみたい。

:大企業型

:地元型

:残余型

「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁で働き、「正社員・終身雇用」の人生を送る人たちとその家族である

「地元型」は、地元から離れない生き方であり、地元の中学や高校を卒業し、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地域に根差した仕事に就く。

「地元型」と「大企業型」は一長一短である。

「地元型」は経済面においては「大企業型」よりも劣るが、実家に住むなら住宅ローンはないし、地域の人間関係にも恵まれ、近所からの「おすそ分け」が多い分、支出も少ない。

一方、「大企業型」は地元を離れて暮らしていることが多いだけでなく、転勤があればひとつの地域に長く住むことはないため、地域に足場を失いがちだ

定年後の生き方に迷う問題や、近隣頼れる人がいないことから育児の問題もある。

ローンで家を買うなど支出も多い。

「地元型」と「大企業型」は、それぞれ生きる状況が大きく異なり、違った不満を持っている。

代表的な例はこのようなものである。

2016年に「保育所落ちた日本死ね!!!」というブログの発言が起きた時に、都市部に住んでいる人々には共感する人が多かったが、田舎では園児の数が少なくて経営の危機にある保育所も存在する。

そのような世界を生きている人からすれば、都会の人間の事情だけで大騒ぎされても白けるだけである。

つまり、「日本死ね!!!」と言っても、その「日本」の中には複数の世界がある。

だが、「日本」を論じるとき、念頭に置かれがちなのは「大企業型」である時が多い

それは、論じる人の多くが大都市のメディア関係者で自分の生き方を念頭に置いているからだろう

彼らの感覚でいえば、「日本人」は満員電車で通勤し、保育園不足に悩んでいることになる。

しかし実際には、そうした人は「日本人」のごく一部にすぎない。

・企業にも地域にも属しない生き方

日本の社会保障制度は「大企業型」と「地元型」を前提に作られている

たとえば、年金や健康保険などは企業を基盤にしている大企業型と、地域を基盤にしている地元型の人を念頭に置いて作られていることが分かる。

その一方で、現代の日本社会には「長期雇用はされていないが、地域に足場があるわけでもない」人々が増えつつある。

そうした人々を「残余型」と呼ぶ。

その象徴都市部の非正規労働者であり、所得は低く、地域につながりもなく、持ち家がなく、年金は少ない。

いわば、大企業型と地元型のマイナス面を集めたようなタイプである。

残余型では、非正規雇用だけでなく、中小企業では長く勤めても大企業ほど賃金が上がらなく、勤務先を変えることも珍しくない。

残余型の人たちは大企業型でも地元型でもない人たちの総称なので、すべての人が経済的に困窮しているわけでも、人間関係にも恵まれていないわけでもない。

残余型の人が増えているとしたら、過去の制度が社会の変化に合わなくなっていると言えるであろう。

現代日本社会は、厳密な割合を出すことはできないが、「地元型」が36%、「大企業型」が26%、「残余型」が38%程度と推計される。

1990年代の構造変動と就職氷河期

ここから先は都合上、かなりざっくりとまとめるため、私の解釈や言葉が説明することにする。

詳しい統計や著者が本当にそんなことを言っているのかを知りたい人は直接本を読んで確認してほしい。

「昔の日本は安定していた」と思っている人もいるが、先ほどの昭和人生すごろくの通り、1950年代生まれの人ですら、ひとつの会社で定年まで勤めあげる大企業型の人は3割弱であった。

人口移動や同県人との(もしくは江戸時代の旧藩内での)結婚率、勤続年数に合わせて賃金が上昇していく労働者の推計、高齢者の就業率(大企業型であれば退職後は年金だけで暮らせるはず)から、残りの人は相当数が地元型だったと推測される。

安定していたけれども、その安定は大企業型のような企業福祉だけでもたらされたものではなかった。

そうした社会の構造変動が起きたのが90年代である。

ただし、これはよく言われている、「大企業が高福祉の正社員を切り捨てて、非正規雇用化に切り替えた」ということとは違う。

この時代に大きく減ったのは自営業者数と高卒新卒求人のような地元型の仕事である。

80年代から自営業者の数が減少し、反対に非正規雇用が増え始め、97年には非正規雇用者数が自営業者数を上回り、2010年代に入ると80年代の自営業者数を上回った。

産業別で見ると、飲食、小売り、サービス業が自営業者の減少と非正規雇用の増大がみあっている。

簡単にいうと、自営商店や自営食堂が減って、スーパーや飲食チェーン店の非正規労働者が増えた。

これを先ほどの3つの生き方に当てはめると、地元型の割合が減少して、残余型が増えたといえる。

一方で、この時代の大企業型の正社員は必ずしも減っていない。

それでは90年代から2000年代初頭の就職氷河期やロストジェネレーションといった若者の就職難はどう説明するのだろうか?

たしかに2000年代前半の大学新卒者の就職者数は減少したが、実は90年代はそこまで大きく減っていない。

ウソだと思う人はこちらのページから、本の中でも紹介されていたグラフを見ることが出来る。

(出典:岩脇千裕 労働政策フォーラム 「大学新卒者の就職問題を考える―大学・企業・行政の取組み―」)

この時代に高卒の新卒求人数が3分の1まで落ち込んだことを考えると、全然下がっていないともいえる。

ただし、就職率は90年代に入って大きく下がり続けている。

これは大卒者の数が増えたためである。

これは四年制大学の進学率が91年の25.5%から2004年には40.5%へと増加し、大卒者数も89年の38万人から、2001年には55万人へとなった。

要するに、大卒者が増えても、大卒の求人数は一定で、彼らのすべてを吸収できることができなかったのである。

85年から世代人口が多い団塊ジュニアの受験戦争を緩和するために、大学の定員抑制が緩和され、大学数が450校から2009年には772校まで増えたこともあるが、高卒での就職が難しくなったため、大学へ進学せざるを得なかった人も多くいたことだろう。

つまり、90年代の大卒者の就職難は大企業型の減少によって発生したものではなく、地元型の生活が困難になった人たちが大企業型の安定を求めざるを得なくなり、その争奪戦によって生じたものである。

そこで職に就くことが出来なった人たちが、地元型でも大企業型でもない残余型となり、安定した生活を得ることができなくなったのだろう。

彼らの多くは、80年代に高校を卒業していれば、大学へ進学することなく地元で就職して、地元型の生活を送ることができたのかもしれない。

もっとも、その安定をもたらすのは「年功序列」や「終身雇用」のような日本型雇用によるものではないが。

そのように地元型の大幅な減少によって生まれた数字が、先ほどの

・地元型:36%

・大企業型:26%

・残余型:38%

である。

今日のテーマに沿った内容はここまでなので、本の紹介はここで終えるが、その他にも日本と外国の雇用慣行の違いや、それが生まれた歴史、日本型雇用の起源、日本と海外で異なる学歴の意味など、この社会で生きていくためにはぜひとも知っておいた方がいいことが詰め込まれている。

ただ、この本は600ページ程あり、新書としてはかなり分厚く、内容も簡単に頭に入ってくるものではない。

そのため、一読したら、こちらの動画で復習することをおすすめする。

・個人的な感想

ここからは、日本社会の3つの生き方について、私が感じたことを書いていきたい。

:大企業型は昭和時代ですら3割弱だったという数字

この数字を出してもらえたことは非常に助かった。

昨年、昭和時代は誰でも安定した生活を送ることができたという幻想(大企業で働けた編誰もが専業主婦になれた編)をテーマにした記事を書いたが、多くは私の直感に基づいて書いた記事に過ぎなかったが、その予測は間違っていなかったことを確信できた。

また、地元型である地方生活の安定は企業福祉ではなく、地元の人間関係によってもたらされたものであり、地方社会における非正規雇用の増大は大企業型の安定ではなく、地元型の安定を奪うという視点も有難かった。

私は以前から、「そんなに昭和型の安定を望むのであれば、大量の非正規労働者がいなければ成り立たない大型スーパーや飲食チェーン店をぶっ潰す覚悟はあるのか?」という主張をしてきたが、その裏付けになった。

:どこまでも愚弄される就職氷河期世代

90年代の就職氷河期とは大企業型が崩壊・縮小したのではなく、地元型が崩壊したがゆえに生じたものであり、ひと昔前であれば、地元で安定した生活を送ることができたであろう人たちも、大企業型の安定を得るための競争に駆り出されたことによって生まれた悲劇である。

これは社会構造の変化が原因であり、大企業型の職に就くことができなかった人たちのことを「甘えるな!!」「努力が足りないからだ!!」「仕事を選んでいるだけだ!!」と非難して、自己責任とすることは間違いであると私は思う。

そんな彼らへの支援策として出されたのが、以前の記事でも取り上げた「人生再設計第一世代論」である。

地元で輝く機会を奪われ、「何が何でも大企業の正社員じゃなければダメだ!!」と言わんばかりに、不毛な競争に送り込まれた挙句、非正規の仕事で生きるしかなかった人たちに対して、今頃になって「地方で暮らせ!」と言い出す始末である。

いや、そもそも、その道を奪ったのはあんたらじゃないのか!?

地元型は親戚から受け継いだ持ち家や昔からの人間関係などの貨幣に換算されない社会関係資本が必要となるため、個人の努力だけではどうにもならないものが多い。

彼らは地方へ送ったところで、大企業型の福祉などなくとも安心して暮らすことができるような社会設計を整える議論をした形跡すら見られない。

この社会はどこまで、彼らをバカにすれば気が済むのだろうか?

:「昭和であれば結婚できた」であろう人たち

「昔は誰もが結婚できた」という主張は様々な統計を見ても事実であると思われる。

だが、その一方で「昔はみんな年功序列や終身雇用の下で働いていた」というのは幻想で、そのような人たちは昭和時代ですら3割程度しかいなかったことも確かなようである。

そうではない人たちは、正社員であっても、妻が働きに出たり、親族と同居して生計を立てるか、最初から家族総出で働くことが前提の農業や自営業の人たちで、彼らは企業福祉ではなく、地域や親族の支えがあったから安定した暮らしが送れたのだろう。

その話を聞いて、昔の同僚(1950年代半ば生まれ)のことを思い出した。

彼はしょっちゅう同僚である私たちに、「自分は貧しいながらも必死に娘二人を育てた」という自慢話をしてマウントを取ってきたのだが、よくよく話を聞いてみると、彼の結婚生活とはこのようなものだった。

・前職は飲食店で12年ほど正社員として働いていたが、それ以前は結婚後も仕事を転々としていた。

・そのため、看護師として働く奥さんを税金、社会保険の両方で一度も扶養にいれたことがない。

・正社員で働いていた会社もボーナスや退職金は一切支給されない会社だったため、子ども2人が大学と短大に通うために奨学金を借り、卒業後は本人たちに返済させ、自分は学費を一切負担していない。

いや、それって、日本型福祉の「男性稼ぎ手モデル」を基準に考えると、「扶養の義務を果たした」と言えるの!?

むしろ、全く逆に、「一人では生きていけない人間が、家族に(「精神的に」ではなく、「経済的に」)支えられて生き延びることができた」と解釈する方が妥当なのではないか?

にもかかわらず、本人は「自分が世帯主として家族を養ってきた」と思い込んでいる。

家族にお金のことで散々迷惑をかけたことを堂々と口にして、恥ずかしくないと思っているあたり、彼は妻を扶養に入れられないほど働かせることも、子どもの学費を負担できないことも、「所帯を持つ」ことの最低条件ではないようである。

この令和の時代に「結婚できない!」と憤っている人は、昭和の時代であれば結婚できたかもしれないが、大多数は彼のような「一人の稼ぎで、妻を専業主婦(もしくはパート)化して、子どもの学費をすべて負担することなど到底及ばない」結婚生活を送っていたのではないだろうか?

「そんな結婚生活を送るくらいなら、独身のまま暮らす!!」

という動機で結婚しない選択をしているのであれば、現代の未婚化も十分に理解できそうな気がする。

④:残余型の生き方とどう向き合うべきか

残余型とは「大企業型でも地元型でもない」という意味であり、「残余型はこのような人たちだ」とは簡単に言えない。

ただ、90年代以降、地元型が減少して残余型が増加したということは、地元型として安定した生活を送っていた人が非正規労働をせざるを得なくなってしまった人が多くいるだろう。

そのような人たちはどうすればいいのだろうか?

昭和時代ですら、そのような人たち全員が大企業型の生き方をしていたわけではないのだから、彼らに大企業型の生き方を押し付けることは間違いである。

「これが伝統だ!!」「これが標準的な人生だ!!」と言って、特定の生き方しか認めない社会の行き着く先が前回の記事で紹介したヘル朝鮮だと私は思う。

しかし、地元型の安定が損なわれている以上、気安く「大企業がすべてではないのだから、地元で貧しくとも家族や友人たちと楽しく暮らせばいいじゃないか!!」とも言えない。

それは先ほどの「人生再設計第一世代論」の提唱者や、何が何でも大企業型の正社員しか認めない自称社会人と同じく誠実さを欠くことになるからだ。

この答えは私にも分からない。

かくいう自分自身も直面している問題なのだから。

大企業的な年功序列や終身雇用の世界に身を置くことなど死んでも御免だが、地元へ戻ったところで、地元型のような生活が送れるわけでもない。

他所の地方のことは知らないが、私の地元は大企業型への幻想だけが独り歩きし、「自分たちの生活を守るのは日本型雇用以外ありえない」と信じて、個人商店が潰れることなどお構いないしに、大型スーパーやチェーンの飲食店に迎合している。

そんな所で安定した生活など送れるわけがない。

この記事で書いたような社会があれば、私も迷うことなく地元型の生活を受け入れるし、上京などしなかっただろうが、ないもののことに思いを巡らしていても仕方がない。

大企業型へも地元型へも未練を断ち切って、少しでもマシな生き方をしていくつもりである。