生きるためには「フツーの人生」を捨てるしかないと決心する②

前回のあらすじ。

正社員として働くことが嫌だった私は海外脱出の費用を稼ぐためにアルバイトをしていたが、その職場のおかげで働く自信を取り戻した。

そして、親元を離れ新たな生活をスタートさせたのだが、そこでは想像を超える苦難の連続だった。

・「フツー」という名の凶器

話を2014年に戻す。

今でこそ、彼ら自称フツーの社会人の矛盾を言葉で説明できるようになり、ニューエコノミーのもたらす消費者としての快楽に溺れた彼らが、安定した暮らしを求める権利も、「伝統」などという言葉を口にする権利もないことを指摘できる。

しかし、当時は、彼らが時給数百円のアルバイトに価格不相応の高いサービスを求める一方で、日本型雇用の秩序を尊重していると信じて疑わず、「正社員しか認めない!!」という態度で、その生き方に反する人間のことを外道のように扱う言動不一致と傲慢さには不信感が募る一方だった。(非正規外道論についてはこの記事をご覧いただきたい)

しかも自分はその矛盾に全く気付いていない。

彼らが

「日本の会社は真面目に働く労働者を絶対に見捨てるわけがない!!」

と純粋に会社を信じているだけならそれでいい。

思想も宗教もこの国では自由である。

しかし、自分たちが崇拝する特定の生き方以外を決して認めない原理主義過激派:自称フツーの社会人は頻繁に「フツー」という言葉で他人を攻撃してくる。

「社会人(正社員)なら勤務時間だろうが、勤務地だろうが、職種だろうが会社に言われたことをなんでもすることがフツー

「社会人なら男が家族全員を養って、家事は女がすべて行うのがフツー

「社会人なら風邪を引こうが、電車が遅れようが時間通りに会社へ行くのがフツー

「社会人なら仕事がつらくても絶対に辞めないのがフツー

彼らはそう信じて疑わないが、その一方で彼は自分たちが他人から穏やかな生活を奪っているという自覚があるのだろうか?

そして、(自分が加害者でありながら)それができない人間をどれだけ傷つけるのか分からないのだろうか?

また、劣悪な労働環境であっても「今はそうかもしれないけど、正社員だから将来は安泰に違いない」と勝手に解釈して、そこで働くことをなぜこうもしつこく勧めるのか?

その勝手な自信に満ち溢れた迷惑な押しつけがましさは消費に対しても同じであった。

「社会人ならローンを組んで買い物をして、返済のために死ぬほど働くのがフツー

「(これは主に男性の場合だけだが)社会人なら食事は外食か買い食いで済ませるのがフツー。まともな社会人には手料理を作る時間などない!!」

「結婚式は何百万という大金をかけて、大勢の人(とりわけ利害関係者)を呼んで祝ってもらうのがフツー

「子どもの教育には大金かけて、やりたいことを全部やらせるのがフツー

なぜ、彼らをこうも他人を馬車馬のように働かせて、しつこく消費を煽るのだろうか?

なぜ、こうも人を借金漬けにして、ローン返済の奴隷にしたがるのだろうか?

その歪んだ情熱が薄気味悪くてしょうがなかった。

繰り返すが、自分が信じるだけならそれでもいい。

しかし、当てもないのに「フツー」という生き方を押し付けられてしまうと、気が付いたら莫大な負債を押し付けられて、逃げ場を失ってしまうことがある。

具体的な例を挙げると、独り身で負債も無い場合は、つらい仕事はいつでも辞めることができるが、家族がいたり、借金がある場合は泣く泣く続けざるを得ない。

そんなことを考えていると、自称フツーの社会人とは、道徳の仮面を被って、負債を押し売りして、結果的に奴隷のような仕事を辞めさせまいと考えている悪徳商法のセールスマンのように思えてきた。

いや、逃げ場を失った人は、場合によっては死に追い込まれてしまうのだから、「死神」と呼んでもいいだろう。

・生き残るために「フツー 」であることを捨てるしかない

当時の私がもう一つ反感を持ったのは「日曜日」の過ごし方だった。

求職中だった私はアルバイトの仕事ですら、「ウチはギリギリの人数で職場を回しているから土日祝日は絶対に休めない」と言われ、正直に「『土日は毎週休まなければならない』ということはないが、『絶対に土日は勤務が可能』とは確約できない」と答えて、即不採用を言い渡されることが続いていた。

悪いことは続くもので、派遣会社に登録した際に、平日に週1日習い事に通っていることや、希望残業上限時間を月10時以内と伝えた所、担当者から「若い男性はスキルはなくても長時間働くことが求められるから、勤務時間の制限を求めたらどこも雇ってくれないよ」などという驚くべき言葉を突き付けられたこともある。

これは正社員ではなく、あくまでも非正規である派遣の仕事である。

以前であれば、低い給料と引き換えに保証されていた「気楽な働き方」という利点も奪われ、「仕事がダメでもプライベートを充実させる」という生き方も断念しなければならないの気がした。

だが、「休みなく働け!!」と宣う一方で、「日曜日は休日であることがフツー」と考えている自称フツーの社会人が意外にも多い。

こんな所にも、他人の安定した生活を奪っておきながら、自分は日本型雇用の規範に従っているつもりでいる彼らの傲慢さを感じた。

そして、この事件が決定打となり、私はこの社会で「フツー」の生き方を強いられながらも、その「フツー」から疎外された人間なのだと確信した。

その日を境に、私は彼ら、自称フツーの社会人は「自分を迫害する敵」だと認識し、彼らが「フツー」だと崇拝している「仕事の安定」も「消費の楽しみ」も「充実したプライベートな付き合い」も徹底的に拒絶しようと決めた。

彼らのような、無邪気に人を傷つけ、笑顔で人を殺せるゲス共が「立派な社会人」であるのであれば、私は喜んで外道として生きる。

自分が生き残るためにも、加害者にならないためにも。

具体的には

自分は自称フツーの社会人の考える「フツー」の人間ではないとハッキリと認識する。

仕事は生計を成り立たせるための最低限しか頑張らないし、モーレツサラリーマンのような働き方は断固として受け入れ拒否する。

消費も必要以上のものは買わない。

暇つぶしのための趣味はお金のかからないものにする。

特にストレスを発散するための衝動買いや自分へのご褒美は徹底的にマークする。

外食、買い食いを極力避けて、仕事へ行く時は必ず弁当を作る。

自分の家庭を持つことは完全にあきらめる。

誰かの共感など求めず孤独に生きていく。

そう決意したのであった。

私が最近知った言葉で「サイレントテロ」というものがある。

この社会に虐げられていると思っている人たちが、暴力のような目に見える形ではなく、競争や経済活動への参加を拒否することで自分たちの置かれている不当な支配に抗議することである。

分かりやすく言い換えれば「働かない・消費しない・結婚しない(子どもを作らない)」の3ないサボタージュ運動である。

一人ひとりの行動から生まれる効果はわずかなものであるものの、大勢で行えば、その影響が深刻となって物が売れなくなり、企業はバタバタと倒産する。

自分たちは人生の生きがいや喜び、楽しさを捨てることになるが、それと引き換えに自分たちを苦しめる腐った社会へ復讐を果たすことができる。

当時の私も同じようなことを考えていた。

自称フツーの社会人が考える「フツー」の人生など決して手にできないが、その「フツー」を徹底的に拒絶することで抗い続ける。

それだけでも生きる意味があるような気がした。

安定した仕事も、充実したプライベートも手にできない虫けらであっても、自分を迫害する存在を「敵」だと認識して憎しみを燃やし、徹底的に拒絶し続ければ、不思議と絶望などせずに生きていくことができた。

私は経済的にも、精神的にも、この社会で生き延びるために「フツー」であることを拒絶するしかなかった。

・消えない憎しみ

5ヶ月間の求職活動の末、次の仕事に就けたのだが、就業後も失業中に蓄積した憎しみが消えることはなかった。

今の自分が職に就いているのは運がいいだけで、歯車が狂ったらまた同じような状況に転落してしまう。

そんな気がした。

それ以降、私は仕事をしながらも「自分かいかに自称フツーの社会人の考えるフツーに抵抗できるのか」を考えるようになり、次第に貯金、読書、英語の勉強以外への興味はなくなった。

それまで無邪気に楽しんでいた消費も、その裏には搾取されている人の血と涙があるように思えた。

たとえ外道に身を投じても、人の心を失いたくなかった私は、どこぞの殺人部族のように笑顔でその略奪を楽しむ気にはなれなかった。

また、その頃から、お金に関してある考え方が生まれた。

生きていくためにお金が必要なのは誰もが同じだろうが、私はお金が彼らに抗うためのカギになるのではないかと思えた。

実際、求職中だった時のように、十分な貯金があれば、劣悪な条件であっても泣く泣く働かざるを得ないということを回避できる。

だから、通帳の残高が増える度に戦う武器が増えているような喜びがあった。

もっとも、私がお金に固執するようになったもう一つの理由は「目の前のお金よりも、将来の昇給と安定」などというウソを吹き込み、人のことを奴隷のように働かせようとする自称フツーの社会人への反感からでもあったが…

「お金は絶対に裏切らない」という確信があったが、一方で仕事関係で付き合う相手、つまりお金で繋がっている人は絶対に信用しないと誓った。

どんなに優しくて穏やかな人でも、「社会人」という悪魔の仮面を被ったら獣に変わるという確信があった。

そんな危険な相手に心を開く気にはなれなかった。

こうして私は以前のように同僚と楽しく世間話をしたり、連絡先を交換して職場外で会うことは一切なくなった。

残った数少ない趣味の一つは読書であり、これは自称フツーの社会人へ抗うための知識を身に着けて、彼らの化けの皮を剥がすことができると思えた。

そして、英語の勉強に没頭する時だけは自分の置かれている状況と向き合わずに済んだ。

英語を上達させれば、ゆくゆくは海外へ脱出して、自分を苦しめる社会(厳密にいえば「社会人」と自称している人物)とは完全に縁を切ることができると思った。

そうしたら、一度は捨てたはずの「普通で穏やかな(少なくとも職場の人を敵だと思わずに済む)生活」をもう一度、手にすることができるかもしれない。

そんなかすかな希望があった。

当時の私がフルタイムで働きながら毎日数時間も英語の勉強ができたのは勤勉だからではない。

早く英語を覚えて海外へ脱出できれば人間らしい生活が手に入る。

そうすれば自分を迫害する自称フツーの社会人とも縁を切ることができる。

それだけが当時の私の生きる希望だったからである。

・オメラスの理想郷を去る

このようにして、「フツー」の生き方を憎み、「生きるためにプライベートを捨てる」という今の私のコアができたのだが、当時の私に全く迷いがなかったというわけではない。

たとえば、前回の記事で書いた通り、2014年はある習い事に通っていたのだが、年度末の最終授業終了後の打ち上げパーティーの時に講師と数人の年配者が気を利かせて(?)、私と同じく恋人がいなかった同年代の女性との間にお見合いのようなものをセッティングしてくれたことがあった。

私が言うのも大変恐縮だが、彼女はなかなか魅力的な外見をしていて、定職に就いており、二人で会話をしている時はそれなりに楽しかった。

その時、孤独を感じていた私は、これまでの生活から足を洗って、彼女と共に「フツー」の人生を送る幸せが一瞬頭をよぎった。

だが、すぐに我に戻った。

たとえ自分が「フツー」の生活を手にすることができても、その「フツー」とは無数の犠牲の上に成り立っている偽りの「幸福」に過ぎない。

もしも、自分がその「フツー」を手にする側になったら、これまで非難してきた社会の矛盾が見えなくなる(見て見ぬフリをする)ことが怖かった。

詳しくは覚えていないが、当時何かのテレビで「オメラスの理想郷」という話を聞いたことがある。

オメラスとは美しい自然が溢れ、人々は皆健康で、争いのない平和な世界なのだが、その国の地下室には1人の子どもが汚物に塗れ、ろくに食事も与えられずに捕えられている。

そして、オメラスがユートピアであるための条件はその子どもを地下に閉じ込めておくことである。

もし、その子どもを牢獄から解放すると、オメラスの平和は消滅してしまう。

そのため、オメラスで暮らす人々は、その子の存在を知った上で見て見ぬフリをしている。

今、この社会の「フツー」の人生を送っている人はオメラスの理想郷を生きる人と似ていると思った。

もっとも、この社会で犠牲を強いられているのは子ども1人ではないが…

そんな犠牲を強いる「フツー」の生き方に何の価値があるのか?

その犠牲がないと成り立たないのなら、私は「フツー」の生活なんて要らない。

自分がつらい思いをして働くことは嫌だけど、人を傷つけるのも嫌だ。

私はそんなオメラスを去りたかった。

というわけで、私は彼女に自分の思っていることをすべて伝えた。

・自分はこの社会で求められている「男性正社員」として生きるつもりはないこと。

・休日には、二人で楽しく旅行や買い物に出かけるような生活よりも、一人で本を読んだり、英語の勉強をする方が楽しいと思うこと。

・遠くないうちに、この国を去るつもりでいること。

・だから、私が彼女を幸せにすることは不可能だということ。

こうして私は彼女の前から去った。

今後は恋愛したり、彼女を作ったり、結婚して家庭を持つことはできない。

充実した人生も幸せな家庭も手にする資格はない。

それでも構わないと思った。

私には私にふさわしい世界があるはずだと確信していた。

幸か不幸か、当時は親しい友人もいなかったため、私を止めてくれる人はおらず、決心に揺るぎはなかった。

・これからのこと

これが今の私の原点となった2014年の経験である。

私はあの時、「生きがい」や「楽しい」といった感情を殺し、人生の幸福追求を捨ててでも、自称フツーの社会人に抗い続けると決めた。

たとえ、誰からも理解されずに外道の道を歩んでいると思われても、彼らの化けの皮を剥がすことだけができれば、それが生きる意味になると思った。

それから5年が過ぎた。

「海外へ脱出して自称フツーの社会人と縁を切る」という当時の目標は達成できていないし、時折、失ったものについて考えてしまうこともあるが、今でも「フツーの生き方」に戻るつもりはないし、戻れるとも思っていない。

仕事の安定などいらない。

楽しみなどいらない。

理解者などいらない。

そう思って生きてきた。

あの時から変わったことは英語が上達したことと、たくさんの本を読んで、多くの知識を得たことである。

特に私は「フツーじゃない人たち」に関する本を好んで読んだ。

その時に得た知識が私と同じ外道だらけのシェアハウスで生活することに役立った。

そして、そこでの経験がさらに私を成長させた。

今の私は立派とは言えないし、この男のように社会への憎しみを人の役に立てることができているとは言えないことは重々承知している。

ただ、この社会から見捨てられている人や適応に苦しんでいる人の声に耳を傾けることは出来る。

そんな彼らを励ます記事を書くことはできる。

それが「フツー」であることを放棄し、外道として生きている私にできる数少ないことだと思っている。

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