
3/5(木)に2026年のWBCが開幕した。
日本代表は6日の台湾戦に13-0とコールド勝利して、白星発進と幸先のいいスタートを切った。
WBC,日本が台湾にコールド勝ちし白星発進 大谷翔平が満塁ホームラン – 日本経済新聞
この試合には多くの国民がテレビの前で興奮しながら観戦…
…とはならなかった。
なぜなら、日本ではNetflixが放送・配信権を独占しており、それ以外では試合が中継されないという状況になっているからだ。(ラジオでは中継される)
【WBC】Netflixのみの独占配信、背景に放映権料の高騰 今回は同社に直接権利付与 – 日刊スポーツ
もちろん、地上波テレビも例外ではなく、試合中継を視聴するには有料プランへの加入が必須となる。
野球ファンの中には、この状況に強い不満を抱いている人も少なくない。
「せっかくの国際大会なのに、テレビで見られないのはおかしい!!」
「Netflixに課金しないと試合を見られないなんて納得できない!!」
「テレビの前でみんなで野球を見て盛り上がるのは日本の文化なのに!!」
このように嘆く声もよく聞く。
たしかに、一見すると、こうした訴えはもっともらしく感じる。
しかし、私は今回の状況について「おかしい」とも「金儲けしか考えていない主催者やネトフリが悪い」とも思わない。
むしろ、ある意味では当然の帰結ではないかと感じている。
その理由は、過去の日本のテレビとプロ野球の関係を振り返れば見えてくる。
・地上波から消えた野球放送

今から25年ほど前の2000年代前半までは、プロ野球の巨人(読売ジャイアンツ)の試合は、ほぼすべてがテレビで全国中継されていた。
特にゴールデンタイムには巨人戦が当たり前のように放送され、長嶋茂雄や王貞治のような国民的スター選手の引退後も日本のテレビ文化の象徴とも言える存在だった。
ところが、2000年代の中頃になると状況が変わり始める。
巨人が数年間優勝から遠ざかり、チームが低迷したことで、徐々にテレビ中継が減少していったのである。
当時はよく「巨人が勝てなくなったから視聴率が取れず、スポンサーが離れた」という理由が語られていた。
確かに、それは一つの要因だったのだろう。
しかし、その説明だけでは不十分である。
なぜなら、2000年代後半から2010年代前半にかけて、巨人は再び強さを取り戻しているからだ。
2007~2009年、2012~2014年とリーグ三連覇を二度も達成するなど、チーム成績は明らかに復調していた。
それにもかかわらず、テレビ中継の減少という流れは止まらなかった。
つまり、問題は「巨人が弱かったから」ではない。
もっと根本的なところで、日本のテレビと視聴者の意識が変わってしまったのだ。
テレビ局は、視聴率や広告収入を見ながら番組編成を決める。
もし本当に巨人戦が社会にとって必要不可欠なコンテンツであれば、多少の低迷があったとしても、ここまで急速に放送が減ることはなかっただろう。
要するに、テレビ局も視聴者も、「プロ野球のテレビ中継はこの社会にとって必ずしも必要ではない」と判断したということだ。
今回のWBCの件は、その延長線上にあるに過ぎない。
もし、今でもかつてのように毎日のプロ野球の試合が地上波テレビで放送されていたら、今回の状況は全く違っていたはずだ。
仮にWBCの放送権をテレビが確保できなかった場合、「テレビがWBCを放送できないなんてありえない!!」という声がもっと大きな社会問題になっていただろう。
野球中継がほとんどテレビから姿を消した状況の中で、国際大会だけを特別扱いして「テレビで放送されるべきだ!!」と主張しても、説得力はない。
自分たちは野球中継を見捨てたにもかかわらず、
「自分たちが好きな侍ジャパンの試合だけは見たい!!」
「高視聴率が期待できるからテレビで放送したい!!」
と今になって言い出すのは、あまりにも虫が良すぎるのではないだろうか。
・対岸の火事

「対岸の火事」という言葉である。
自分には直接関係がない出来事だと思い、特に関心を持たずに放置してしまう。
しかし、その影響が巡り巡って、自分の身にも及ぶことがある。
私はこの言葉を思い出すたびに、ある身近な例を連想する。
以前、「最近は男性がトイレで小便をする時でも、個室トイレを使うことが多いので、会社や公共施設から小便器を撤去した方が良いのでは?」という話を聞いたことがある。
私も普段公衆トイレで用を足すときは小でも個室トイレを使う。
そのため、小便器撤去の方針を聞いても、最初は自分には関係ないように思えた。
「どうせ個室しか使わないのだから、別に構わない」
だが、現実にはそう単純ではない。
小便器が撤去されれば、これまでそちらを使っていた人たちも個室を利用するしかなくなる。
その結果、個室の利用者は増え、順番待ちの時間は確実に長くなる。
しかも、個室トイレは小便器よりも出入りに時間がかかるため、端目で見ていた時のようにサクッと終えることも出来ないだろう。
つまり、自分が使っていない設備であっても、実はその存在によって間接的な恩恵を受けていたということだ。
「自分には関係ない」と思っていたものが、実は社会の中でバランスを保つ役割を果たしている。
そうした仕組みは、私たちが思っている以上に多い。
「対岸の火事」だと思っていた出来事は、時として静かにこちら側へと燃え広がってくる。
今回のNetflixによるWBC放送独占も、これと似た現象なのではないだろうか。
・かつて言い放った冷酷な言葉が突き刺さる

このような話を踏まえると、「テレビでWBCを見れない!!」と憤っている人たちが、最も糾弾すべき相手は、大会の運営者でも、Netflixでもなく、かつて、野球中継のテレビ放送の減少を容認してきた人たちであることが分かる。
もしかすると、それは他人ではなく、かつての自分なのかもしれない。
当時はプロ野球の全国中継が減少していくことを嘆く人に対して、冷ややかな言葉を投げる人たちがいた。
「野球中継なんて、興味がない人には迷惑で、むしろ今までが異常だったんだ!!」
「そんなに野球が見たければ、金を払ってネット動画で見ればいい!!」
「ビジネスに個人の感傷的な意見など不要!!」
こうした言葉は、当時インターネット上でもよく見かけた。
そんなことを言っていた人が、今はWBCをテレビで見られないことを嘆いているのならお笑いである。
これぞまさしく自分たちが望んだ社会であり、彼らにはかつて自分たちが発した言葉をそっくりそのまま突き付けよう。
「そんなに野球が見たければ、お金を払って配信サービスで見ればいい!!」
普段は「外国人は(日本)社会のルールを守らない!」と声高に叫び、彼らへの断固たる厳しい措置を望んでいる人たちは、YouTubeに違法アップロードされている日本戦の動画を見かけたら、悪魔の誘惑に惑わされず、すぐに運営へ違反報告してださいね~♡
これは決して皮肉ではない。
むしろ、かつて多くの人が支持してきた価値観そのものだ。
日常的なプロ野球中継がテレビから消えていく過程を、多くの人は「自分には関係ない」と思って見過ごしてきた。
その結果、野球というコンテンツ自体がテレビの編成の中で重要な位置を占めなくなってしまった。
そして今、その影響がこれまでは無縁だ思われていた国際大会にまで及んでいる。
見事なまでの伏線回収である。
これで彼らも自分たちが大好きなコンテンツを奪われる痛みを十分知ったことだろう。
NetflixはWBCの放送独占により、収益だけでなく、かつて、巨人戦が放送されなくなることに胸を痛めてた巨人ファンの敵討ってくれたと言える。
最後に余談であるが、私はNetflixの契約者でも巨人ファンでもない。
子どもの頃は常に相手チームの選手(井端監督もその一人だった)を応援する目的で、巨人戦を見ていたことは正直に告白しておく。









