生活が苦しいのにボーナスではなく基本給を上げることを目指さない謎

先日、こんなニュースを見かけた。

冬のボーナス巡り長野中央病院の看護師ら150人が3度目のストライキ 前回回答に0.2か月上乗せも前年のほぼ半分の水準に抗議 越年闘争の見込み | SBC NEWS | 長野のニュース | SBC信越放送 (1ページ)

冬のボーナスめぐり29分間のストライキ「しっかり医療介護がしたいから…私たちの生活を守って」長野地域民医連労働組合 看護師や薬剤師など150人が参加 (2024年12月3日掲載)|テレビ信州NEWS NNN

大まかな概要はこちら。

  • 123日、長野市の長野中央病院で看護師や薬剤師など150人が冬のボーナスをめぐり29分間のストライキを決行。

  • 病院側は経営状況の悪化などにより、前年比で0.7ヶ月ダウンとなる0.8ヶを提示したが、組合は2.8ヶ月の支給を要求して交渉決裂に終わったことがストの原因。

  • 11月に交渉を行うもまとまらず2度のストライキが実施され、これが3度目となる。

一連の動きに対して、「30分にも満たないストライキで効果があるのか?」と疑問を呈する声もあるが、病院という職場上、それは致し方ないのかもしれない。

少なくとも、数年前に某大手鉄道会社の組合が行った「ベースアップの要求が認められなかったため、自己啓発活動をボイコットする」などという小学生のプチ家出以下の闘争とは、比べるのも失礼な程、骨がある抵抗だと思う。

JR東労組が「敗北宣言」 スト計画の顛末…3万人脱退、立て直し前途多難(1/4ページ) – 産経ニュース

余談だが、鉄道会社のストの方は、その程度の反抗にすら組合員の2/3が怖気づいて組合から脱退するという醜態まで晒した。

もしかすると、怖気づいて逃げ出したのではなく、組合があまりに弱腰だから「こんな生ぬるい活動じゃあ、一生給与なんて上がらない…」と呆れて決別した可能性もあるが…

そりゃあ、経営側に舐められますわ…

・不健全な生活費のやりくり

労働者が給与に納得できずストライキをすることについて大いに結構だと思う。

今回ストライキを行った病院に限らず、「ボーナスが低いから生活が苦しい」という声を街やネットの至る所で耳にする。

だが、私はそういった話を聞く度に毎回釈然としない気持ちになり、こんなことを言いたくなる。

「生活が苦しいなら、なぜボーナスではなく、基本給のアップを要求しないのだろう…?」

私は実際に従事したことがないので、知ったようなことは言えないが、医療業界は業務を効率化して、生産性を上げて、会社の利益を増やすことが目的ではないので、「今年は会社が儲かったから」とか「頑張って営業成績を上げたから」という理由でボーナスとして労働者に還元できる職種ではない。

そのため、ボーナスという制度自体が馴染まない気がする。

そもそも、医療以外の業界であったとしても、「基本給が低すぎて、毎月の生活は赤字だから、ボーナスという臨時収入で補填する」という考え自体が不健全である。

もっとも、当てにできる時点で、「臨時収入」とは言えない気もするが…

だったら、基本給を上げる方が遥かに生活の安定に貢献するのではないか?

営業職にありがちな成果に応じたインセンティブを除くと、ボーナスを支払う根拠には大きく分けて下記の2つの根拠がある。

(「正社員なんだから、一律に賞与は〇ヶ月分よこせ!!」という意味不明な主張を展開するアンポンタンもいるが、論じるに値しないため、ここでは取り上げない)

  • :好景気や業績アップなどで会社が儲かったから、従業員に還元する。

  • :査定期間内に従業員が頑張ったから、ご褒美として支給する。

「ボーナス」と聞いたらこの2つは思い浮かべるが、両社は必ずしも一致しない。

私が守銭奴悪徳経営者だとしたら、全く異なるこの理屈を都合が良いように使い分けて、極力支出を抑えようとするだろう。

たとえば…

  • 不景気や業績悪化の時 → 「今年は会社が苦しかったから…」と言って、個人の頑張りを無視して一律に抑制する。

  • 会社が好調の時 → 個人査定を徹底して、退職されたら困まるスーパーマン以外の分は「会社は潤ったけど、あんたは成果を出していないから、これだけね」と出し惜しみする。

これらはいずれも法律違反ではなく、ボーナスのような不確実なものに期待することがいかに危険なのかがお分かり頂けると思う。

最近でこそ、非正規でもボーナスを支給する会社は出てきているが(このような悪徳派遣会社は除いて)、今でも正社員の専売特許のように語られ、「ボーナスが出ることこそが正社員の魅力」と考える人も少なくない。

ところが、「安定」を求めてサラリーマンをやっている人が、ボーナスの支給を当たり前だと思って、そんな不確実なものの助けを必要とするとはおかしな話である。

・お金がなくても夢はある

このように、変動性であるボーナスに生活費の期待をすることは、かなりリスキーで、期待通りにボーナスが出ないことで貧困に陥ったとしても、それこそ自己責任であろう。

というのが理屈なのだが、人間には感情があり、すべての思考や行動が理論的に基づくわけではない。

むしろ、逆で「不確実だから、『もしかしたら自分も…』と期待したくなる」のではないか?

詳しいデータを見たわけではないが、基本給の昇給なら、あったとしても一回では、せいぜい月に数万程度だろう。

それにこの記事に書いた通り、転職や交渉、組合活動など、リスクを背負ったり、かなり労力を費やす必要がある。

ところがボーナスは、「前回が0でも、今回は3ヶ月分」というように爆増する可能性もある。

そして、上記のような昇給のための闘争も一切必要としない。

自分では何の努力もしない他力本願であっても上がる可能性がある。

長野市の病院のように、ストライキを決行してでも「ボーナスを上げろ!!」と主張することなど例外中の例外と言える。

つまり、ボーナスは宝くじに匹敵する夢を与えてくれる存在なのだ。

「ボーナス・イズ・マイドリーム」

こうして、彼らは今年もボーナスに夢を膨らませるのだ。

「で、生活は潤うの?」

と突っ込まれたら、そこまでだが…

そんな時は「うるさい!! 夢を見るのは自由だろ!!」と言い返そう。

結局、「誰に向けた記事やねん?」というところで今回は終わりにさせてもらう。

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