時の流れは早いもので、9月も半ばに突入した。
昼間は蒸し暑いが、夕方の時間帯になると、涼しい風が吹いて秋になったことを実感する。
昨年の10月、数本の記事の見出しで、「秋は思い出深い出来事が多く、毎年秋の訪れとともに過去を思い出すことが増える」と書いた。
それは主に楽しかった記憶だが、もちろん、つらい過去を思い出すこともある。
今日はその時の話をしたい。
・就労前の期待
数日前の夕方のことだった。
自宅の最寄り駅で仕事帰りの電車を降りると、辺りは暗くなっており、涼しい空気を浴びた。
その時、私は2012年の9月のことを思い出した。
当時の私はこの記事で紹介したコンビニでブラックバイトの沼に陥っていた。
あの時は嫌な思い出しかないが、10年も経つと、当時を冷静に振り返ることができるようになった。
私がコンビニで働こうと思ったきっかけは2つある。
ひとつは勤務時間。
私が働いていたのは夜勤のシフトで昼間に働くよりも時給が高かった。
しかも、当時は夜になかなか夜寝つくことができなかったため、「夜に仕事をした方が効率がいいのでは?」と勝手に思っていた。
そして、もうひとつは環境面。
面接の数日前に、別の職場の面接も受けていたが、そこは市場の作業場で行う野菜加工の仕事で、担当者曰く、「夏は暑くて、冬は寒い」という体力面で厳しい職場環境のようだった。
それに比べ、コンビニであれば、冷暖房完備の室内で仕事ができる。
しかも、野菜の加工のように手が荒れる仕事はない。
この2つの理由に加え、コンビニのバイトの方から先に採用連絡が入ったことで、翌日からそこで働くことに決めた。
採用連絡の数時間後、野菜加工の仕事の方も採用の連絡が入り、私は(言葉では申し訳なさを伝えつつ)心置きなく辞退した。
だが、翌日、早くもその時の決断を後悔するようになった。
・地獄の3日間
翌日、私は研修という形で昼間に3時間働くことになった。
しかし、前日の夜は喉の痛みと息苦しさを感じ、ほとんど眠ることができなかった。
朝に起きた時は、頭もボーっとしていた。
多分、風邪を引いたのだろう。
2022年にこのような体調不良を起こせば、すぐに出勤停止を言い渡されるだろうが、当時はそのようなことは「甘えるな!」の一言で一蹴される時代だった。
しかも、勤務初日で休んだりしたら、すぐに見切りを付けられるかもしれない。(その方が有難かったが…)
そう思って、無理して出勤した。
だが、私の気持ちとは裏腹に、同僚の態度はあまりにも酷かった。
先ずはレジ業務から始めるのだが、初日に共に働くことになった3人の女性は、自分たちを中心とした仲良しグループで固まり、私にダメ出しばかりでろくに研修など行わなかった。
それまでレジの経験がなく手間取る私に対するフォローも一切なしである。
加えて、副店長の肩書を与えられていた古株のパート(ババア)は、私が風邪を引いていることを知りながら、「もっと大きい声を出す!!」とパワハラ紛いの罵声を浴びせてきた。
私の心が打ちひしがれたのは同僚の悪態だけではない。
後に他店での就労経験がある人から聞いて知ったのだが、その店は客とのトラブルを避けるために、マニュアルを徹底する店だった。
そのため、接客用語の使用や態度も細かく矯正され、まるで自分が機械にでもなったかのような無力感に襲われた。
その上、客要望は多様で、憶えなければならないことが多すぎる。
「コンビニのバイトはとても簡単で最初に働くにはもってこいの仕事」などと言われているが、コンビニの仕事はこんなにつらいのか…
少なくとも自分には合わない。
本格的にシフトに入る前に、そんな地獄のような3日を過ごした。
今思うと、その時点で退職を申し出ればよかったが、当時の私は「(これまでの転職歴から)3ヶ月は勤めたら円満退職できる」と思い込んでいた。
深夜のシフトに入ると、暇な時間や、相方と世間話を楽しむ余裕も増えたことで、人間関係のつらさは解消されたが、やはり、それでも最初に感じた「コンビニの仕事が自分には合わない」という気持ちは消えなかった。
しかも、深夜のシフトは屋外の掃除や、肉まんやおでんケースの清掃などがあり、「完全屋内の仕事で、手が荒れるような作業も一切ない」という就労前の期待も実現しなかった。
また、夜勤で働くことは睡眠の調整が難しく、眠れない時間の有効活用など全く不可能だった。
その後も、犯罪沙汰に3度も巻き込まれることになったり、退職宣言後はオーナーも敵に回してしまうなど散々な目に遭った。
その時の詳しい状況はこちらに書いているので、今回は省略するが、オーナーの脅しによって円満退職が不可能であることは察した私は人生初のバックレを強行。
自分の読みの甘さがあったことも重々周知しているが、そこはそれまでの自分の常識が一切通用しない職場環境だったため、今でも忘れることができない。
・後の人生に良い影響を与えたことも確か
今日のテーマはタイトルの通り、コンビニのバイトが「いかにひどかったのか」ではなく、「後の人生で役に立っている」と思えたことである。
本当にろくでもない仕事で、二度とやりたくないと思っているが、それでもプラスになったことはあった。
ここからはそれを3つ取り上げたい。
①:人間の不完全さを受け入れられるようになった
私がコンビニの仕事に馴染めなかったのは、徹底したマニュアル作業だった。
このような言葉が適切なのかは分からないが、その本質はすべての作業を定型化して、人から個性や人間性を奪い、機械のように振る舞わせる「非人間化」にあると感じた。
労働者に対する振る舞いだけでなく、扱う商品に関しても同じである。
たとえば、食品はひとつひとつの規格が気持ち悪い程、均一であり個体差がほとんど感じられない。
そのようにマニュアルを徹底することで客の不満を事前に防いでいるのであろう。
今思うと、黒歴史甚だしいが、働く前はそのようなシステムが素晴らしいと思っていた。
だが、コンビニで働いたことで、それがいかに恐ろしく、薄気味悪いことであるのかを知った。
それまでは、手作り料理の不完全な出来や、世間話をしたりして客のプライバシーにズケズケと入り込んでくる店員が嫌いだったが、それがすべて人間らしく、愛おしい思えるようになった。
夜勤の初出勤の前の夕食のことを今でもよく憶えている。
その日は祖母が焼いてくれた卵焼きと鮭を食べた。
以前であれば「コンビニ弁当やカップ麺の方がおいしいのに…」と思っていたが、研修でひどい目に遭ったことで、手作り料理の素晴らしさが身に染みた。
また、それまでは「安い・早い・ウマいが最高!!」、「働く奴のことなんか知らん!!」という常に消費者目線の考えを改めるようになり、飲食店での食事についても(口には出さなかったが)「早く料理を持ってこいよ!!」という態度も一切出さなくなった。
②:コンビニに頼らない習慣が生まれた
バイトをする前の私はコンビニが大好きだった。
完璧に整えられた料理や、ズケズケと客のプライバシーに介入しない接客が好きだったことは先ほども述べた通りだが、24時間営業で、全国どこへ行っても同じサービスが利用できるというアクセスビリティに加え、ATMがあり、宅配の手続きなど、何でも行うことができる高い汎用性。
「コンビニがあれば他のボロくて、不便で、サービスが悪い店はどんどん潰れても構わない」
本気でそう思っていた。
しかし、自分が実際に働くことで、コンビニの闇を「これでもか」と実感した私は、バイトを辞めた後、コンビニという存在から足を遠のけることになった。
その結果、買い物はほぼほぼスーパーやドラッグストアで行うようになった。
コンビニと違い営業時間は限られるが、慣れれば不便は全く感じない。
その上、値段も安い。
現金の引き落としも、金融機関のATMを利用することになった。
もちろん、営業時間内であれば手数料は発生しない。
そして、昼食は自分で弁当を作ることになった。
こんな生活を送っていると、コンビニの便利さに頼り切っていた当時の自分がいかに堕落していたのかが身に染みる。
③:今までの職場がいかに恵まれていたかを知った
先の2つは以後の私の人生で大きな影響を与えることになったのだが、働いた時からその有難みを存分に感じたのが、こちらである。
それまでの私は、親戚のコネで始めた地元の販売の仕事を中心にあまり有名どころではない会社で働いていた。
仕事内容も目立たないバックヤード業務である。
だが、そのようなパッとしない印象はあくまでも、消費者としての視点で見た時の話で、労働者として働く時は大変恵まれていることを実感した。
商品の加工も、接客態度も、それなりに定めがあるものの、精神的な自由度はコンビニとは比べ物にならないほど高かったのである。
言い方を変えると、「私が早川鉄男という人間でいられた」職場だった。
そして、困った時はすぐに同僚に頼ることができる人間関係にも恵まれていた。
当時はそれが当たり前としか思っておらず、あの魔境で働かなくては有難みを実感することができなかった。
コンビニのバイトという仕事は私に自由と仲間の尊さを教えてくれた。
そのコンビニを3ヶ月で退職した後は、年末に入ったこともありなかなか仕事が見つからず、3ヶ月後にようやく次の職場に就くことができた。
次の職場でも嫌なことはたくさんあったが、それでもコンビニに比べたら天国だった。
そこで働いていた一番の動機はこの記事で書いた通り、留学の資金稼ぎのためである。
コンビニの仕事は時給が高い夜勤だったものの週4日しか働くことができず、その後の3ヶ月の無職期間もあり、留学計画は大きく後ろへずれ込むことになった。
もし、就業前に、コンビニの仕事ではなく、もう一つの応募先だった(環境面はしんどくても経験はある)野菜加工の仕事を選んでいたら、もっと早くお金を貯めることができたかもしれない。
当時はそう思って後悔していた。
しかし、コンビニの仕事を経験していなければ、それまでの職場環境がいかに恵まれていたのかを知らない傲慢な人間のままであり、次の仕事でも些細なことが原因で辞めていたかもしれない。
そう考えると、あのクソのような職場も今の私に良い影響を与えてくれたことは確かなようである。