前回、前々回と毎年恒例の新入社員へ贈りたい3つの言葉2022年編をお送りしている。
最終日となる今日のテーマはこちら。
どんな仕事であれ、避けて通れないのが人間関係の悩みである。
「付き合いづらい」とか「仲良くできない」という程度であれば、距離を取って接することでやり過ごすことができるが、パワハラやセクハラの場合はそういうわけにもいかない。
だが、入社したばかりの人がそのことを告発するのは簡単なことではない。
「どのように告発するか?」という方法論以前に「そんなことやっていいものか…」という心理的なハードルも高い。
「あれはどう考えてもハラスメントだけど、あの人は仕事ができる人だから、新人の自分が告げ口しても…」
そんな時のために頭に入れておいて欲しいのがこの言葉である。
昨日までは私の体験に基づいて話を進めてきたが、今回は抽象的な話になるので、先に結論から申し上げておきたい。
私は「どんなに嫌な人にだって長所のひとつくらいはあるのだから、苦手なあの人の良い所を見つける努力をしよう」などというクソ甘ったれた教えを説いているのではない。
その逆である。
(よほどの無能でない限り)どんな人でも手柄や成果のひとつくらいはあることが当たり前だから、「それを根拠にいじめやパワハラ・セクハラなどの悪行を無罪放免にしてはならない」ということ。
だから、「あの人はこんな実績があるのだから、パワハラくらいのことで騒ぐな!!」という理屈に惑わされてはいけない。
・意外に評価されている独裁者たち
「功績がある」ということと「罪人として糾弾すること」は全く矛盾しない。
国の指導者を例に考えてみよう。
かつて中国に毛沢東という政治家がいた。
27年間中国の最高指導者として君臨し、数千万人が餓死したと言われている大躍進政策や文化大革命と称して政敵を粛清した暴君である。
日本は共産主義や社会主義という制度に馴染みがないためか、彼については失政や独裁政治といった悪評の方が有名な気がする。
だが、中国共産党の見解によると、彼の政治は「功績7割、過ち3割」らしく、意外と評価されているらしい。
中華人民共和国を建国したり、彼の時代は今ほど国内の経済格差が激しくなかったことがその理由らしい。
しかも(どこまで信憑性があるのかは一先ず置いておくが)世論調査の結果では、彼の政治手腕への評価はもっと高いとのことである。
毛沢東・生誕120周年、中国世論は「過ちより功績」評価 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
共産主義が生んだ独裁者(モンスター)として毛沢東と同じくらい名高い人物がソ連のヨシフ・スターリンである。
彼が行った粛清や収容所送りといった恐怖政治については改めて言及するまでもないが、そんな人物でも国内では肯定的な評価が少なくない。
特にドイツとの戦争に勝ったことが大きな要因である。
スターリンに肯定的評価、過去最高 ロシア世論調査 現状不満が背景か – 産経ニュース (sankei.com)
このように、冷酷で残忍な独裁者にもそれなりの功績はある。
今回は特に調べなかったが、ポルポトやフセイン、金一族でも、探せばひとつくらいは出てくるだろう。
もっとも、「功績」として評価されるのは「過去の人だから」でもある。
現在において彼らの手によって、処刑されたり、収容所に送られる人がいるわけではない。
もし、彼らが現代の指導者だったら、歓迎するだろうか?
おそらくほとんどの人はそう思わないだろう。
たとえ、「政治家としての実績があっても、それと引き替えに数々の所業を免罪しろ!」とはならない。
このように、功績があるということと、罪人として糾弾することは矛盾しない。
ひとつの善ですべての悪を帳消しにすることはできないのである。
・「普段はいい人だから」という言い訳
「あの人は功績がある」と同じくらいデタラメな擁護論が「普段はいい人だから」である。
こちらも同様にハラスメントの加害者を擁護する根拠にはならない。
このブログで過去にいじめをテーマにした記事を何本か書いたことがある。
それらの記事では主に内藤朝雄氏の著書を参考に解説してきた。
内藤朝雄氏の過去の書籍で「いじめと現代社会 : 「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ」という本がある。(2007年2月双風舎より出版されたが、現在は出版社倒産により絶版)
その本の中でこんなことが取り上げられていた。
当時の北朝鮮の最高指導者である金正日が意外にも人間味溢れる人物だったという報道がされたことがあるが、それは当たり前である。
彼らのような独裁者(並びに党の幹部)にとって重要なのは、相手が共感できたり、自分の味方かどうかという区別である。
大切だと思う相手には温かい気持ちを持つが、そうではない相手のことは虫けらのように扱う。
それが、日本を含む先進国で当たり前とされている「人権」の概念とは異なる。
このように、「いい人である」ということは「とんでもない暴君である」ということも全く矛盾しない。
かつてこの記事で、「パワハラの加害者は意外といい人であることが多い」と書いたことがあるが、それは私の実体験だけでなく、内藤氏の本で学んだことが根底にあったからである。
・あえて新入社員向けにこの言葉を取り上げた理由
今日、私が言いたかったことは「どんなに功績があろうと、普段はいい人であろうと、ハラスメントを行えば罪に問われる」ということ。
ただし、私は「パワハラ上司をやっつけろ!」というようなノリだけでこのテーマを取り上げたわけではない。
むしろ、読者の方に、加害者になって欲しくないから、あえてこのタイミングで取り上げることにした。
入社したばかりの時は誠実な思いで仕事に取り組んでいても、時が経つと、仕事にも会社にも慣れが生じたり、壁にぶつかったりすることで、新入社員の時のようなひたむきな思いが消えてしまうことがある。
そんな中、仕事に魔が差してしまうこともあるだろう。
もしかしたら、仕事の覚えが悪い新入社員や家庭を優先するワーキングマザーに殺意的なムカつきを感じて、いじめたくなる気持ちに襲われることもあるかもしれない。
そんなことになった時は今日の言葉を思い出して欲しい。
どんなに仕事の功績があろうと、普段はいい人だろうと、それはいじめを行うことの言い訳にはならない。
・まとめ
新入社員へ贈りたい3つの言葉シリーズ2022年編は今日で終了となる。
新入社員の皆様にはぜひともこの言葉を胸に留めて、明日からの仕事を頑張ってほしい。
最後に今年の言葉を改めて振り返ってみよう。
些細な偶然から始まったこの企画も今年で4年目を迎えることになった。
関連記事には過去3年のリンクを貼っているので、興味がある方はそちらもご覧ください。