思えば小さな世界に居たもんだ

・アフターファイブへの憧れ

3週間前に書いた記事で、2019年に購入した本の中からおすすめできるものを紹介した。

その中で3番目に紹介した本の説明で「アフターファイブ」という言葉を使った。

その本では、仕事帰りに

・友人とカラオケに行く

・英語のレッスンを受ける

・映画を見に行く

などがアフターファイブの例として挙げられていた。

内容を整理するために、改めてそこに目を通しているとあることを思い出した。

家と職場の往復しかない現在の私にとっては全く縁のない話であるが、実はこのようなアフターファイブ的なものを楽しむ生活へ憧れていたことがあった。

地元に住んでいた時は17時で仕事を終えることができたものの、仕事帰りに遊ぶような場所も、一緒に遊ぶ相手もいなかった。

一時期、都会へ働きに出たこともあったが、その時は12時から21時までの勤務だったため、仕事が終わった後に遊ぶことはできなかった。

というわけで、東京へ出てきた時に、「アフターファイブを楽しむ生活ができたらなあ」という密かな憧れがあった。(もっとも当時は「アフターファイブ」などという言葉は知らなかったが…)

しかし、残念ながら今のところそのような生活は送れていない。

・趣味はないが一日の流れはあっという間

そもそも、一緒に遊ぶ相手などいないわけだが、まあそれは置いておくとしよう。

私が上京して仕事を探している時に感じたことは「東京の仕事は夕方の終了時間が遅い」ということである。

正式な統計を見たことはないが、朝から夕方にかけて働く仕事で最も多い時間帯は9時から18時までの仕事のような気がする。

私は比較的都心部に住んでいるため23区内への通勤は時間がかからないこともあるが、18時間働く場合は、9時開始というのは遅すぎる気がする。

少なくとも私には9時ー18時勤務のメリットが全く感じられない。

今の家に住み始めてからいくつかの仕事を経験したが、いずれの職場も自宅から職場までは大体1時間くらいかかった。

18時に仕事を終えて真っ直ぐ帰宅すると、自宅に到着するのが19時になり、その後、入浴、夕食、洗濯などを終えると、自由時間になるのが20時以降となる。(買い物をする時は1020分後ろ倒しになる)

私がプライベートでやることは、英語の勉強、読書、ブログの作成の3つ。

これは毎日の日課になっているので、仕事から帰宅した後もこの3つで2時間は消費する。

すると時間はあっという間に22時になる。

その後はメールの確認や気になることをネットで調べたり、翌日の仕事の準備をするとあっという間に一日は終わってしまう。

このブログの至る所で「私には趣味などない」と宣言しているが、だからと言って、暇を持て余しているわけでもない。

20年前の記憶を辿る

暇を持て余しているわけではないと言ったが、別に締め切り日に追われている課題があるわけではないのだから、平日に週1日でも休めば、アフターファイブと両立できないことはない。

しかし、経験がないためか、どうも私には「仕事帰りにプライベートな何かを楽しむ」ということがイメージできない。

思えば、学生の時も、休日に遊ぶ友人はいたものの、学校帰りに楽しく遊ぶということはなかった。

学校から帰った後の時間を楽しむという暮らしは、小学生の時が最後ではなかっただろうか。

当時の私はどんな生活をしていたのだろうか?

今年は2020年だから、今から20年前は2000年になる。

当時の私が小学生だったことは間違いない。

というわけで、20年も昔のあいまいな記憶を辿りながら当時の様子を振り返ってみよう。

学校が6時限目までの場合は下校時間が1610分くらい(だったと思う)。

家までがおおよそ徒歩20分くらい。

ランドセル(+宿題)を家の中に放り出して、近所の友達と合流するまでにおよそ510分。

この時点で1640分を過ぎたくらいだろうか。

そこから色々と遊ぶわけだが(何をしていたのかは秘密)、家の門限が18時だったため、大体1時間位遊んでいたことになる。

こうして振り返ってみると意外と短いものである。

当時はもっと長く遊んでいた気がしたが…

18時に帰宅してからは入浴や夕食を済ませて、日によってはテレビを見て一日を終えることになる。

今日も楽しい一日だった。

あ、宿題を忘れていた。

・障害は「退社時間」ではない?

さて、今の私が16時台に退社できる仕事に就くことは現実的ではない。

しかし、今は子どもではないのだから、門限などない。

というわけで、2時間後ろ倒しで考えてみよう。

18時に退社してそこから遊ぶ。

そして、20時に帰宅して、入浴、夕食、明日の準備をして寝る。

この程度のゆとりがあれば、遊んで帰宅した後も、次の日には安心して出勤できる。

…と思ったのだが、18時の仕事終わりに遊んだ後、20時までに帰宅することがどうもピンと来ない。

以前、仕事帰りに同僚から職場の近くに新しくできたタイ料理店でごちそうになったことがある。

あの時は、仕事終わりの1830分に待ち合わせて、そのレストランへ向かった。

そこで色々と話をしながら食事をしたため、食事時間はおよそ1時間。

その後は真っ直ぐ帰ったのだが、帰宅した時の時間はすでに2030分を過ぎていた。

「娯楽に投じたのは1時間だけなのに、ずいぶんと時間がかかったなあ」

というのが正直な感想だった。

これでは先ほど考案した、「18時退社後に遊んで20時までに帰宅」は難しそうである。

時間の問題ではないとすると、「距離」についてはどうだろうか?

もう一度、小学生の時のことを思い出してみた。

グーグルマップで確認してみると、当時の家から学校までの距離が1.2キロ、徒歩15分(子どもであることを考えるともっとかかる)

今では自宅から最寄り駅までが大体同じ距離である。

今の状況で当時と同じようなことをしようとすると、最寄り駅の周辺で仕事を探さなくてはならなくなる。

さすがにそれは難しいので、当時と同じように平日の仕事後にアフターファイブを楽しむことは無理だと悟った。

私がかつて、学校から帰った後に友達と遊ぶことができたのは、あくまでも行動範囲が学校まで片道1.2キロ(ちなみに自宅から仲の良かった友達の家までがおよそ500m)という狭い世界のみで生活していたから可能だったわけであり、今のように通勤のために片道10キロ以上はかかってしまう生活では到底不可能なのである。

(ちなみに通勤距離が片道10キロでも、車通勤の場合は1520分程度であるため、車で生活する地域なら可能かもしれない)

・あの時は小さな世界で暮らしていた

というわけで、今の私にはかつてのようなアフターファイブを楽しむ生活などできないことが分かった。

しかし、意外にも絶望するのではなく、逆にすっきりとした気分になった。

子どもの時って随分と狭い世界の中で生きていたんだな…

よく、子どもの頃を振り返る時は都合よくいい思い出だけが残り、当時の自分には悩みが全くなく、毎日幸せに暮らしていたかのように語る人がいる。

「子どもの悩みなんて大したものではない」

子どもの時の私は、平気でこんなことを言える大人にはなりたくないと思っていたため、今の悩みや痛みを大人になっても絶対に忘れない人間になろうと誓った。

今でもその気持ちは変わらないのだが、こうして振り返ってみると、

「あの時の悩みも苦しみも迷いも、ほとんどは距離にすると半径1 km程度の小さな世界のできごとに過ぎなかったのだなあ」

と思う。

今はその小さな世界を向けだして大海原にいる。

そんなことを考えていたのであった。

なお、今回の記事のタイトルは、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」を参考にしたことを最後に付け加えておく。

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