弟子入り志願者現る②

前回の記事はこちら

・目指す方向は同じでも、やることが同じである必要はない

私は「仲間になりたい!!」というメールを送ってきた読者(仮名:タカシ)に対して、なぜ彼がそのようなことを思っているのかを質問してみた。

彼は私のことを誤解しているようだが、彼のやりたいことは分かった。

というわけで、私なりに彼への助言をすることにした。

とりあえず、彼の経歴を見て、彼の望みに沿った記事を作るとしたら、利用できそうだと感じた点は、

:新卒で入社したブラック企業での就労経験

:職探しに難航したこと

この2つである。

たとえば、検証企画として、(これはその会社が残業代を一切支払っていないことが前提になるが)過去の時間外労働の不払い賃金を請求してみたり、職探し時における不当な差別や、派遣先企業の違法面接を片っ端から労基に通報した結果がどうなったのかを記事にしてみる。

このようにして、違法企業をコテンパンにやっつけてやる記事を作ることなどが面白いだろう。

しかし、それはリスクと労力が大きいため、他人のブログに載せるためにそこまでやる必要はないと思う。

それこそ、彼が自前のブログを作って、そこで発表する方が適切ではないだろうか。

と言いたいものの、彼にとって今がそれを始めるタイミングなのかは疑問である。

彼はこれまでたくさんの苦労や悔しい思いをしたことだろうが、まだ21歳の身である。

その年齢で社会を批判することに特化したブログを作ったとしても

「たかだか23年しか働いたことのないガキがエラそうに社会を語るな!!」

というバッシングに晒されることは容易に想像できる。

そのため、彼が私と同じようなブログを作ったとしても上手くいくとは思えない。

というわけで、彼がそのような目的のためにブログを作りたいのなら、私とは違う路線を目指すことを勧めた。

たとえば、あえて派遣会社や転職会社に就職して内実を掴み、採用問題に関する企業の汚さを暴露するやり方もある。

それから、法律や行政機関について勉強して、「困ったらここに相談してください」という情報を伝えるサイトを作るやり方もある。

また、自称フツーの社会人が心の底から憎んでいそうな「ワーキングマザー」や「非正規労働者」が安心して働けるための情報を発信するのも面白そうである。

それに、そのような硬い方法ではなく、海外で楽しく暮らす様子を伝えて、「この世界には自分が苦しんでいる小さな世界とは全く別の世界がある」という夢を与えて苦しんでいる人を励ますこともできる。

このブログだって元々は直接何かを批判することではなく、ペンパルサイトで知り合った外国人との話を通して「こういう世界もある」ということを伝えていくはずだった。

彼が「この社会の理不尽さと戦いたい」と思っても、私と同じ方法でなくてもいい。

そもそも、私が仲間を求めるとしたら「目指す方向は同じでも、考えや手法が違う人」を求めるだろう。

考えもやることも同じだったら、それは他人である必要はない。

だから、彼には今すぐに世に出る大きなことをやるのではなく、今は知識や経験を増やすことで力をつけてほしいと思った。

・私の真似をしても幸せにはなれない

それを伝えると、彼は納得してくれた。

しかし、一方で彼はこのように続けてきた。

タカシ:

今の自分では早川さんの仲間になれないことは分かりました。

でも、生き方については他にも教えてほしいことがあります。

早川:

何を教えてほしいと言うの?

タカシ:

早川さんはこの社会の「フツー」の生き方を憎んだ結果、今のライフスタイルに行き着いたわけですよね?

僕も同じで、「フツー」ではない生き方をしたいのです。

そのためには自分の生活を捨ててもいいと思っているし、今さら正社員に戻るつもりもありません。

だから、早川さんのように生きる方法を教えてほしいのです。

これは答えることが難しい質問である。

まず、私は一人で生計を立てているのだが、「今のあなたは幸せですか?」と聞かれたら、迷うことなく

「はい!!」

と即答できるほどの満足な暮らしをしているわけではない。

自分自身が満足していないのに、その生き方を他人に教えることなどできるはずがない。

たとえば、私は趣味など一切ない節制した生活をしているわけだが、これは不安定な仕事をしているため、なかなか消費ができないことに加えて、飲食店やサービス業を利用すると、そこには「劣悪な労働条件で働いている人がいるのではないか?」という考えが頭に浮かんでしまうため、(この時より前のように)無邪気に楽しむことができないから訪れたくないのである。

かつて、海外へ出ていくことを望んでいたのは、この苦痛から逃れられると思っていたからである。

このように仕事以外の面においても真っ当な人生を送ることは出来ていない。

それが最も表れているのが、今の彼への対応。

彼の希望はどうあれ、自分と同じ考え方の人と知り合いになれたのだから、普通の人なら「友達になろう」と考えるだろう。

住んでいる場所が遠いから、直接会って食事をすることは難しいかもしれないけど、外国人のペンパルと同じようにメールで世間話をして交流を深めることくらいはできるはずである。

しかし、もはや私はビジネスライクの対応しかできない。

そんな人間から何を学ぶというのだろうか?

・社会に不満を持ち、それに抗うことは、私生活のあらゆる権利を放棄することと同じではない

次に彼へ伝えたかったことは、私は無理に「正社員になれ」とは言わないが、「正社員にならないことが正しい」とも思っていないということである。

彼が

「正社員は(必要以上に)責任が重いから嫌だ!!」

「毎日残業ばかりだから嫌だ!!」

という理由で「正社員になりたくない」と思うのであれば、それで構わないと思う。

だけど、「正社員」は別名「社会人」と呼ばれて、この社会の手先のような存在だから、「自分は絶対に正社員になんかなりたくない!!」という理由であるのなら、それは感心しない。

私は、この社会を批判したり、変えようと努力している人も、それとは全く別の水準で人生を楽しむ権利はあると考えている。

そのため、彼が私と同じように

「年功序列や終身雇用のような民営化された社会保障反対!!」

「飲食業やサービス業の劣悪な労働条件を改善しろ!!」

と主張する一方で、福利厚生に恵まれた会社で働いたり、休日に家族や友達と一緒に大型量販店が買い物をしたり、「安くておいしい」と評判の飲食チェーン店で食事をすることを楽しむ生活を送っていても、別にそれが「裏切り」だとは思わない。

それに正規・非正規の問題で注意しなくてはいけないことは、

・すべての正規労働者=非正規労働者の敵

・すべての非正規労働者=非正規労働者の味方

であるとは限らないことである。

大企業の正社員として働き、非正規労働者と比べ物にならないほどの雇用の安定と福利厚生の恩恵を受けていても、貧困問題に関心を持って、休日にボランティア活動をする人もいれば、自分が非正規労働者であるにもかかわらず、自分の置かれているみじめな状況を否認するために、より弱い存在を叩くことで自分を慰めようとする腹の底まで腐った奴もいる。

だから、私は「すべての正社員が自分の敵だ」と思っていないし、「正社員として働きながら、この社会は間違っている!!」と声を上げることは矛盾していない。

まあ、この国では「フリーターのようないい加減な奴は絶対に社会の一員とは認めんぞ!!」とかエラそうな顔で社会を語っていながら、フリーターが存在しなければ成り立たない大手の小売店や飲食店のお世話になることを当然の権利だと思っている人が、自分自身に対して何の矛盾も感じることなく「社会人」と自称しているくらいだから、彼らの醜悪さに比べたら、「矛盾」だの「偽善」だの言われても気にする必要は一切ない。

これを伝えたところで、今回のやりとりはほぼ終了。

彼が私の仲間になることはなかったが、メールのやり取りは継続することになった。

今回、彼へ伝えたことは3つ。

:彼がこれから目指すべき道

:私の生き方を真似る必要はない

:何か話したいことがあったら、またメールを送ってほしい

・まとめとその後

今回のやりとりで私が注意していた点が2つあった。

:若者の人生を狂わせてはいけない

「ところで、タカシ君は今何歳なの?」

私が彼にこの質問をしたのは随分と話を重ねた後だった。

私はこれまで、何度も「日本人は年齢を気にしすぎである」と書いてきた。

彼は私のスタンスを理解していたのか、私がこのように尋ねるまで自分から年齢を明かすことはなかった。

彼は現在21歳である。

今は不本意な生活をしているだろうが、今後人生を変える機会などいくらでも訪れるだろう。

だから、私と同じ道をたどるのではなく、引き返すことを勧めたかった。

私自身、今の生活に満足しているわけではない。

そのため、彼が一時の社会への不満だけで道を外して、私の仲間になどなっても幸せになれないことは分かっているつもりである。

そのうち、恵まれた仕事に就いたり、友達や恋人ができたら、夢や目標を持てば、私のことなど忘れてしまっても構わないと思っている。

:苦しんでいる人をさらに追いつめてはいけない

その一方で、私は別の視点も考慮する必要があった。

彼の年齢を初めて聞いた時は思わず

21歳なんて、まだいくらでもやり直せるじゃないか!!」

と言いたかったのだが、その前に自分が21歳の時のことを思い出した。

当時の私はこんな状況だった。

行き詰まりだった。

人生に絶望していた。

自分が何をしたらいいのか全く分からなかった。

「君には未来があるじゃないか」という言葉がまやかしに聞こえていた。

もし、今の頭のまま21歳に戻れるのなら、喜んで戻りたい。

これまでにいくつも潰してきた機会を少しは活かせる自信があるから。

ただし、その条件が当時から今日までの記憶がリセットされることだったら…

それは絶対に勘弁だ。

少なくとも21歳の時は私の全盛期ではなかった。

可能性に満ちていたかもしれないが、それに気づけなかった、もしくは活かしきれなかった。

友達がおらず、居場所もなく、暗闇の中を彷徨っていた私は、その出口を教えて欲しかった。

しかし、周囲の大人から念仏のように繰り返されたのは

「若いんだから、何でもいいから、早く正社員になりなよ!!」

というものだけだった。

当時はまだ、「フツー」であることを捨てようと決心する前だったが、そんな頓珍漢な助言ばかりでウンザリだった。

この社会には自分の居場所はないし、自分の味方もいない。

本気でそう思っていた。

今の彼も当時と同じような状況なのだろうか?

だからこそ、私のような人間に助言を求めていたのだろうか?

私が21歳の時に求めていたものは何だっただろうか?

それが「若いんだから、真っ当に生きろ!!」という説教ではなかったことだけは確かだ。

この記事に書いた通り、(少なくとも私は)オンラインだけの関係では友達にはなれないと思っている。

だから、私のブログを手伝うという形でかかわりたかったのではないか?

しかし、私は目指すべき方向が同じでも、考えもやり方も全く同じコピーは要らないと思っている。

そのため、私は弟子を手取り足取りしながら指導することはしない。

これは彼を突き放すために言ったことではなく、本当に思っていることである。

彼には私と同じような人間になるのではなく、自分で力をつけてもらいたかった。

ただ、彼には今回の自分の行動を「失敗」だと思ってほしくなかった。

そんな理由から、彼を仲間にすることはできないまでも、引き続き連絡は取り合うことにした。

プライベートな話をすることはないだろうが、彼が私と同じ過ちを犯しそうになったら止めることはできるし、壁にぶち当たった時に道を踏み外さずに前へ進む方法を教えることはできる。

彼には私とこんなやり取りをしたことを忘れるくらい幸せになってほしい。

と願いつつ、近い将来、彼が私の弟子ではなく、対等な力を持った仲間として表れてくれることを密に期待している。

と上から目線なことを言っているが、彼の行動力を前に、遠くない将来、私が追いかける側になってしまうのではないかとどこか怯えているのであった。

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