2ヶ月程前になるが、こんなニュースを見かけた。
不登校の小中学生 過去最多34万人余に 11年連続で増加 文科省 | NHK
小中学生の不登校者が34万人と言われてもピンと来ないが、「過去最多」、「11年連続」というワードを耳にすると、「あ、不登校の子どもが多いんだな」と思う。
・他人に「逃げるな!」と説教しつつ、自分はしっかりと退路を確保
記事では、不登校者数の推移やいじめの件数と共に、コロナ渦にオンライン授業が普及したことで、「学校に行かないことは良くない」という従来の意識に変化があったことも触れられている。
後者については完全に同意する。
私が小学生だった2000年頃に学校の図書館で科学の本を読んでいたのだが、そこに興味深いことが書かれていた。
「今後は通信技術が目覚ましい発達を遂げて、これまでのように会社や学校へ行く必要もなくなり、仕事も勉強も、自宅からテレビを通じて行えるようになる」
そうした未来の目安として、25年後と書かれていた。
なお、その本の発行は昭和60年、すなわち39年前の1985年である。
1985年の25年は2010年。
今から14年も前になる。
その頃はすでに日本国内のほとんどの場所でインターネット環境が整っていたので、そうした未来も十分実現可能だったことだろうが、テレビを通して、自宅で仕事をしたり、勉強をする人が当たり前だったとは言えず、科学技術の進歩に人間の方が追い付いていなかった感がある。
ところが、10年後の2020年、コロナという予期せぬ事態のおかげで、急速にテレワークやリモート授業が普及した。
ようやく重い腰を上げた原因が世界的なウィルスの脅威とは、何とも情けない話であるが、ここに来てようやく社会も良い方へ動き出した。
にもかかわらず、「コロナが収束に向かいつつあるから」などというふざけた理由で、社会を後退させるなど言語道断である。
冒頭から話が違う方へ流れてしまった感があるが、今回のテーマは教育現場におけるリモート授業縮小を批判することではない。
不登校が話題になると、先程も少し触れた「学校に行かないことは良くない」と言って、不登校の児童生徒に一定の理解を示す大人もいるが、
「不登校なんて絶対に認めんぞ!!」
「首に縄を付けてでも、学校に行かせろ!!」
と強硬(自称「保守的」)な主張をする者もいる。
詳しい調査結果を見たわけではないが、それは今も昔も変わらないと思われる。
なお、そのように偉そうな主張をしている連中に限って、
「ひどいいじめを受けている場合は別だが…」
「精一杯頑張った結果なら仕方ないが…」
と留保していることが少なくない。
威勢がいいことを言いながら、自分は万が一の場合(たとえば、当事者が追い込まれて自殺をしてしまうとか)に備えて、しっかりと逃げ道を確保している姿はあまりにダサ過ぎて滑稽と言う他ない。
・ブロックというリセットボタン
とはいうものの、彼らが言うように「対人関係のスキルがなく、つらいことにも向き合いながら前に進むのではなく、少しでも嫌なことがあると、すぐに逃げ出す心が弱い人間が増えている」ということは私も少なからず感じている。
たとえば、LINEやX(旧Twitter)のようなSNSで、気に入らない相手をすぐにブロックして、二度と相手と関わらないことを選択する人である。
前回の記事の人もまさにそんな感じである。
彼女よりも、ワガママで依存心が強く、少しでも期待通りの反応を示さないとすぐに拗ねる甘ちゃんは、これまでにもたくさん出会った。
リアルで会う可能性が低い海外の人が相手の場合に限らず、会う前提でやり取りをしているマッチングアプリでの出会いや、恋人や友人のような親しい間柄であっても、些細ないざこざや違和感、自分の言動に非があってことに起因する批判、「ちょっと関わるのがめんどくさくなったな…」くらいの軽い気持ちで、突発的にLINEをブロックして関係を断つ人も少なくない。
それも、何の通知もせずにこっそりと逃げ出す。
彼らは相手と話し合って物事を解決するのではなく、嫌なことからはひたすら逃避を繰り返し、相手をブロックするだけですべてが解決する道を選ぶ。
その行動が正当だと信じて疑わず、「ブロックさせたあなたが悪いんだから、これが僕の気持ちだ!!」といわんばかりの幼稚な理屈で、他責的で被害者意識に満ちているから質が悪いったらありゃしない。
20年くらい前に「ゲーム脳」という言葉が生まれた。
「最近の子どもはゲームの影響で現実とバーチャルの区別がつかなくなっている」
「テレビゲームばかりやっているから、他人の気持ちが分からなくなっている」
というように、子どもたちの問題行動の原因をゲームに求める論調である。
その中のひとつに、
といった説もある。
私はこの説を今でも信じていない。
だが、ボタン一つでリセットしたがる弱い人間も、それを可能にするリセットボタンも残念ながら生まれてしまった。
それは決してゲーム脳などではなく、SNSのブロック機能のことだったのである。
ちなみに、こういう人間は、自分は好き放題やっておきながら、自分たちの過ちを批判されたら馬鹿の一つ覚えのように「誹謗中傷された!!」と叫ぶ傾向があるようだが、悪いことをされたら批判されるのは当たり前である。
それを許さないと言うのであれば、今後は無職で就労意志もないニートや、生活保護の受給者を「働け!!」と批判する資格はない。
偏向報道をするテレビや新聞のような大手メディアを「マスゴミ」、「オールドメディア」と批判する資格もない。
既得権を死守するために増税を企む財務省を「日本のガン」と批判する資格も、もちろんない。
他人を批判することを良しとしない人間に、(手段は間違っているかもしれないが)一生懸命生きている彼らを罵倒する資格などない。
ましてや彼らは犯罪者ですらないのだから。
・嫌なことから逃げ続けた人間の成れの果て
もちろん、ブロックしたことにより、相手からSNSでメッセージの送信が止まってスッキリした気持ちになっても、現実はリセットなどできない。
むしろ、悪化することだってあり、その最悪な結果がストーカーである。
「ストーカー」とは見知らぬ相手に一方的な好意を募らせたり、別れた後もしつこく付きまとう存在だが、実は別れたい気持ちを一切伝えずに黙って消えた人を探していただけに過ぎないこともある。
というか、深い付き合いがある相手がいきなり消えたら納得できずに必死に探し回って、あらゆる手段を講じて連絡を取ろうとすることは何も不思議ではない。
加えて、相手と良好な関係が築けていると思ったのに、突然ブロックなどされたら、愛情が憎しみに変わることも何ら不思議ではない。
むしろ、そんな当たり前のことも分からない人間の方がよっぽど異常と言える。
弱々しい声で泣きべそをかきながら、「ブロックしたのだから、それで悟ってよ!!」と言っている姿が容易に想像できるが、そんな甘ったれには、この記事に登場した甘ちゃんたちと同様に
子どもかぁ!!
と一喝してやりたい。
大の大人であれば、それまでのお礼やお詫びくらいの挨拶をすべきである。
現実もSNSと同じようにブロックすればすべて解決すると思っているのか?
面倒なことから逃げ回っている人間らしく、薄っぺらい人間関係と人生経験しか積んでいないから、「相手も心を持った人間」ということすら分からなくなったのだろう。
どこまでも「可愛いのは自分だけ」というナルシズムな性質を隠しきれていない。
誤解がないように言っておくと、私は別に「自分の気持ちを押し殺して、嫌いな相手とも仲良くしろ!」と言っているわけではない。
「これまでにいろいろとお世話になった相手と別れる場合は、きちんとケジメをつけろ」と言いたいのである。
そのような人としての礼節や常識がなく、
「あなたの勝手な価値観を押し付けないで!」
「見返りを求めるなんて、利己的な人間だ!」
「もう会うつもりはないから、返信する時間がもったいない!」
などとほざくバカもいるだろうが、一体、何様のつもりなんだろうか?
清々しい程の身勝手で無責任さである。
本人がリスクを背負って、ケツまくって逃げることは選択するのは自由だが、SNSで関係を断たれたことで、実生活に危険が迫る可能性に無頓着で、「そんな怖い人はすぐにブロックしましょう」と無責任なアドバイスを送る愚か者は、未必の故意で犯罪者と同等である。
「ブロック機能のおかげで、怪しい人や怖い人はシャットアウトできるから安心」などと宣っているが、「被害者としての権利には敏感でも、加害者としての自覚には鈍感」だと言わざるを得ない。
すぐにブロックすることを好む人間は、自分は努力せずに、常に人のせいにして、甘え、依存し、満たしてくれる宿主を探すことしか考えていない甘ちゃんである。
これぞまさに、不登校絶対認めん派が指摘している所の、嫌なことがあったらすぐに逃げ出す責任感の欠片もない人間の姿と言えよう。
あいつら全員不登校OBなのか?
たしか、中学生の時だったと思うのだが、道徳の授業でこんなことを言われた。
当時の私は彼の主張が全く理解できなかった。
「そんなわけあるか!?」
「殴られたり、蹴られる方が痛いに決まっているだろう!!」
と言いたくなった。
今では当時の教師が言っていたことも分かる気がする。
オーストラリアでは16歳未満の子どもにSNSの利用を禁止する法案が可決された。
豪議会、16歳未満のSNS利用を禁止する法案可決 1年後に施行へ – BBCニュース
ここまで厳しい規制でなくても、未成年者に対してSNSの規制や教育の重要性を訴える声は日本でも多く聞かれる。
だが、「それが必要なのは本当に子どもだけなのか?」という点については大いに疑問が残る。