「環境のために」とトレーを洗って回収する時に生じた疑問

前回の記事でも触れた通り、今年のゴールデンウィークは地元に帰省していた。

久しぶりにまとまった日数が確保できたことで、実家だけでなく、元同級生であり卒業後もよく遊んでいたマサル(仮名)と食事に出かけたり、親戚宅にも訪れた。

これはその親戚宅で経験した話。

私はスーパーで購入した弁当を彼女の家で食べ、いつものように食後の片づけをしていた。

実家や今の住まいで惣菜を食べたら、容器は燃えるゴミの袋に入れる。

しかし、彼女が住んでいる地域では、トレーは燃えるゴミではなく、洗って回収する決まりになっているとのこと。

回収して何に使われるのかは知らないが、エコ的な観点から、おそらくリサイクルでもされるのだろう。

最初はそのように感心していた。

しかし、水道でトレーを洗っているとあることが気になった。

「トレーを洗わなければならない」ということは、それだけ水道の排水管が汚れるのでは?

他の家庭の事情は不明だが、少なくとも私は、食材が入っていたトレーを燃えるゴミで捨てる時は、水で濯がずにそのままゴミ袋へ入れる。

これは単に「私が面倒くさがりな性格だから」ではなく、あえてそうしているのである。

考えてみて欲しい。

どうせ燃えるゴミとして処分する物をあえて綺麗にすることでどんなメリットがあるというのだろうか?

逆に、食べきれなかった小さな食材や調味料を台所のシンクに流すことで、水道管が汚れてしまい、私にとっても、水道業者にとっても余計な手間がかかってしまう。

だから私は、食べ物が入っていたトレーを処分する時はあえて濯がない。

集荷場へ持っていくまでに、ゴミ袋の中の食べ残しから腐臭が生じたり、ハエが群がるようであれば話は別だが…

親戚の家で分別のためにトレーを濯いでいた時も、そのことを考えた。

「資源を大切のするためのリサイクル」というのは聞こえは良いが、水道業者の人はそれをどう思っているんだろう?

それに、あえて水道に流した残飯が下水処理施設へ送られることで、それを浄化するために余計なコストや資源を消費することになるのではないか?

トレーをリサイクルすることで節約できるお金や資源と、余計に生じてしまう水道管や下水処理の問題を比較した場合、お金にとっても、地球環境にとっても優しいのは、リサイクルと洗わずに焼却することのどちらなんだろうか?

日常の些細なことから、そんな疑問が生まれた。

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