昨年の今頃、こんな記事を書いた。
これはジューンブライドの季節に合わせたシリーズもので、婚活を頑張る人へ向けた3つの言葉をお贈りする内容だった。
1年経った今、その企画について振り返ってみると、「上手く行った」とは言えない。
決して苦情が殺到したわけではない。
それ以前の問題である。
あまりにも客足が悪く、否定的な意見を生むことすらなかったようである。
しかも、その内の一本が検索エンジンから重複コンテンツとみなされたのか、人気があった記事の検索結果にも影響を与えてしまった。(検索エンジンと重複コンテンツについてはこちらに詳しく書いている)
アクセス数が低い上に、他の記事にも悪影響を与えるとなると、正直言って、そのテーマを書くメリットはない。
その上、私自身が結婚しているわけでも、目指しているわけでもないため、別に結婚に思入れがあるわけではない。
というわけで、あれ以来、家族観に関する記事を投稿することはあっても、結婚についての記事は一切書いていなかった。
しかし、今年もジューンブライドの季節を迎えるということで、1年ぶりに沈黙を破る決意をした。(そんな大袈裟な…)
とはいっても、ここ1年、新しい知識を得たわけでも、何かそれらしい経験をしたわけでもないため、今年はこれまでに書いた記事の補足や言い足りないと思っていたことを取り上げようと思う。
名付けて…
「結婚への甘ったれた幻想に浴びせる冷や水3連発!!」
やっぱり、このブログはこうでなくっちゃ!!
・「結婚は生まれ変わり」というリセット願望
いきなりの喧嘩腰で申し訳ないが、私は婚活にご執心な人が好きではない。
これまでに何度も、直接的な言い回しではないにせよ、「結婚! 結婚!」と血眼になっている人(特に女性)をボロクソに書き下ろしてきたから、過去の記事にお目通し頂いた方であれば、すでに察していただろう。
「なぜ、婚活にご執心な人が嫌いなのか?」といえば、彼ら(彼女ら)が「結婚をするだけで、人生がリセットできる」と考えているからである。
しかも、自分の努力不足を棚に上げて、上手く行かないことを相手や社会のせいにする。
そのクソ甘ったれた姿勢に虫唾が走るのである。
この記事で参考書として紹介した「結婚不要社会 山田昌弘(著)朝日新書」という本がある。
その中にこんな言葉が出てくる。
男にとって結婚とはあくまでも通過点。
結婚したからといって、人生が大きく変わるわけではなく、あくまでもゲームをクリアする感覚。
むしろ、それまでの努力の象徴のような位置付けであり、経済的な理由などで達成できなければ、自己責任とみなされる。
そのようなあり方が良い悪いは別にして、非常に分かりやすい構図である。
一方で、女性は寿退社や子どもを産むことで仕事を辞めることが多く、結婚によって人生は大きく変わる。
そして、誰と結婚するかによっても、未来は一変する。
つまり、「結婚とは生まれ変わり」なのだと。
これはあくまでも事実を述べた上で出てきた言葉だが、「生まれ変わり」という言葉を都合よく解釈している人が多い気がする。
そんなクソ甘ったれたリセット願望である。
かつてこのブログでは、外国人との交際や子育てをテーマにしたリセット願望を取り上げたことがある。
結婚に抱くリセット願望も、同様に嫌悪感しか持たず、単純に考えて、そんな堕落した人間と誰が「一緒にいたい」と思うのだろうか…
・「新しい男の出現」を肯定できるのか?
昨年の企画の第2弾のテーマは「ニューファミリー」だった。
70年代後半、これまでのように結婚しても家庭の役割に縛られるのではなく、いつまでも友達や恋人のような仲睦まじい関係で、どんなことでも夫婦二人で力を合わせて乗り切る新時代の結婚への期待と憧れ。
それが、「ニューファミリー」である。
しかし、それは結局幻想に終わり、旧態依然とした選別役割分業の形に収束した。
詳しい原因については、該当記事を読んで欲しいが、ひっくるめて言うと「伝統に縛られない新時代の結婚」を都合よく解釈し過ぎたということである。
それに類似する話として、取り上げたかったものの、尺の都合で割愛したネタがあった。
その記事で参考にした「21世紀家族へ第4版 落合恵美子(著)有斐閣」の第10章に「新しい男の出現」というテーマがある。
これまでの「家族の形」が変化していることを表す現象として、離婚の増加が取り上げられていた。
そのことは統計的にも現れているが、質の方も明らかに変化しているらしい。
著者の身近な所で起きた例として、こんなエピソードが取り上げられていた。
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大学時代は彼がボーカル、彼女がキーボードというまるでサザンオールスターズみたいな仲で、周囲の誰もが認めるお似合いの二人が、離婚することになった。
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原因は、会社勤めを始めてからも音楽が忘れられない彼が、結婚後も次々と楽器や音楽編集用の器材を買い込んだことで、家が狭くなり、生活費にも支障が出て、専業主婦となった彼女が夫をなじった。
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そんなことが何度か重なって、彼は「僕が好きなことをあきらめなきゃならないくらいなら、結婚なんてやめだ。心の通わぬ妻と子を養うために、給料の運び屋になるなんてまっぴらだ」と怒りを爆発。
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これに類した話は、離婚を経験した若年男性代からはちょくちょく聞くことができるらしい。
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また結婚しない理由としても聞くことがある。
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ある男性は、ちゃんと結婚してほしいと迫る恋人に「結婚すると、好きなときに映画見に行ったりできなくなっちゃうじゃない。僕、そういうの、イヤなんだ」と答えた。
そんな話を聞くと、彼らを「自分中心」で「無責任」なダメ男と決めつける人もいるかもしれないが、著者の見方はちょっと違う。
一九八〇年代、女性たちは家事ロボットやホームドラマに出てくるような良き母、良き妻ではなく「自分らしく」生きたいと、主婦離れ現象を起こしました。今、男性たちが給料の運び屋ではなく自分らしく生きたいと言い出したからといって、誰が責められるでしょうか。
「女の時代」と言われたころ以来、女は変わったのに男はなかなか変わらない、と言われ続けてきました。性別役割にこだわらず、会社人間にならない「新しい男」よ、出てこい、と女性たちは挑発し続けてきました。そうなのです。出てきたのです、「新しい男」たちが。ただし、ようやく現れた「新しい男」は、女性たちのムシのよい期待とはちょっと違っていました。男は変わっても給料だけは運び続けてくれるはず、と八〇年代の女たちはタカをくくってはいなかったでしょうか。
しかし、性別役割を疑うという風潮から若い世代の男性たちがまず学んだのは、男の一番つらい役割、すなわち妻子を養うという役割から解放されてもよい、ということだったようです。
(※:211,212ページから引用。太字・赤文字・下線は早川が追加)
これも、「結婚はしたいけど、従来のような家族の面倒事(義理の親との同居とか、家事育児をしない夫とか)に虐げられるのは嫌!!」というムシがいい考えの婚活バカに聞かせてやりたいエピソードである。
・恋愛結婚が幻想なら、皆婚社会や経済的安定も幻想ではないのか?
2年前に、恋愛結婚を否定している人に欠けている視点を解説する記事を書いた。
内容を簡単にまとめると、
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昔の日本にはお見合い結婚という素晴らしい制度があった。
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だが、その伝統を放棄し結婚に恋愛を求めるようになったことで、結婚できない人が増えた。
- …と本気で信じているバカがいるが、そもそも、お見合い結婚と恋愛結婚は矛盾しない。
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なぜなら、お見合い結婚は、親族同士が縁談をまとめ、当事者は結婚する日まで顔合わせをしない「アレンジ婚」と違い、相手を選ぶというプロセスを経て結婚するのだから「好きな相手を選んで結婚する」という恋愛結婚の一種と言える。
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「恋愛結婚反対!」を叫んでいる人は、自分が結婚相手を選べないアレンジ婚を受け入れる覚悟はあるのか?
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それができないのであれば、恋愛結婚憎しによるお見合い結婚復活待望論など「異性としての魅力はないけれど、(どういう根拠があるのかは知らんが)堅実な家庭を作れる自信はある!」と思い込んでいるモテない男女のひ○みに過ぎない。
この記事へやって来ている人が入力したものなのか、検索エンジンでこのブログがヒットしたワードを見ていると「恋愛至上主事 日本をダメにした」、「恋愛結婚 嫌い」、「結婚 恋愛感情 不要」というワードが並んでいる。
そのような言葉の並びを見ていると頭がクラクラする。
ちなみに、「恋愛結婚憎し」という思想から生まれる幼稚な結論が「お見合い結婚への回帰」なのだが、同じくらいありふれた向かい場所が「経済的安定のための結婚」や「誰もが結婚できた(皆婚社会)昭和時代」への憧れである。
「恋に落ちた相手と結ばれるなんて寝ぼけたことを言っていないで、昭和時代のように、結婚は生きるための手段として考えるべきだ!!」
「自分も昭和時代に生まれていたら、苦労せずに結婚して、専業主婦になれたのに!!」
「結婚に必要なのは愛よりもお金!!」
「だって、愛情はいつか冷めるけど、経済性(お金)は絶対に裏切らないもん!!」(「じゃあ、テメエが稼げ!!」という辛辣なツッコミは入れないこと)
そんな(アホな)人間が敵視しているのが、男女平等と女性の社会進出である。
という頓珍漢な怒りね。
たしかに以前であれば誰でも結婚できたことは事実である。
だが、「昭和時代であれば、結婚したら誰でも専業主婦になれた」というのは誤りである。
過去に何度か取り上げたことがあるが、しばし「日本的」と呼ばれている、「男であれば新卒で安定した会社に就職して、勤続年数に合わせて給料が右肩上がりで、結婚して、子どもが生まれ、ローンで家を買い、子どもの学費を払い、定年まで勤めた後は、年金で悠々自適の老後を暮らし、女性であればそのような人の妻になる」という生き方ができたのは、昭和時代ですらせいぜい3割の人だけであった。
つまり、「昔は結婚したら誰もが専業主婦になれた」とは完全な幻想であり、自分はその3割の枠を巡る競争に勝ち抜く自信はあるのだろうか?
そして、そんな時代の結婚に憧れつつも競争に負けた人は、ぜひとも私の元同僚のような男と結婚して現実を知ってもらいたい。
もちろん、夫の低収入のせいで、働かざるを得ないことになっても、当時は働く女性の権利なんて認められていないし、セクハラも横行していたから、それに耐えてくださいね。
だって、そのような女性の権利を勝ち取ったのは、あなたが憎んでいるフェミニストですから。
フェミニストのやることは恋愛結婚と同じくらい憎らしいんですよね?
今年のジューンブライド企画はこの1本で終了となる。
私自身が経験していない以上、現実を教えるための喝ではなく、冷や水程度に留めたが、現時点で言いたいことはすべて出し切ったつもりである。
昨年の企画が上手く行かなかったことで、「自分は結婚に関する記事を書くことに向いていないのか…」と自信を失いかけていたが、やっぱりアクセス数が少なくても、言いたいことを言うのがこのブログの良さである。
そのことを再認識できたことに感謝している。(誰に向けてのお礼やねん)