たぶん、私はこれからもアフィリエイト記事を書かないだろう

2018年の12月にブログを始めて、およそ3年が経過した。

当初は写真も装飾もなく、文字だけでの味気ないブログだったが、昨年の3月にサムネイルを取り付けたことを皮切りに、徐々に他所のサイト並みの見た目には近づいてきた。

昨年の末からは一部の記事への見出し画像の取付と、サムネイルへの見出しコメントの書き込み、赤文字、太文字の多用化を行っている。

これは新規の記事だけでなく、過去の記事も順次更新している。

でも、さすがに300本以上ある過去の投稿をすべてリニューアルすることはしんどい。

こんなことになるなら、もっと早くから方針転換に着手すべきだった。

そんな愚痴を言いたくなるものの、このブログもまだまだ発展途上で、のびしろがあると思えば、それは嬉しく感じる。

今後も構成やレイアウトが変化する可能性は高く、「どのようなサイトになるのか?」は私でさえ想像できない。

しかし、「ブログがどんなに様変わりしようと、これだけはない」と確信していることがある。

それは、「アフィリエイト目的の記事を書かない」ということ。

今日はその理由について話を説明したい。

(※注意:今回、私が批判しているのは、アフィリエイト収入を得るためだけに、事実無根の内容や質の低い記事を書いているブロガーのことであり、本来の目的で記事を書いている人を誹謗する意図はありません)

・私は書きたいことしか書かない

私は3年以上ブログを書き続けているが、アフィリエイト活動は一切やっていない。

記事の中でおすすめの商品を紹介して、販売元のサイトのURLを貼ることはあるが、たとえ、そこから商品が購入されても、私には1円も入ってこない。

別にそのことが「惜しい!」とは思わないし、今後もアフィリエイターへ転身するつもりもない。

ブログの将来を全く予測できない私が、「アフィリエイト記事を書くことはない」と確信している理由。

それは、かつて某大手通販サイトのアフィリエイト審査に落ち続けた時の恨みがあるからではなく、単純に「記事の中で商品を紹介することがほとんどないから」である。

300本以上の記事で参考文献や、おすすめの英語勉強本を紹介したことはあるものの、そのような記事はおそらく全体の10%もないため、今からアフィリエイトを申請しても、おそらく却下されると思う。

もっとも、私自身、そのように判断されても、ビジネスパートナーの見極めという点においては妥当だろうと割り切っている。

それでは、「記事の中で登場したおすすめできるものを紹介するのではなく、最初から宣伝のために記事を書けばいいじゃないか?」と言いたくなる人もいるかもしれない。

だが、それでは本末転倒ではないのか?

わがままな子どものような言い方だが、私は常々こう思っている。

どんな記事を書くかは私が決める。

お金をもらって、好きでもないものを持ち上げる記事を書くことなど、死んでも御免蒙る。

たしかに、収益化を第一に考えるのであれば、「自身の体験や感想を伝えるためでなく、宣伝のために記事を書くこと」がベストな方法なのかもしれない。

だが、それは詐欺師としては一流でも、ブロガーとして、いや、人間として最低ではないのか?

金儲けのために、自分が心から愛用したり、おすすめできるわけでもないのに(体験談も捏造だと思われる)記事を書いて、読者をペテンにかけるなど、良心がある人間であれば、誰もが思いとどまるはずである。

しかし、悲しいことに、世の中にはそのような記事が氾濫している。

・これ本当に経験者が書いた記事なのか?

昨年の11月に、日本人のメル友を作れるために、出会い系サイトを利用した時の話をした。

「出会い系サイトは怪しい業者が多いから気を付けないといけない」

事前にそのようなイメージを持っていた私は、利用経験者が書いたと思われる記事をいくつも読んだ。

業者の見分けについては概ね特徴が一致していたため、大いに参考になったものの、素人女性(業者ではない一般の女性のこと)と出会った方法については、かなり疑わしい情報が多かった。

あのようなサイトの体験談を紹介しているということで、最終的に行き着く先のことは見当がついたものの、その様子をご丁寧に画像付きで公開している記事を見ると、それが実体験ではないことは容易に想像できる。

私は実際にサイトを通して、女性と出会ったことも、情事を育んだ経験もないが、業者でもない一般女性が出会い系で知り合った男とホテルへ直行することはあっても、その様子を撮影させることを許可するなど有り得ないだろう。(もし、盗撮だったのであれば、それはそれで悪質である)

その点についても情報を調べてみたが、おそらく写真の様子は援デリ業者の女性を撮影したやらせである可能性が非常に高い。

そして、このような記事の文中、または文末にはお決まりのようにサイトの広告が載っている。

つまり、それらの記事は出会い系サイトからアフィリエイト収入を得るために、事実無根のデタラメな内容を書いているのである。

しかも(余計なお世話であるが)、記事の書き方もかなり杜撰であることが少なくない。

たとえばある記事では、「○○メールで絶対に出会える方法」というタイトルで、○○メールの広告を貼り、(本当かどうか疑わしい)写真付きの体験記事で事細かに解説しているのだが、終盤に「だけど、そのサイトよりもおすすめなのは『△△メール』」と言い出して、今度は△△メールの広告へと誘導し、自分がそれまでに書いた記事の内容までもぶち壊すという壮大なオチを披露していた。

これは読者だけでなく、○○メールへの背信行為、並びに名誉棄損ものの悪質な記事である。

笑いを提供するコメディアンとしては一流なのかもしれないが…

・内容は良くても宣伝であることを悟った途端興醒めする

出会い系サイトの例は極端だが、それ以前からアフィリエイト丸出しの記事への嫌悪感を持つことはあった。

たとえば、仕事関係の記事を読んでいた時は、内容こそ「なるほど!」と唸るものであっても、最後には転職を促す流れになり、「そんなあなたにおすすめの派遣会社(転職会社)は・・・」という一文が登場し、そこには派遣会社や転職斡旋のエージェントの広告がデカデカと貼られていたことは一度や二度ではない。

記事の内容がどんなに素晴らしくても、そのような広告を目にしたら、「あ、この記事は宣伝目的で書かれたんだ…」と興醒めして、そのサイトには二度と足を運ぶことはなくなる。

これはブログだけでなく、動画であっても同じである。

面白そうなタイトルに引かれたものの、途中から明らかに話が商品の宣伝へシフトした時は視聴途中であってもブログの時と同様に直帰する。

現在は非表示にされているものの、YouTubeの動画にはかつて、低評価ボタンを押された数が公開されており、そのような動画は軒並み低評価数が多かった。

つまり、私と同じ考えの人は少なくないと思われる。

このように、ブログであっても、動画であっても、宣伝目的のためだけにコンテンツを制作しても得をすることなど何もない。

・貧乏であっても捨てられないもの

私はaazonのアフィリエイトを申請した時も、「おすすめの商品を紹介するのではなく、商品を宣伝するために記事を書くことは絶対にしない」と決めていた。

その考えは今も変わっていない。

だが、もしあの時、審査に通っていたら、今でも同じことを言えたのがは定かではない。

当初は高い志を持っていても、アドセンス収入だけでは雀の涙程度の収入にしかならず、「背に腹は代えられない」と思って、路線を変更していた未来もあったのかもしれない。

幸か不幸か、審査に通ることはなかったため、そのような迷いも、苦しみもなく、自分が書きたいことを自由に書くことができている。

たしかに、収益面では人に自慢できることなど成し遂げていないが、もっと大切なものを手にすることができたし、ブログを始めた時の志も守ることができている。

今後も、私がアフィリエイト目的の記事を書くことはないだろう。

貧乏であっても、品性は捨てないから。

99.999%ないだろうが、過去に紹介した商品の販売元から、宣伝依頼のお仕事を頂いたり、興味本位で始めたとしても、タイトルやカテゴリーに「宣伝」と入れると決めている。

前回の記事の締めで、「挫折から生まれた幸運」という話をした。

当初はアフィリエイトの広告を使いたかったが、審査に何度も落ち続けて断念した。

その時はとても悔しかった。

だが、審査に通らなかったことで、アフィリエイト収入よりも、大切なものを手にすることができた。

あの時、amazonアフィリエイト審査に落ち続けたことは、ブロガーとして最大の幸運だった。

今では自信を持って、そう言える。

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