初めて同僚のことを「お金のための人間関係」ではなく「仲間」だと感じた時

・ジョブ型とメンバーシップ型

私が働き方について考える時は、先ず「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」という二つのモデルを基準にして考えることにしている。

このモデルは以前の記事でも紹介したことがある濱口桂一朗氏が提唱したものである。

「ジョブ型」とは「仕事」がベースにあり、その職務に適任な人物を採用する。

仕事がベースにあるため、仕事内容や、応募者に求められる経験、能力は前もって知らされており、労働者は契約に定められた業務のみを行う。

そして、企業の方針転換や業務縮小などにより担当している仕事が消滅したり、(能力不足などで)その職務を果たせなければ、労働者はその職場を去らなければならない。

このような雇用形態は欠員が出た時に求人を出す、通年採用が基本であり、経験のない新卒者が一括採用で大量に採用されるということはない。

諸外国ではこのような雇用形態が一般的だと言われている。

一方の「メンバーシップ型」とは、先ず「人」を見て雇い入れるかを判断して、その後、彼らに適正があると判断した部署に配置するため、職種・勤務場所・勤務時間は採用後に決定される。

そして、職種とは関係なしに勤続年数を重ねたら給料が上がり、従事している仕事が消滅しても、企業は従業員を解雇することができず、配置換えで雇用を守らなければならない。

このような雇用形態では「どんな仕事をしているか?」は大して重要ではなく、「どの企業に所属しているか?」という企業への所属が重要視される。

同じ会社に所属する従業員は職種や勤務地に関係なく同じ「メンバー」とみなされて、同様の福利厚生を受けられる。

そのため、企業の人事命令を受け入れることは「メンバー」の義務であり、それに背くことは、メンバーへの造反を意味して、メンバーシップが剥奪(解雇)される。

すなわち、「メンバーシップ型雇用」において、給料とは労働の対価ではなく、組織に所属すること、または組織への貢献に対する報酬なのである。

従業員は働きながら仕事を覚えるため、就業前に全く職業的な能力がないことは問題視されない。

このような会社では、どんな(職業的)能力や経験があるかではなく、どんな仕事にも適応できる潜在的能力や人間性を基準に判断されて、まとまった数の若者を年一回に大量採用する。

「日本型雇用」と呼ばれるような年功序列・終身雇用のイメージはこの「メンバーシップ型雇用」から生まれている。

ただし、日本企業のすべてが「メンバーシップ型雇用」を採用しているというわけではない。

非正規の仕事は就業前から職種・勤務場所・勤務時間が定められており、就業後に企業の都合で一方的に変更することは原則としてできない。(例外はいくつも見聞きするが…)

そして、企業の「メンバー」としての福利厚生の対象ではないが、拘束力も随分と弱くなる。

また、正社員であっても中小企業で働く場合は、「メンバー」として手厚く保護されるような福利厚生の恩恵はあまり期待できない。

逆に、(免除されているわけではないものの)企業規模から勤務地や職種が限られているため、どのような仕事を行うかは前もって知らされているし、突然、畑違いの仕事を命じられることもほとんどない。

そのため、長期雇用と引き換えに受け入れなくてはならない不利益の範囲も大企業に比べれば小さくなる。(せいぜい長時間労働くらい)

このようなことから、正社員であっても中小企業の雇用は相対的にジョブ型に近くなる。

外国の人と雇用の話をする時(実際は日本人相手でもそうであるが)は、このような「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の違いを説明した上でなければ、話を正しく理解してもらえないことが多い。

・ジョブ型への哀れみとメンバーシップ型への感心

ここで個人的な話をさせていただきたい。

私はこれまで主に中小企業で働いており、派遣社員として大企業で働いた経験もあるものの、その時も部分的な業務のみに従事してきたため、自分の担当している業務以外のことは、その会社については何も知らなかった。

すなわち、ずっとジョブ型雇用の中で生きてきた。

「ジョブ型雇用」という名前を知ったのは最近のことだが、ずっとそれが当たり前だと思って働いてきたし、メンバーシップ型雇用の際限のない要求が、労働法を無視する企業王国思想のような考えにつながる諸悪の根源だと思っていた。

よく(嫌味なのか、本気で心配してくれているのかは不明だが)「非正規や中小企業は福利厚生が恵まれていないから可哀そう」などと哀れむ発言をする人がいるが、「給料なんてものは仕事の対価に過ぎない」と思っているし、むしろ、大企業で正社員として働いている人を見ていると「よくもまあ、就業前にどんな仕事をするか分からない会社で働こうと思えたなあ」と驚いてしまう。

恵まれた福利厚生がメンバーシップを根拠とした高い拘束性の対価と考えれば理解できるが、それでも、仕事も、職種も、勤務時間も雇われ先の都合で一方的に決められることは私には耐えられない。

私にとって給料とは仕事の対価であり、組織への所属や貢献することの対価ではない。

「給料に対する職責を果たさなければ、その時は潔く職場を去るべきである」

私は仕事にプライドや責任感など持っていないが、仕事とはそういうものだと思って生きてきた。

・退職日にメンバーシップ型の良さに気付く

さて、そんな私だったが、メンバーシップ型の良さを知った(厳密に言えば「体験し損ねた」)ことがあった。

私はかつて、派遣社員として英語関係のイベントを開催する会社で働いていた経験がある。

その仕事は未経験者でも積極的に採用する会社だったが、とてもではないが、私の能力ではこなせない仕事だったし、そもそも「それが派遣の仕事なのか?」と感じることもあった。

その上、私が担当しているイベント(他のイベントでも同じらしいが)の外国人のスタッフは「もはや嫌がらせか?」と思うくらい業務命令を聞いてくれない。

そして、そんな彼らを統制できないことをマネージャーのX氏から執拗に糾弾された。

そのようなことからなのか、体調不良にも見舞われた。

というわけで、私は二度目の契約更新の時点で退職を申し出た。

しかし、その時期は退職者が続出した後であり、会社の方はこれ以上退職者を出したくなかったのか、上司と再度面談することになり、こんな提案をされた。

・「仕事が難しくて責任が重い」というのであれば、担当業務の指示はこれまで通り、上司がすべて出す。

・まだ教えていない業務も、今まで通り、別の人に手伝ってもらうから、これ以上、何も新しいことを覚える必要はない。

・担当イベントの責任者にならなくてもいい。

・今やっている仕事をする以外は他の人の手伝いをすればいい。

だから辞めないでほしい。

要するに「簡単な仕事だけやればいいから、退職だけは考え直してくれ」と会社の方が譲歩してくれたのである。

これがメンバーシップ型雇用の特徴なのだろう。

今の仕事ができなくても、何とか本人の適正に合った別の仕事を探して、可能な限り解雇は避ける。

なぜなら、従業員はお金を産むための道具ではなく、同じ釜の飯を食う仲間だと考えているから。

ジョブ型雇用の場合は会社からこのような妥協案を提示されることなどない。

契約の切れ目は縁の切れ目を意味して、「仕事ができないのなら、さようなら」と言われ、突き放されるだけである。

ちなみに損得感情で考えると、その提案は私にとってかなりの儲けものだった。

他の人と同じ給料で自分だけは簡単な仕事だけをすればいいのだから。

しかし、ジョブ型の論理一辺倒に染まっていた私は「他の人よりも簡単な仕事しかしないのに同じ給料をもらうわけにはいかない」と思い、その提案を辞退した。

ジョブ型雇用の視点で考えればこれは当然のことである。

と思っていたが、退職日に数人の同僚と昼食を共にした時に、会社から提示された妥協案の話をつい漏らしてしまうと、真顔でこんなことを言われた。

同僚A「え!? 何でその話を断ったんですか!?」

早川:「えーと、皆さんと同じ給料を貰うのに、自分だけ簡単な仕事しかやらないというのは、申し訳ないと思いまして」(←文字の大きさを声の大きさを表す)

同僚B「早川さんが真面目に仕事に取り組んでいることは皆知っているから、それでもいいから残ってほしいと思っていたはずですよ!!」

え!?

これは全く予想外の反応だった。

私としては「給料は同じなのに、自分だけが簡単な仕事しかしないのは、他の人たちが納得するわけがない」と信じて疑わなかったが、実際は違った。

彼女らは同僚である私のことを仕事の能力ではなく、人柄で評価していた。(この記事にも書いた通り、職場での私は「大人しい田舎の青年」と思われることが多い)

もしかすると、マネージャーX氏はともかく、あの提案をした上司も同じ考えだったのかもしれない。

そして、私も定められた労働ができなくても、他にできることをやって、同僚の負担を減らすことで会社に貢献することはできたのかもしれない。

私はこの時初めて、メンバーシップ型の良さを知った。

言い換えれば、初めて同僚のことを「お金のための人間関係ではなく仲間」だと思うことができたのである。

それに気づくのはあまりにも遅すぎたが…

というわけで、私は、日本企業的な「業績よりも頑張りを評価する」とか「個のパフォーマンスよりもチームワークを重視する」といったメンバーシップ型雇用を好む人たちの気持ちも分かっているつもりである。

(まあ、私がこの経験をしたのは日系ではなく外資系の会社だったけど…)

・過度なメンバーシップの要求はメンバーシップ型の良さを損なう

それまでジョブ型雇用がすべてだと思っていた私だったが、自らの体験でメンバーシップ型雇用の良さにも気付いた。

メンバーシップ型の雇用の良い面は懐が広いこと、つまり、一つの仕事ができなくても直ちに職場を去る必要はないことである。

この社会には、過去の私と同じく、メンバーシップ型雇用の良さに気付いていない人がいる。

しかも、それは私のように枠の外で生きていたためにその良さに気付かなかった人ではなく、なぜかバリバリのメンバーシップ型雇用に身を置いている人たちだったりする。

かつて私の知人が、公務員として働いている大学時代の同級生から「仕事を辞めたい」と相談されたことがあった。

理由は長時間労働や仕事のプレッシャーで体力的にも精神的にもしんどいのだが、そのことを上司に漏らすと出世に響く可能性があるため、職場の誰にも相談できず、仕事を続ける自信が完全になくなったらしい。

「いや、公務員はクビになることはないのだから、疲れたのなら堂々と休職すればよくない?」

その結果、出世競争から脱落するかもしれないけど、出世などしなくても、食い扶持に困ることがないのが、公務員や大企業のメンバーシップ型の良い面である。

にもかかわらず、休んだり、出世コースから外れることを気に病んで、退職するなど本末転倒ではないか?

せっかく、メンバーシップ型雇用の恩恵を最大限に享受できる環境にいるのに、なぜその長所を自ら放棄しなければならないのか?

同様にメンバーシップ型の長期雇用と引き換えに、人事権は鉄の掟だと考え、「その要求に従えない者は職場を去れ!!」と考えている人もいるが、それはメンバーシップ型雇用の良さを破壊することにつながるのではないかと思う。

繰り返すが、メンバーシップ型雇用の良さは、従業員のことを「仲間」だと考えて、たとえ、ある仕事ができなくとも直ちに解雇することはなく、お互いに歩み寄って、他に会社に貢献できる道を探すことができることである。

にもかかわらず、一方的に会社から要求された仕事(または勤務地、勤務時間などの条件)をこなせないから、「職場を去れ」というのはメンバーシップ型雇用の良さに反しているのではないか?

年功序列や終身雇用はメンバーシップ型の権化かもしれないが、決して最大の長所ではないと思う。

それに囚われすぎると、最も大切なことを見失ってしまう危険性がある。

私はあの時、何が最も大切なことなのかを見誤ってしまったせいで、自分のためにも、私を認めてくれていた人のためにも仕事を続けることができなかった。

できることなら、あの時に戻ってやり直したい。

読者の皆様には同じ過ちを犯さないでほしい。