ペンパルサイトでの会話で陥りがちな失敗

前回の記事で「ネットの世界では自分とは違う世界を生きる相手と対話するため、会話を成り立たせる前提を言葉で表さなくてはならない」ということを書いたが、今日はそのことについて詳しく書かせてもらいたい。

・楽しい会話の前提となるもの

私たちが会話をして楽しいと感じる時は、自分と相手が同じ認識を共有しているという前提がある

それは言葉で説明することで相手に理解してもらうものだけとは限らず、同じ場所で同じ時間を過ごした経験が基になっていることもある。

むしろ、言葉よりもそのような経験の方がより相手と親しくなるものである。

子どもの頃に仲の良い友達と分かり合えたのは、単に一緒にいる時間が長いということだけでなく、生きている世界が狭いため、相手も自分と同じ学校で、同じ授業を受けて、一緒に遊んで、家に帰っても同じようなテレビ番組を見ていたので、「自分も相手と同じ(だろう)」と思うことができたからだろう。

このように、人間は同じ経験を通して仲を深めて、さらにそれを基にして楽しい会話へと繋げることができる。

しかし、ペンパルサイトで外国人と仲良くなりたいと思っても、同じ経験を通して仲良くなることは不可能であるため、必然的に言葉で説明して自分の気持ちや現在の状況を理解してもらわなければならない。

それを抜きにして、「相手のことを知りたい」とか「自分のことを分かってもらいたい」というような日常やプライベートな領域に踏み込んだ話をしたいと思っても、それは不可能なのである。

・共通の認識を欠いた会話

たとえば、日本人同士で次のようなやり取りをしたとする。

A:「私は正社員で働いているんだけど、毎日2時間は残業があって、しかも残業代が出ないんですよ」

B:「それは大変ですね」

この社会で働いている者の間では、ごくありふれた会話である。

A氏が自分の仕事について話し、それを聞いたB氏がA氏は仕事で大変な思いをしていることを瞬時に理解してくれて、彼に同情する。

A氏はB氏の言葉を聞いて、自分のことが分かってもらえたと思いホッとするだろう。

しかし、このやり取りは話の聞き手であるB氏が

・正社員は定時で退社できないことが珍しくない。

・(違法であるが)会社が残業代を支払わないことが珍しくない。

・搾取されている労働者が会社を訴えることは珍しくない。

・仕事に不満があっても転職できないことが珍しくない。

というような前提を理解してくれて初めて成立する。

もしも、A氏が、このような日本の職場慣行を知らない中学生に先ほどの仕事の悩みを打ち明けたとしよう。

すると彼らは不思議な顔で

「毎日定時で帰ることができないのに、どうして会社は人を増やさないの?」

「どうして会社は残業代を払わないの?」

「どうして法律を守らない会社を訴えないの?」

「どうしてそんなひどい会社で働き続けるの?」

と質問攻めにするだろう。

彼らにはB氏のように「それは大変ですね」という言葉をかけることはできない。

A氏が彼らに自分の苦しみを理解してもらいたい場合は

・なぜ定時で帰ることが難しいのに、会社は人を増やさないのか?

・なぜ会社は残業代を払わなくてもいいと思っているの?

・なぜ少なくない人がそんな会社で働き続けているのか?

・そもそも正社員とは何なのか?

を説明しなければならない。

ネットで知り合った外国人に自分生活の不満を聞いてもらいたいと思うのは、日本の雇用慣行を知らない中学生に仕事の愚痴をこぼしたいと思うことに似ている。

以前、社会で上手く生きていけない人たちが、身近にいる自国の人ではなく、ネットで知り合った外国人に不満を聞いてもらいたいと思っている理由を記事に書いたことがある。

同じ社会を生きて、同じような苦労している相手に悩みを打ち明けても、

「(俺も苦しいのだから)甘えるな!!」

の一言で済まされるが、別の社会を生きる外国人はそのような前提を共有していないため、話を真剣に聞いてくれる。

だから、身近な人には相談できない人でも、外国人には簡単に心を開いてくれることがある。

しかし、そこには同じ前提を共有していないからこそ、それについて一から説明しなければならない煩わしさが伴う。

それに嫌気がさして、会話の途中で連絡を絶つ人も珍しくない。

・「外国人はディベートが得意」はウソ

外国人と会話をするために必要なことは、先ずは自分の置かれている状況を相対化して相手に伝えることである。

たとえ、一度で相手に理解されなくても、

「どうして、相手はそのように思うのだろう?」

と相手の視点に立って熟考した上で、再度相手に説明する。

そうして言葉を重ねることで相互理解や信頼が生まれる。

「相対化して相手に説明する」と聞いたらディベートを想像したかもしれない。

ディベートといえば、

「外国人(特にアメリカ人)は子どもの頃から徹底的にディベートの訓練をされており、この手の対話を得意にしている」

「だが、日本人はディベートが苦手で、学校の授業に外国型を参考にしたディベートを取り入れても、何を話したらいいか分からずに一言も発言できない子どもや、ディベートの意味を勘違いして相手を言い負かすことに快感を覚える子ども、反論されて感情的になって手を出してしまう子どもが続出してしまう」

「だから、その発想は日本人には馴染まない」

と考えている人がいる。

しかし、以前アメリカ人に言われて驚いたのだが、アメリカにもディベートを苦手にしている人はたくさんおり、先ほど挙げた、何も発しない人、相手を言い負かすことしか考えていない人、カッとなって手を出す人というのは大人でも珍しくないらしい。

そのため、外国人ならこのようなコミュニケーションが得意だから、相手に任せたら自然にリードしてもらえると考えることはできない。

・海外の宿で会話をすることをイメージする

さて、相手は自分と別の世界を生きていることを前提に考えて、相手との距離を縮める方法であるが、このアプローチが最も自然にできる場所は海外旅行先の宿舎である。

私はこれまで数か国で相部屋の宿に泊まったことがあるが、そこで出会った人たちとは自然と自国に居た時の暮らしや生い立ちについて話をすることができた。

それも、ペンパルサイトで大勢見てきた、一方的に「話をしてよ!!」というように縋るのではなくお互いに語り合うように。

彼らは単なる旅行者ではなく、留学やワーキングホリデーでその国を訪れている人が多かったため、それぞれの暮らしを相対化して考えることができたことも理由だろうが、おそらく、お互いに日常から離れた場所にいるということが、一線引いた位置から自分の生活を客観視できることにつながるのではないかと思う。

ちなみに、これは外国人相手に限った話でなく、そこで出会った日本人とも同じような会話が成立した。

普段の生活で出会う人とは決してそんな話はできないだろう。

というわけで、ペンパルサイトで知り合った外国人とどのように距離を縮めたらいいのか分からないと思う人は、一度旅先の宿で出会った人と会話をしている姿を想像しながら会話をすることをおすすめする。

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