身近な人ではなくネットで知り合った外国人に悩みを打ち明ける理由を考えてみる

ペンパルサイトで半月ほど交流していると次第に日常生活の悩みを打ち明けられることが増えてくる。

職業、性別、居住地を問わず日々の生活に悩みや不満を持っている人は多い。

彼らに何気なく「近くに相談できる友達はいますか?」と聞くと大半は「いない」と答える。

だから、私のようなネットで知り合った相手に話を聞いてもらいたいのだろう。

しかし、ここで疑問が生まれる。

「身近に悩みを相談できる人がいないから、ネットで出会う誰かと話をしたい」という考えは理解できるが、なぜ、その相手が外国人なのだろうか?

英語のネイティブスピーカーならまだしも、非英語圏の人が外国語で自分の悩みを打ち明けることは簡単ではない。

母国語では思っていることを伝えることなど大したことはないが、外国語で同じことをやろうとすると(たとえ翻訳ソフトを使ったとしても)細かなニュアンスのズレが生じて相手を誤解させてしまう危険がある。

それなら国内向けの交流サイトで同じ国の人を見つけて、悩みを聞いてもらう方がはるかに簡単で安全ではないだろうか?

・外国人に話を聞いてもらいたいと思う2つの動機

これは私の推測であるが、このような人は社会への不満があったり、社会生活が上手くいっていないことが多い。

だから、今の生活を(もっと言えば自分の人生を)変えるために、海外へ出たいと思う人がいる。そして(なぜ、彼らが日本を選んだのかは知らないが)目ぼしをつけた国の情報を集めるために私に接触してきているのだろう。

たとえばこの人この人である。

このような人たちが社会に不満を持ち、周囲に理解者がいないと思うことは想像に難しくない。

ただ、「今の暮らしが不満だから海外へ出るぞ!!」というような大きな目的を持っていない人でも「自分の周りには話を聞いてくれる人がいないから、外国人(=私)に話を聞いてもらいたい」という人は少なくない。

たとえばこの人この人である。

しかし、冒頭でも説明した通り、なぜ彼らが同じ社会を生きる人たちをすっ飛ばして、外国人である私に自分の悩みを聞いてもらいたいと思っているのかは謎であった。

その理由が最近分かってきたような気がする。

・社会規範に封殺される悩み

日本以外の国にも(程度の差はあれ)社会規範があるわけだが、同時にそこからスティグマが生まれたり、(スティグマについてはこの記事を読んでほしい)この国の「自称社〇人」のように規範から外れた人を見かけると喜び勇んで飛び掛かって、「自業自得」だの「自己責任」だの「甘えるな!!」だのと説教したがる困った人もいる。

だから、その攻撃を恐れて自分の悩みや状況を正直に伝えることをためらうことがある。

しかし、そのような規範が存在しない国で生活している人は同じような前提がないため、このような非難をされることはない。

そのため、外国人には進んで自分の悩みを打ち明けて、話を聞いてもらいたいと考えているのだと思う。

私が過去にペンパルサイトで知り合った人から聞いた悩みの大半は、自分たちの社会に対することだった。

私はペンパルサイトを4年以上使っているが、恋の悩み、友人との関係の悩み、体形の悩み、学校卒業後の進路の悩みなどを聞かされたことは一度もない。

「日本で働きたい」と願う人からの相談は「進路の悩み」と呼ぶことができるかもしれないが、彼らが「日本で働きたい」と思う理由も突き詰めていけば「自国の社会への不満」からというものが大半である。

おそらく、彼らは社会に対する自分の不満を漏らすと、その都度、否定されて、散々説教をされてきたから、自分を苦しめる社会規範に侵されていない外国人に対してだけは正直に自分の気持ちに打ち明けることができるのだろう。

そして、このような関係がとても心地よいのだろう。

思えば私も似たようなものである。

この記事に書いた通り、仕事の悩みを人に相談しても、大半は的外れな反応であり、役に立つ助言をもらったことなど一度もない。

それどころか、自分を否定されることがほとんどだった。

そんなことが続くと、いつの頃からか、「この社会には自分の味方がいない」と思うようになり、自分の本心を誰にも打ち明けることはなくなった。

そして、自分を苦しめるものから逃れるには「海外に行くしかない」と思った。

同じ社会を生きている人に悩みを打ち明けることができない理由もこれと同じことだろう。

もう一つ、外国人の場合は「自分とは違う世界に住んでいる」という前提で物事を考えるので、奴隷の鎖自慢的なマウンティングを取られる心配がないという点も考えられる。

日本人で例えると、

毎日1時間近く「サービス残業」と誤称される不払い労働を強制されている人が愚痴を聞いてもらいたいと思って「うちの会社ってヒドイよね…」と発言したとする。

このようなことを言うと

「甘えるな!!」

「そんなこと当たり前だ!!」

「自分はもっとひどい目にあった!!」

と発狂する困った人もいる。(詳しくはこの記事をご覧いただきたい)

しかし、違う世界に住んでいる外国人にこのような話をすると自分と比較するのではなく客観的に評価して「それは違法じゃないの?」と聞いてくれる。

目の前の現実が変わることはなくても、そのような言葉をかけられるだけで、人は救われた気持ちになるものである。

・まとめ

彼らを見ていると、居住地や性別にかかわらず多くの人が自分の気持ちを分かってもらいたいのかがよく分かる。

念のために言っておくが、これは決して外国人(ややこしい言い方だが、外国人から見たら私たち日本人が「外国人」になる)が優しいとか特段人の話を聞いてくれるというわけではない。

単にその国のことを知らないのだから、アドバイスなどしようがなく、話を聞くことしかできないだけである。

しかし、話を聞いてもらいたい人はそれだけでも満足なのだろう。

そこに人の話を聞くためのヒントがあるように思われる。

「社会は甘くない!!」

「何でもいいからとにかく働け!!」

「嫌なら辞めろ!!」

「俺が若い時は~!!」

そんな説教は耳タコだし、そんなものから一体何が生まれるのだろう。

話を聞くだけでいい。

それは日本人相手であっても外国人相手であっても同じことだと思う。

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