相手への「妥協」という言葉の本当の意味

突然だが、

相手には「妥協」が必要だ。

あなたは、この言葉を聞いたら、どう思うだろうか?

この「相手に妥協する」という言葉は結婚相手に対して使うことが多い気がする。

ある人は、現実的な言葉だと思うかもしれないが、「自分は妥協した結果、今の相手と結婚した」と宣言している人を見て、いい気になる人はいないだろう。

さて、「結婚相手に対する妥協」という言葉は、主に相手が自分の希望する条件を100%満たしていない場合に使われる。

「性格も収入も理想通りなんだけど、どうしても身長だけが・・・」

「顔も性格も問題ないのだけど、30代という年齢だけが・・・」

このように自分が希望するすべての条件を満たしている人はまずお目にかかれないだろうから、多かれ少なかれ妥協しなければならない。

考えてみれば、「相手への妥協」とは何も結婚相手を探す時にのみに使われる言葉ではない。

たとえば、「友達」である。

「この人は自分のすべてを受け入れてくれるから『友達』だと思っていたけど、やっぱり違う気がしてきた・・・でも一人ぼっちは嫌だから『妥協』して付き合うか・・・」

どこかの中学生が一人になった時に呟いていそうなセリフである。

先ほどの結婚相手の件についても同じだが、

「自分の要求を100%満たしてくれる相手など存在しない」

それを分かっていても、恋愛や友情となると、相手に自分の理想像を求めてしまう。

だから、それが満たされない現実に直面した時につい「妥協」という言葉を使ってしまうのだろう。

だが、相手も自分と同じ生きている人間であり、その人に対して「妥協」という言葉を使うのはあまりにも失礼ではないか?

少なくとも私はそう思うので、「相手に対して妥協する」という言い方は避けてきた。

しかし、最近になって「相手に対する妥協」という言葉の正しい意味が分かったような気がしてきた。

それは「相手が自分とは別の人間であることを認めること」ではないかと思う。

これは何も「年収は1000万円以上で身長は180㎝以上の相手(あるいは年齢は25歳以下ですべての家事を完璧にこなす人)じゃなきゃ結婚したくない!!」と言っている(自分のことを棚に上げて、相手に高望みしている哀れな)人たちだけのことを言っているのではない。

恋愛結婚のようにお互いに恋に落ちて結婚した場合でも、次第に相手を自分と同一視してしまい

「何年一緒にいると思っているんだ!!」

「言わなくてもわかるでしょう!!」

というように、無意識の内に相手を傷つけることがある。

だから、「たとえ、相手が大切な人であっても、自分のことを100%受け入れてくれるわけではない」ということを常に認識しておくことが、「相手に対する妥協」という意味ではないだろうか?

誤解してほしくないのは、私は「どうせ、誰とも分かり合えることはできないのだから、適当に上辺だけで取り繕えばいいや。」という考えを推奨しているのではない。

私は、相手と自分は違う人間だからこそ、常に分かり合えるという幻想を捨てて、相手への敬意を持ち、お互いに歩み寄る姿勢が大事だと言いたいのである。

自分の思いを100%受け入れてくれる人など存在せず、相手が他人であることを認めることは「絶望の終着点なのではなくて希望の出発点(※)」なのである。

と、ここで終われば「いい話」で幕引きできそうだが、プロフィールに書いてある通り、私は未婚で、恋人もいない。

だから、これは私が試行錯誤して悩み抜いた末に出した結論ではない。

「そんな人間がこんな記事を書いたところで、何の説得力があるんだ!?」という批判は反論のしようがない。

私がこんな記事を書いていることを知人が知ったら「お前がそんなこと言える立場か!?」と言って、大いにあきれることだろう。

実を言うと、今日のテーマはペンパルサイトで知り合った台湾人から言われたことをヒントにして書いたものである。

次回はその時の話をする。

今日の推薦本

友だち幻想 菅野仁(著)

友達や学校の同級生に対して「この人は自分とは合わないな」と思いつつも付き合うことで、息苦しさを感じている人におすすめ。

(※)のフレーズはこの本からの引用。