先週の土曜日の昼間から夜にかけて関東地方に台風が上陸し大きな被害を出した。
私は大きな被害こそ受けなかったが、アパートの内壁に雨水が入り込んだようで、雨風がもう少し長く続いたら、雨が室内にも入り込んできたかもしれない。
家の外で台風が猛威を振るいながら、雨水が徐々に壁へ染み込んできている様子を見ると「頼むからもう少しの間、耐えてくれ」と祈っていたのだが、水が染み込んでくる壁を見ていると昔のある出来事を思い出した。
・宿泊先で雨漏りが発生する
これは今から6年前の2013年の出来事である。
私は、まあいろいろと事情があって、クアラルンプール(マレーシアの首都)の格安ホテルに1週間程滞在していた。
到着当初は晴れていたのだが、昼間頃から時折雨が降り出して、夜になると大雨になった。
雨が強まった時、私は食堂で夕食を取っており、壁際の席に座ったのだが、壁に不自然なふくらみがあることに気づいた。
よくよく見ると、そのふくらみは徐々に大きくなってきていた。
壁を触ってみると水気を含んでいることが分かった。
外では大雨が降っているため、それが雨水の侵入であることは明らかだった。
私はすぐにホテルの従業員に知らせようとした。
しかし、「雨漏り」を英語で何と言えばいいのか分からなかった。
というよりも、今起こっているのは「雨漏り」ではない。
その時の私はこんなわけのわからないことを考えるほどパニックになっていた。
(ちなみに当時の私の英語は英検3級の試験に落ちるレベルである)
すると、東洋系の顔立ちの女性が私の向かいの席に座った。
そう思って、雨漏りのことを彼女に伝えることにした。
と言って声をかけたが良いが、「雨漏り」のことを何と伝えたらいいのだろう・・・
とりあえず、壁を指さして「何かが起こっている」と言いたくて、思わず
と言った。
私の期待通り、彼女は雨水の侵入のことを気づいてくれて、それを従業員に伝えてくれた。
…のだが、その従業員は「ここではそんなのいつものことだ」と言わんばかりに放置していた。
未だに降り止まぬ大雨の中、私は不安を感じつつも、彼女にお礼を言った。
すると、彼女は私に英語で「どこから来たのか?」と尋ねてきた。
私が
と答えると彼女は笑って「私も日本人ですよ」と言った。
私のたどたどしい英語を彼女に笑われたのは恥ずかしかったが、言葉の通じない外国で雨漏りが起きるほどの大雨の中、同じ日本人がいることは私にとてつもない安心感をもたらした。
その後は彼女と身の上話をすることになった。
彼女の名前は分からない。
最後までお互いに自分の名前を名乗ることがなったから。
彼女とはマレーシアで出会ったのだから、ここではとりあえずM子と呼ぼう。
・30歳の女性が仕事を辞めてマレーシアに来た理由
M子は当時30歳でマレーシア南部のジョホールバルにある語学学校で1年ほど留学している最中で、クアラルンプールへ観光に来ていて、私と同じホテルに泊まっていた。
彼女は「日本にいる時は他人のケアをする仕事をしていた」と言っていたのだが、それが介護なのか医療なのかは分からない。
その仕事を辞めてマレーシアへ留学した理由は「英語と中国語(※)を学ぶこと」が目的だったのだが、それは家族や元同僚へ向けた表向きの理由で、本当は当時の日本での生活に不満(不安?)を持っていたからのようだ。
(※マレーシアは多民族国家であり、公用語のマレー語・英語の他に華僑のコミュニティでは中国語も使われている。首都のクアラルンプールに住む華人の間では広東語が主流だが、彼女が留学していたジョホールバルでは北京語に近い言葉が多く使われている)
留学前の彼女は親しい友達がいなくて、大した趣味もなかったようだ。
そんな中、家と職場を往復するだけの生活に対して「このまま何もせずに年を重ねること」に不安を感じて、思い切って留学することにしたらしい。
たしかに、「仕事以外にやることのない生活に嫌気がさして、今の生活をリセットしたい」という気持ちは理解できるのだが、安定した(のかどうかは知らないが)仕事を辞めてまで、海外へ出るというのはあまりにもリスクが大きいのではないか?
語学を身に着けて帰国後の再就職へ活かすつもりなら、「キャリアップのための留学」と言えるかもしれないが、そういう目標があるわけでもないらしい。
その上、年齢フィルターという固定概念にとらわれていた当時の私は「ワーキングホリデーやバックパッカーのような冒険をするのは20代前半までで、25歳を過ぎたら(形はどうあれ)手に職をつけているもの」だと思っていた。
そのため、M子の行動や考えが理解できなかった。
とんでもなく失礼な言い方なのだが
「その年齢で海外をフラフラするなんて恥ずかしくないのか?」
これが当時の私の偽らざる本音であった。
・あなたもいつか私と同じ思いをすることになる
はたして、彼女の言う「日本での生活の不安」とはどのようなものだったのだろう?
それが気になった私は遠まわしに次のような質問をしてみた。
M子は私の質問に答える前に私へ次々と質問を投げかけた。
M子 あなたは心から信頼できる友達はいるの?
早川:「学校を卒業した後も、よく遊んでいた友達は2人ほどいたけど、もう何年も会っていません」
M子 彼女はいる?
早川:「いいえ。いません」
M子 心から楽しめる趣味はある?
早川:「いいえ。特に何も」
M子 だったら、あなたもいつか私と同じ思いをすることになるよ。
早川:「そんなものかなぁ」
M子 だから、私のようにいい歳して海外をフラフラする人間にならないように、家族や友達を大切にして充実した生活を送りなさい。
早川:「はぁ・・・(あ、自分がどんな目で見られているのかは一応分かっていたのか)」
M子は日本にいた時のことについては多くを語らず、「マレーシアに来てよかった」と言うこともなかった。
単に私の将来を気に掛けるような言葉を残すと「翌朝このホテルを出る」と言って部屋に戻った。
翌朝の5時、旅先で目を覚ますには早い時間だが、私は彼女に雨漏り事件の対応をしてくれたお礼と別れの挨拶を言いたくて、食堂で彼女を待つことにした。
だが、彼女が私の前に現れることはなかった。
もちろん、連絡先など聞いていないのだから、私が彼女と会うことは二度とない。
・当時のM子の年齢に近づいた私が考える彼女の言葉の意味
あれから5年以上の歳月が過ぎて、今では30代後半になった彼女は今どこで何をしているのだろうか?
当時20代前半だった私にはM子が持っていたであろう留学前の空虚感や焦燥感がいまいちピンと来なかったが、あの時の彼女と同じ年齢になった今では、彼女の言いたいことがよく分かる。
彼女は留学前の心境を「空っぽの人生」という漠然とした短い言葉で表現していた。
それを聞いた私は「空っぽと言うが、彼女は日本で最低限の暮らしができていたのに何が不満で留学なんてやっているのだろう?」と内心冷ややかな態度を取っていたのだが、今では彼女が求めていたものは、自分の考えを豊かにするための「経験」や自分を支えてくれる(そして自分が支えることにもなる)「仲間」のことで、もっと格好いい言葉で言えば「生きがい」のことだったのだろうと思えるようになった。
もちろん、それを得るためには楽しいことばかりではなく、時には、悩んだり、苦しんだりすることにもなるだろう。
しかし、彼女が求めていた「生きがい」とはその壁を乗り越えた時に手に入れることができるはずだ。
・・・と私は思うのだが、M子に会うことは二度とないだろうから、これが彼女の言いたかったことの正しい解答なのかは未だに分からない。