
3月も半ばになり、もうすぐ新年度を迎えようとする。
この時期の定番のイベントといえば卒業式である。
卒業式と聞くと、世の中では感動的な思い出として語られることが多い。
しかし、私にとっての卒業式は、悪い意味で今でも忘れることが出来ない。
そして、あの時の記憶が、今の私の習慣にも影響を与えている。
・卒業式の悪夢

私は20年以上、仕事や学校の日はほとんど同じ朝食を取り続けてきた。
コーヒーを一杯とトーストを2枚。
それだけのシンプルな朝食だ。
多くの人から見れば、特別多いわけでもなければ、健康的な朝食の一例といえるかもしれない。
だが、私にとってはこの朝食を食べることが、決して楽なことではない。
私はそもそも、朝はあまり食欲がない。
トースト2枚という量でも、決して軽く食べられるわけではなく、たったこれだけの食事に毎朝30分ほどかけないと完食出来ず、それもコーヒーで流し込むようにして無理やり食べている。
「そこまでして食べる必要があるのか?」とは自分でも思い、多くの人もこう言いたくなるであろう。
「そんなにしんどいなら、食べなければ良いのでは?」
「もしくは1枚に減らすとか?」
しかし、それでも私は朝食の量を減らそうとは考えていない。
その理由は、中学生の頃のある出来事にある。
今から20年ほど前、当時中学2年生だった私は3年生を見送る卒業式に在校生として参加していた。
当日の朝はあまり空腹ではなかった。
普段はトーストを2枚食べていたのだが、その日は「今日は午前中だけだから、1枚だけでもいいか」と軽く考え、トースト1枚とコーヒーだけで家を出た。
その判断は大間違いだった。
卒業式は決して長い時間行われたわけではないが、実際の時間以上に長く感じた。
卒業証書の授与や校長の話、来賓の祝辞など様々な進行がある。
卒業生は証書を受け取るために動く場面もあるし、マイクの音が反響しやすい前方に座っているため、周囲の雑音もそれなりにある。
だが、在校生は、会場の後方でひたすら座っているだけだ。
式典の最中は当然ながら非常に静かである。
そんな静けさの中で、朝食にトースト1枚しか取らなかった私のお腹は何度も鳴った。
しかも、「グゥ~」だけだったら、生活音として聞き流せるのかもしれないが、空腹が激しくなるに連れ、「ギュルルルゥ~」、「ゴロゴロ~」などまるでオナラや下痢でもしているかのような大きな音が出るのだ。
当初は「周囲に聞こえているのではないか…」と気になる程度だったが、明らかに私への視線を感じ、鼻に手を当てたり、口を開けて歯が見えた人を見るだけでも、「私のことを笑っているのでは…」と疑ってしまう程だった。
式が終わるまでの時間は、とても長く感じられた。
誰かに直接何か言われたわけではない。
しかし、あの時の「恥ずかしい」という感覚は、今でもはっきり覚えている。
・学生より社会人の方が楽と言える場面

当時近くに座っていた人たちとは、今では全く交流がない。
もしかしたら、周囲の人は何も覚えていないかもしれない。
それでも、20年以上経っても、あの時の記憶は私の頭からは消えていない。
それ以来、私は「人前でお腹が鳴ること」に強い抵抗を感じるようになった。
朝にあまり食欲がない日でも、トーストを2枚食べるようになったのは、その経験がきっかけだ。
お腹が鳴るかもしれないという不安を避けるために、無理をしてでも朝食を取るという習慣が身についてしまったのである。
なお、その日以降は卒業式の苦い記憶がトラウマとなったためか、トースト2枚食べても、「お腹が鳴るんじゃない…」という恐怖に襲われ、そのような精神的苦痛でさらにお腹が鳴りやすくなるという悪循環に陥り、4限目の授業(私が通っていた学校では4限目と5限目の間が昼食だった)が体育の授業だと心底ホッとした。
この季節になると、テレビやニュースでは卒業式の話題を多く見かけるのだが、私は2年生の時に経験した空腹事件の記憶が強烈に残っているので、自身が卒業生として参加していた時のことは全然覚えていない。
「卒業式」と聞くと、真っ先に思い出すのは、あの静かな会場でお腹の音が鳴り続けた出来事なのだ。
学卒後は販売や工場のような立ち仕事で働くことが多かったので、学生時代のように空腹に悩むことは(一時を除いて)なくなった。
しかし、上京後は事務職として働くことになると、静かで他人との距離が近く、座りっぱなしで逃げ場がない環境で作業をする時間が増え、当時の悩みが再燃した。
だからこそ、お腹の音が気になる場面もあるのだが、学生時代と決定的に違う点がある。
それは、仕事中でもある程度自由に栄養補給ができることだ。
例えばドリンクゼリーのようなものを少し飲むだけでも、空腹はかなり和らぐ。
実際、私は仕事中にそうしたものを取り入れることで、かなり気持ちが楽になった。
これは学生時代との大きな違いである。
「社会は学生時代のように甘くない!!」と言われることが多いが、食事休憩以外の栄養補給については、圧倒的に社会人の方が楽である。
・早弁はボケキャラのお笑いシーンではない

今は学生時代と違うとはいえ、今でもふとこんなこと考えることがある。
「今の学校はどうなっているのだろうか?」と。
私が中学生だった20年前は、私物のお菓子や飲み物を持ってくることは禁止されていた。
授業中どころか、休み時間であっても基本的に栄養補給のようなことはできなかった。
学校によって違いはあるかもしれないが、少なくとも私の通っていた学校ではそうだった。
今では熱中症対策などもあり、水筒の持参などは以前より柔軟になっていると聞く。
ところが、お腹が鳴らないための栄養補給はどうだろうか?
もし20年前とあまり変わっていないとすれば、私と同じように「お腹が鳴ること」を気にしている生徒もいるのではないだろうか。
中学生の頃は皆勤賞を目標としていた私は、そのことが原因で学校へ行けなくなるようなことはなかった。
しかし、思春期の頃というのは、小さなことでも大きな不安になる時期だ。
静かな教室でお腹が鳴ることが怖くて、学校に行くのが嫌になってしまう人がいても、決して不思議ではないと思う。
もちろん、授業中に自由に飲み食いをすることには、学校として難しい面もあるだろう。だが、せめて体調管理や軽い栄養補給のための柔軟な対応はあってもいいのではないかと思う。
お腹の音という、本当に些細なことで悩む生徒が少しでも減るのであれば、その方が良いはずだ。
よく青春ドラマや漫画では、午前中の授業時間に空腹に耐えかねて、弁当を食べる「早弁」と呼ばれる行為(その後、教師に見つかって説教されるまでがお約束)が描かれているが、あれは決してボケキャラによるギャグシーンではなく、時代を先取りした行為だったのかもしれない。
春になると卒業式のニュースを目にするたび、私はふとあの日のことを思い出す。
そして、朝にコーヒーでトーストを流し込んでいると、「今は仕事中に栄養補給が出来ているとはいえ、未だに20年も前の出来事に怯えているのだな」と実感している。
事あるごとに「不登校問題に取り組んでいます!」とアピールしている学校関係者やお役人、政治家の皆様には、ぜひとも昼食時以外の栄養補給を認めるよう働きかけてもらいたい。
それが20年以上前の学校行事のトラウマを未だに引きずり、一歩違えば、学校に通えなくなっていたかもしれない私からの切なる願いである。







