電車の中で目撃した子どもたちを守るヒーロー

これは先週の出来事である。

その日は平日だったが、私は諸事情により午後から早退することになった。

会社を出た私は電車に乗って目的の場所へ向かうことになった。

今からする話はその道中で起こったことである。

・いつもの路線を利用すればよかった…

私が今の職場で働き出して、早退することは今回が初めてだった。

現在働いている職場の退社時刻は大体18時から19時の間である。

駅まではいつもと同じ道のりだが、初めて日が差し込んでいる真昼の光景を目にしながら歩いていると、とても新鮮な気分になる。

そんな軽やかな気分で歩いているとあっという間に駅に到着した。

勤務先の最寄り駅から目的地までは2つの路線が並行している。

いつもは、自宅の最寄り駅を通る路線との乗り換えの兼ね合いから、利用する路線が決まっているが、その日の目的地は勤務先の最寄り駅といつも利用している乗換駅の間にあるため、どちらの路線を使っても構わなかった。

というわけで、普段は利用しないものの、たまたま私がホームに到着した時に電車が停車していた路線を利用することになった。

その何気ない選択が今回の出来事につながった。

その時間帯はデータイムということもあり電車の中はかなり空いていた。

私はドアのすぐ隣の席に腰を下ろした。

すると、私のちょうど向かい側の席に座っていた高齢の男が立ち上がって、こんなことを叫び出した。

「え!? もう新橋は過ぎたのか!?」

おそらく、彼はその駅で下車する予定なのだろう。

彼はそう言って、ドアの上にある停車駅案内表の前に向かった。

幸い、その駅はまだ先だったため、男は安心して座っていた席に戻った。

彼はマスクをしていたが、顔が赤くなっているようだった。

そして、停車駅を確認するために私の近くに来た際に酒の臭いがしたことから、おそらく酒に酔っていたのだろう。

その後も、彼は私を含む他の乗客のことなど気にも留めない様子で、大きな声で独り言を言い出した。

「こんな変な奴と乗り合わせるなら、いつも使っている路線を利用すればよかった」

私は率直にそう思った。

・酔っ払いの標的

次の停車駅では、小学生と思われる年代の男の子が二人、話をしながら乗り込んできて、私の2,3隣の席に座った。

すると、酔っ払いは

「コラコラ!! 君たち、コロナが流行しているんだから、電車の中でお喋りしたらダメだろ!!」

と説教をした。

それ自体は間違ったことではなかったためか、彼らは素直に「はい。すいません」と謝り、それを聞いた酔っ払いは「よし、君たちはいい子だ」と褒めた。

「ひょっとして、彼は頭がおかしい酔っ払いではなく、普通のオジサンだったのでは?」

私は一瞬そう思った。

のだが、すぐにそれは間違いだったと気づいた。

酔っ払いは子どもたちに「電車の中でお喋りしてはいけない」と説教しておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、彼らに一方的な話を聞かせるのであった。

しかも、何をトチ狂ったのかマスクを外して、しかも大声で。

最初は「得意な科目は何か?」や「学校の先生は優しい人か?」というような話だったが、彼らが素直に返事をしたことで図に乗ったのか、次第に自分語りを始めた。

「君たち、一生懸命勉強するんだ。そうじゃないとオジサンみたいになるぞ!」

「オジサンも昔は会社でエリートって呼ばれていたんだ!」

「だけど、会社が潰れてからは悪いこともして刑務所に入っていたんだぞ!」

こんなどこまで本当なのか分からない話を延々と子どもたちに聞かせるのだった。

本物を見たわけではないが、飲み屋で部下や後輩に愚痴を聞かせるサラリーマンはこんな感じなのではないだろうか?

自分が話しかけられているわけではないが、このようなオヤジが自分よりも弱いと判断した相手に、一方的なネチネチとした自分語りを聞くことは不愉快極まりない。

つくづく、この電車に乗ったことを後悔した私は隣の車両へ移動するか、次の駅で降りて、次にやって来る電車に乗り換えることを考えていた。

・立ち上がったヒーロー

酔っ払いの一方的な説教には、子どもたちだけでなく、他の乗客も困惑していた。

それは私も同じである。

酔っ払いが一人で歌ったり、騒いだりするだけならともかく、話に付き合わされる子どもたちは堪ったものではない。

何とかしてでも、この酔っ払いの迷惑行為を止めさせなくては。

だが、暴行や恐喝ではないため、注意したり、車掌さんに止めてもらうことはできない。

一体どうすればいいんだ…

私がそのように手をこまねいていると、40代から50代と思われるスーツ姿の男性が立ち上がった。

彼が向かったのは子どもたちが座っている席の前である。

彼はそこに立ち、黙ってスマホを使いだした。

決して、誰かに席を譲ったわけでも、次の駅で降りる準備をしていたわけでもない。

おそらく、子どもたちが酔っ払いに絡まれている様子を見かねて、間に入ったのだろう。

その様子を見ていた私は「これは上手いな!」と感心した。

酔っ払いに注意したら、逆上して、電車の中で大暴れするかもしれない。

そうしたら、他に被害者が出かねない。

しかし、絡まれている子どもたちを見て見ぬフリもできない。

そんな時に、注意するわけでもなく、黙って立ち塞がることで、子どもたちを守る。

彼が子どもたちとの間に入ったことで、酔っ払いは顔を合わせることができなり、話しも止めた。

電車が新橋駅に到着すると、やはりそこが酔っ払いの目的地だったようで、彼は「汽笛一声(いっせい)新橋を~♪」と歌い出して、その後は「それでは皆さん、またお会いしましょう!!」と挨拶をし、まるで舞台から降りる役者のようにお辞儀をして降りて行った。

・人を守るということ

子どもたちの前に立っていた男性は、酔っ払いが降りると、座っていた席に戻った。

やはり、彼があの時立ち上がったのは酔っ払いから子どもたちを庇うためだった。

子どもたちは次の停車駅で降車した。

男性の行動が自分たちを守るためのものと分からなかったのか、「ありがとう」と言うこともなく。

子どもたちから感謝されることはなかったが、勇気ある行動を取った彼は紛れもなくヒーローである。

彼の行動に感心させられると同時に、「違う路線を利用すべきだった…」とか「別の電車に乗り換えようかなあ…」などと、保身のことしか考えていた自分が恥ずかしくなった。

そして、「悪を成敗する」という意気込みで派手な戦いを挑むことはなくても、ほんの些細な行動で「人を守ることはできる」と多いに学ばされた。

「(大好きな)あの人のことは俺が絶対に守る!!」と鼻の下を伸ばして意気込みながら、見当違いのヒーロー願望を抑えられずに、結果的に守りたかった人を退職に追い込んだ私の元同僚にもぜひとも見習ってもらいたい。

私が酔っ払い相手に悔しい思いをするのは今回が2度目である。(前回の話はこちら

今回の教訓を糧に、今度同じような状況に直面したら、自然に彼のような行動が取れる人間になりたいと思っている。

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