ワーキングホリデー経験者からもらったアドバイス①

前回の記事で国際交流を目的としたペンパルサイトで、なぜか多数の日本人からメッセージが送られてくると書いたが、今回はその一人について紹介したい。

・経験者は語る

彼の名前はマサト(仮名)。

彼が私に初めてメッセージを送ってきたのは2年前だった。

彼が私にメッセージを送ったきっかけは、私がプロフィールに「オーストラリアへオーキングホリデーに行くつもりだ」と書いていたのを見て、経験者として伝えたいことがあるからだった。

彼が私にどうしても伝えたいと思ったことは

何の目的があって、その国に行きたいのかをよく考えた方がいい

出発する前から、帰国後の生活をイメージしておいた方がいい

ということだった。

私は当初、彼の助言を真剣に聞いていなかった。

家族や友達に「自分はワーキングホリデーに行くぞ!!」と宣言している人ならよく分かると思うが

「いい年して、海外になんて行ってどうするの?」

「仕事を辞めて、海外で遊んでいた人を雇うような企業があるとでも思っているの?」

「同級生はみんな真面目に働いて、家庭を作ることを考えていんだから、夢みたいなことを言っていないで、真面目に生きなさいよ!!」

というような反対論を耳にタコができるほど言われる。

というわけで、私は彼の忠告など全く聞き入れるつもりはなかった。

だが、彼はまがりなりにも経験者である。

その点は特定の生き方しか許さない自称社会人とは違う。

彼はなぜ私にこのような助言をしたのだろうか?

・田舎の生活への絶望

ここでマサトの人生を紹介したい。

彼は北関東の田舎で生まれ育った。

東京にも新宿にも普通電車に乗れば90分で行ける場所だが、地元では「車が無いと生活できない」とか「ここには仕事がないから、若者はみんな仕事のために東京へ出る」と言われている典型的な田舎らしい。

そうはいうものの、彼は自分の育った町が好きだった。

だから、高校卒業後も地元の会社に就職して実家から職場に通っていた。

だが、正社員とはいえ、給料は手取りで20万に満たない金額しかもらえず、「正社員だから」という理由で残業や休日出勤も多かった。

その上、彼に重くのしかかっていたのは車の維持費だった。

彼は高校を卒業する時に、親戚が使っていた車を譲ってもらったため、車の購入費を払う必要はなかったが、駐車場代、保険代、車検代と多額の出費がかかる。

毎月定額の生活費を親に渡した後に車の出費を差し引くと、手元に残るのはわずかな金額になる。

実家暮らしであり車のローンを払う必要もなかったので、何とか生活は出来たが、こんな生活を続けていると、いつかは首が回らなくなる。

それに、家族との関係は良好であるものの、成人後も親と同居していることに、どこかもどかしさを感じていた。

ということで、彼はその職場を2年ほどで退職した後に東京の会社で働くことにした。

・都会の生活への絶望

彼は東京の会社に転職すると同時に、職場に通いやすい埼玉県南部で一人暮らしを始めた。

勤務時間は9時から18時で、残業も多くて月に30時間くらいで、給料も上がり、車の出費からも解放された。

これだけを聞くと「東京へ出てきてよかったね!!」と言いたくなるのだが、田舎育ちの彼はその生活に馴染めなかった。

正社員の仕事がつらいのは地元も東京も同じだが、地元で働いていた時には存在しなかった大きな問題が東京にはあった。

それは通勤地獄である。

彼が言うには電車に乗っている時間は30分程度だが、家から駅までが徒歩15分、乗り換え時間で5分、駅から職場までが10分、と電車以外の時間に30分も時間を使う。

それから電車の混雑があまりにもひどい。

これは私の感覚だが、東京では9時から18時までの勤務の職場が異常に多いと思う。

だから、彼も毎日、満員電車に苦しんでいたのではないだろうか?

彼はラッシュのピークを避けることと遅延のリスクを考えて、行きは30分ほど早く家を出ていた。

通勤時間の合計は一日で2時間30分になる。

そのため、彼が通勤に費やしていた時間は相当なものになっていた。

彼が車で職場に通っていた時は満員電車のようなストレスを感じることはなく、自宅から職場まで一直線で通うことができて、暑い夏でも寒い冬でも天候に晒されることはなかった。

こんな生活に慣れきっていた彼にとっては、都心の電車通勤はかなりの苦痛だったことだろう。彼と同じく、地方で働いた後に東京に出てきた私は彼の苦痛がよく分かる。

この時点で彼は行き場のない絶望感に襲われていた。

田舎の生活は苦しい

しかし、都会の生活も苦しい

一体どうすればいいのだろうか?

・絶望からの出口は海外にしかない

そこで、マサトが考えたのが「オーストラリアでワーキングホリデーをすること」だった。

「オーストラリアは最低賃金が高くて、海外からの出稼ぎ労働者向けの仕事も多い」

このようなセールストークが本当なのかは知らないが、オーストラリアで1年間生活してみれば日本とは違う暮らしを見つけ出すことができるかもしれない。

早い話が「逃げ」だが、それだけでも彼を動かす十分な理由になった。

幸い、趣味に大金を費やす時間も体力も無かった彼は、3年の都会暮らしである程度の貯金をつくることができた。

しかし、彼は英語が全く話せない。

だから、「資金も十分にあるので、すぐに仕事を辞めて出発しよう!!」とはならなかった。

彼に必要なのは英語を勉強する時間だった。そこで彼は正社員の仕事を辞めて実家に戻ることにした。

・出発前の平穏な生活

実家に戻ったマサトは自宅から自転車で通える場所でアルバイトを始めた。

そこの時給は最低賃金に毛の生えた程度の額だったが、車の維持費が不要になり、生活費を払っても貯金ができた。

実家に戻ったのはワーキングホリデーの準備のためだが、彼はこの時の暮らしが心地よかったと言う。

バイト先の給料は低いが、同僚にも恵まれて楽しく働けた。

18時前には家に帰り、家族と一緒に夕食を食べる。

そして、毎晩二時間ほど英語の勉強をする。

かつて使用していた車は、すでに処分していたたが、親兄弟が帰宅した後や、休日が重なった時に貸してもらえたので、特に不自由はしなかった。

彼は当時の生活はほとんどストレスを感じることがなかったと言う。

「この平穏な時間がいつまでも続いて欲しい。」

本人から直接聞いたわけではないが、おそらく彼の心情はこんな感じだろう。

もしかすると、この時の彼は「ワーキングホリデーに行くんだ!!」というモチベーションはかなり落ちていたのかもしれない。

そんな生活を送っていると、目標にしていた2年はあっという間に過ぎた。

当時の彼はかなり迷っていたらしい。

今の生活を失うのは怖い。

本当にオーストラリアに行って大丈夫なのだろうか?

もし失敗して、何もできないまま貯金がゼロになって帰ってきたらどうしよう・・・

だけど、高校卒業後に正社員として働いていた時に感じていたように、ここには満足な生活を送れる仕事が乏しい。

それに今の生活に幸福を感じていても、それは実家で親と同居することで生活ができているだけなので、このままずっとフリーターとして生き続けることはできない。ここでの生活は常に貧困に陥る危険性と隣り合わせである。

(ちなみに、東京の生活は論外だったらしい。)

彼は迷っていたが、オーストラリアへ行くことにした。

次回へ続く