既得権に食らいつくのは悪人だけではない

10月に入ったこともあり、先週は一気に気温が下がった。

というわけで、今週から上着を着て仕事へ通うことにしたのだが、昨年の秋に初めて冬服を着て出勤した日のことを思い出した。

・異動によって生じた不利益

ちょうど冬服に衣替えをした日、私は突然、業務内容と所属する班の変更を命じられた。

それまでは、主にデータ入力や書類の確認など事務的な軽作業をやっていたのだが、その日から電話業務を行うようになった。

なぜ私が異動させられたのかは分からない。

ちなみに、それまで働いていた班は人員が20数人いて、その中から2人が異動することになったわけだが、私は不幸にも10%以下の確率に当選してしまったのである。

同じく異動となった女性がもう一人いて、彼女も露骨に不満を表していた。

私と彼女は異動後に席が隣り合わせとなったため、私は彼女と二人だけになった時間に愚痴を言って距離を縮めようと試みた。

私の狙い通り、彼女は自分が異動させられたことに対する悪口を次から次へと吐き出した。

のだが、どうも話が噛み合わない。

彼女の不満はこんなことである。

・業務内容の変更については特に不満はない。

・私たちが飛ばされた部屋はフロア全体の入り口から最も奥に位置しているため、歩く距離が増えただけでなく、休憩時間や退社時間になって、大人数が一斉に出口に向かう時は必ず出遅れてしまう。

・その結果、エレベーターに乗りために何度も順番待つことになったり、昼食時に食堂のいい席を確保することもできなくなってしまった。

・あぁぁ!! ムカつく!!!

いや、あんたの不満ってそっち!?

たしかに異動によって大きな不利益を被ったと言えるが、そこまで怒るようなことか?

ちなみに、異動前の彼女の席は最も出入口に近い場所であったため、常に大群が押し寄せる前に動くことができたらしい。

私が思うに、もしも、異動前の席が最も出入口から遠い席だったら、彼女も特に不満を持つことはなかったのではないか。

要するに、彼女は異動前にベストポジションにいたため、誰よりも早く移動できる特権を覚えてしまったのだろう。

彼女の怒りはその既得権を奪われたことに対するものなのだと思う。

既得権というと「天下り」「規制による保護」「政官業の談合」を行う政治家、官僚、小役人といった権力の密を吸い尽くす悪人たちのものであるというイメージがあるが、一度いい味を知ってしまったら中々手放すことができないのは誰にでも当てはまることである。

・過剰なサービスの是正だとは分かっているが…

これは今から10年ほど前の話である。

当時は「デフレだ! 円高だ!」と言われており、働く人にとっては辛い経済状況だったかもしれないが、消費者の側からすれば、今よりも良質な商品を安く買うことができた。

ちょうどその頃に学校を出て働き始めた私は、自分で稼いだお金で買い物をするようになった。

精神的に未熟だった当時の私は、自分の職場以外の人がどのような仕事をしているのかなど考えもせずに、「安い・早い・ウマい」といった消費者としての楽しみを満喫していた。

チェーンの外食店はほとんどの店が今よりも手ごろな価格だったし、コンビニ弁当は今よりも量が多く、値段も安かった。

100円ショップには「え? これは本当に100円で買えるの!?」と思える商品がズラリと並んでいて、他の店に行った時には、これは100円ショップでも売っているから、100円以上のお金を出すなんて馬鹿らしいと思うこともしばしばあった。

あれから10年の時が流れた。

当時から状況は大きく変わったのかもしれない。

最低賃金はどんどん上がったし、人手不足も問題となった。

ブラック企業という言葉も一般化した。

労働者の待遇は幾分かマシになったのかもしれない。

だが、それに合わせて、商品の値上げやサービス低下が発生した。

店の営業時間や荷物の配達受付時間が次々と短縮され、飲食店ではメニューの種類が減少し値段も上がった。

100円ショップではもはや100円以上の品物が並ぶことが珍しくなくなった。

これらは労働者の負担を考えれば、あくまでも適正化に過ぎず、今までが異常だっただけなのかもしれない。

理屈ではそれを分かっているが、それでも「あの時は~」という感情が出てくることもある。

これも既得権に浸かっていたことを表す話なのかもしれない。

・既得権を死守しようとするのは子どもも同じ

私が初めて「既得権」というものを実感したのは中学1年生の時である。

当時の私が通っていた学校で自転車通学が許可されていたのは、自宅が学校から2㎞以上離れた生徒のみだった。

生徒総会でこの規則を撤廃して希望者は全員自転車通学を認めようという案が出されたことがあった。

その時、私の前にA君(仮名)という生徒が座っていた。

彼は自転車通学が認められていない生徒だったが、サッカー部に所属していて交友関係が広かったこともあり、帰宅する際に多くの仲間が自転車に乗っているのに自分だけ徒歩(走り?)であることにかなりのコンプレックスを感じていた。

そのため、全生徒自転車通学解禁案に胸を膨らませてウキウキしていた。

そろそろ、この案の審議となる時間になると、彼は後ろに座っていた私に対しても賛同を求めた。

A「たしか早川君もチャリ通(自転車通学のこと)じゃなかったよね? だったら、賛成してくれるよね?」

早川:「いや、僕は徒歩通学で十分なので、今のままでもいいよ」

A「ちょっと考えてみてよ! これは『チャリに乗りたい人はいいよ』って言っているだけで、全員チャリで通うことを強制しているわけじゃない。だから、これが通っても早川君が損をすることはないでしょう?」

早川:「まあ、そういうことなら…」

私にとってはどうでもいい話なのだが、そこまで言うのならと思った私も賛成票を投じることにした。

その後も彼は別隣りの人に対しても賛成を訴えかけていた。

彼の言うことは正論だったため、他の人も賛同するだろうと思っていたのだが、隣に座っていたB君(仮名)とのやり取りでこんなことがあった。

なお、彼はすでに自転車通学が許可されていた。

AB君もチャリ通規制廃止案に賛成してくれるよね?」

B「嫌だよ!!」

A「え!?」

B「全員チャリ通が許可されたら、駐輪所が混むだろ!? 家が近い奴は歩けばいいだろ!!」

A「…」

傍らでこのやり取りを聞いていた私はA君と同じく衝撃を受けた。

私もA君の言う通り、この案が可決されても、今まで通りの通学方法を続けたい人は大きな不利益を被ることはないと思っていた。

あるとしたら、B君が懸念していた駐輪所が混雑することくらい。

そうは言っても、他人が自転車で通学できる喜びと、駐輪所が混雑するという些細な事情であれば、人としてどちらを優先するかは明らかである。

というわけで、その時はあくまでも「B君はなんて我がままなゲス野郎なのだろう」と彼個人の人間性の問題だと考えていた。

しかし、投票結果が発表された時は唖然とした。

この案は圧倒的な差で否決されたのであった。

私が所属していたクラスの割合では、自転車通学が許可されていたのは全体の2/3程だった。

このクラスの構成が極端に偏ったものでなければ、おそらく学校全体でも同じようなものだろう。

つまり、私が通っていた学校では自転車通学者がマジョリティということになる。

ということは彼らの中の少なくない人たちがBと同じような「何であいつにも俺たちの特権を恵んでやらなければいけないんだ!?」という理由で反対したことが伺える。

既得権の味を覚えてしまったら、絶対に死守しようとして醜態を晒すのは大人も子どもも同じである。