結婚不要社会と結婚困難社会

前回結婚不要社会(山田昌弘(著)朝日新書)という本で紹介されていた、前近代的結婚と近代的結婚という考え方を手掛かりにして、まるで兵役逃れを非難するかのようにしつこく「結婚しろ!!」と迫る人間が描いている「伝統的で温かいひとつの家族」がデタラメで、彼らが規範としている皆婚社会とは、地域や親族の絆を破壊して、結婚して自分の家庭を持たなければ経済的にも心理的にも困窮する恐ろしい社会であることを説明した。

今日はその続きとして、近代社会の結婚が現在はどのように変化したのかについて書こうと思う。

・近代Ⅱの社会に現れる近代的結婚の矛盾

社会学では近代社会を1970年頃から新しいステージに入ったと考えて、その変化は「社会の深化」や「近代社会の構造転換」と呼ばれ、深化・転換前を「近代Ⅰ」、後を「近代Ⅱ」として議論している。

現在の日本や欧米先進国は「近代Ⅱ」の社会であり、前回の記事で「近代社会」とか「近代的結婚」と呼んでいた「近代」とは「近代Ⅰ」に相当する。

その「近代社会の構造転換」が日本でも欧米でも近代家族の結婚のあり方を蝕んでいく。

近代Ⅱでは「サービス化」や「グローバル化」、「情報化」などと呼ばれる経済の変化によって、それまで安定していた男性の雇用が不安定化し、収入の格差が拡大する。

このような新しい時代の経済システムは「ニューエコノミー」と呼ばれ、グローバル化によって広がり、欧米では80年代以降、日本やアジア新興国では90年代以降、顕著になる。

それによって、それまで安定していた男性雇用が不安定化し、収入の格差が拡大する。

その結果、真面目に働いても妻子を養えるだけの給料を得ることができない人が現れて、(男性は)誰もが結婚できるだけの安定した収入を稼いでいるという近代社会Ⅰの前提が崩れ、結婚で経済性と親密性の両方を追及することが難しくなる。

そして、「好きな相手が経済的にふさわしい相手とは限らない」「経済的にふさわしい相手を好きになるとは限らない」という近代(Ⅰ)的家族の規範に反する矛盾が生まれることになる。

・結婚不要社会

近代Ⅱの社会では経済事情が変化したことで、近代Ⅰのように誰もが好きな相手と結婚して、家庭を築き豊かな生活を送ることが難しくなる。

しかし、これは日本だけでなく、他の先進国でも同じことである。

ところが、その先は「結婚そのものが不要になる社会」か「結婚することが困難になる社会」に分かれることになった。

欧米では近代Ⅱのステージに入って、それまで当たり前だった家族を養える給料を得る男性の仕事が減ると同時に女性の社会進出が進んだ。

その結果、男女共に経済的な自立を求められるようになり、女性が男性の収入に依存し、男性が女性の家事労働に依存することができなくなった。

そのため近代的結婚から経済面を切り離して、親密性のみを選ぶことになった。

だから、欧米では結婚後も恋愛感情が満たされることが必要。

たとえば、子どもが生まれた後も夫婦二人でデートをしなければならないし、可能な限りセックスレスになってはいけないと考える。

一方で、心理面も、性革命の影響で結婚しなくても好きになった相手と性関係を含む親密なコミュニケーションを取ることが可能になった。

さらに、離婚の自由化で、結婚したからといって、相手が一生自分を承認してくれるというわけでもなくなり、結婚は親密性の根拠でもなくなった。

つまり、結婚に経済生活を求めることはできないし、結婚しても親密性が保証されるわけではない。

そのため、もはや結婚は制度と宗教的側面(欧米の結婚は紙切れ一枚で可能な日本の入籍と違い面倒な儀式や手続きが必要)以外の意味がなくなった。

親密な関係を続ける唯一の根拠は「お互いを選びあっている」ことだけであり、結婚という制度を介する必要はなくなった。

その結果、それまでは当たり前だった結婚が減少して、その代わりに同棲が増大し、そのカップルに子どもが生まれ婚外子率が高まることになった。

アメリカやヨーロッパは、経済はお互いに自立して、パートナーに求めるのは親密性のみという形で近代的結婚の困難を克服した。

・結婚困難社会

翻って日本を含む東アジアは、社会制度の不備や世間体、(将来生まれてくる)子どものためといった理由から、近代(Ⅰ)的結婚へ固執している。

そのため、結婚するためには経済と親密性の一致が未だに不可欠な条件となっている。

今でこそ、「年収600万以上じゃないと結婚したくない」とか「お金を取るか、愛を取るかで悩んでいる」というように結婚相手にお金を求めることを公言する女性は珍しくないが、これが可能になったのは最近のことで、ほんの20年前までは「お金は関係ない。結婚は愛ですべきだ」というイデオロギーが残っていたため、自治体の報告書や新聞にそのような本音を公表できなかったようである。

ただ、これは「昔の女性は今よりもお金にこだわらなかった」という話ではなく、男性は誰もが安定した収入を得ていた(もしくは、「将来は得られる」と思い込んでいた)から、程度の差はあれど、そのことをあえて気にする必要がなかっただけである。

つまり、誰もが家族を養える収入を得ることができなくなったからこそ、近代Ⅰの社会では必要なかった「結婚に必要なのは経済か? 愛情か?」という選択に直面して、お金が大事という本音が隠せなくなってきている。

とは言っても、日本は欧米以上にここ20年近くの間、実質賃金が下がり続け、かつて(近代Ⅰの時代)は当たり前だった男性世帯主となれるだけの給料を稼げる人の数は減り続けている。

その一方で、パートナーに愛情のみを求める(その結果、愛情が冷めたら離婚して新しい相手を探す)恋愛感情優先の結婚も、結婚せずに事実婚や同棲という親密性のみの追及する新しい結びつきも決して認めようとしない。

近代社会(Ⅰ)の規範に縛られて「結婚しなければいけない」と考えるが、たとえ、社会が変化しても、経済と親密性が一致する「従来」の結婚スタイル以外は受け入れられない。

このジレンマが今の日本で起こっていることである。

ここまでくると、未婚率の増加も少子化も当然のように思える。

本のあとがきにビル・クリントン元大統領のこんな発言が出てきた。

yesterday is yesterday. If we try to recapture it, we will only lose tomorrow.

過去は過去、過去を取り戻そうとすれば、未来を失う。

この言葉が日本社会の結婚の現状を物語っている。

高度経済成長期は従来型の結婚が社会にとっても個人にとっても最適だったが、社会が変化すると、従来型の結婚が困難になった。

しかし、この国は「伝統的」結婚にこだわるあまり、かえって結婚できない人が増えてしまい、社会にとっても個人にとっても未来を失うことになった。

・日本的結婚不要社会

今の日本では結婚するためには経済力と親密性の両方を追及することが絶対条件のため、結婚のハードルが高くなっているが、結婚することが未だに社会規範となっている。

そんな日本でも欧米とは異なるかたちで結婚不要社会が到来している。

これは欧米のように親密性のみを重視する結婚不要社会ではなく、日本では結婚できないことがあまりにも当たり前になったため、「結婚しなくても、配偶者や恋人のようなパートナーがいなくても、幸せに生きていける社会になった」ということ。

経済的な例をあげると「パラサイト・シングル」である。

収入が低くても、結婚しなくても、親と一緒に住み続ければ何とか生きていくことができる。(2030年後に破綻する可能性はあるが…)

それから、母親や同棲の友達、ペットといったパートナー以外の存在で(特に女性は)親密性を満たすことができる。

今の日本では、若い女性と母親の親子二人で旅行したりコンサートに行っても全く恥ずかしいことだとはみなされない。

男性ならキャバクラやメイドカフェでいろいろ話したり、体験することで親密性を買うことができる。

恋愛関係はバーチャル化して、マンガやアニメのような二次元で満足できるし、性的な満足についても風俗店やポルノメディアが溢れている。

このように特定のパートナーがいなくても親密性を満たせる仕組みがたくさん生まれている。

残る課題は少子化問題だけである。

しかし、社会が困ることと、個人が困ることは全く別のことである。

そのため、少子化に関しては「そんなの関係ねえ!」と言って開き直ろう。
(※↑念のために断っておくが、これは私の意見であり、本にはこのようなことは書いていない)

今回は以前の記事の内容の誤解を解く目的で書き始めたが、構成を練っていると書きたいことが「あれもこれも」と出てきて、気づいたら前後編と2つに分けることになった。

しかし、まだ書き足りないことがある。

とりあえず、結婚の全体像に関する内容は今日で終わり。

次回は記事を書いていた気付いた個人的な感想について書かせてもらいたい。