地元へ戻って就職、結婚することをしつこく勧めるオヤジとの決着をつけに行く②

前回のあらすじ

実家へ帰省することになった私はかつての同僚であるタケダ(仮名)と会うことになった。

彼とは5年以上連絡を取り合っているが、近年は「いつまでも東京でフラフラしてないで、早くこっちに戻ってきて正社員として働いて、結婚して、真っ当な人生を送れよ!!」という説教ばかりされている。

そんな彼と対峙するにあたって、私がそうしたくない理由を改めて整理することにした。

第一はお金の問題、要するに自立した生活を送ることができる給料を稼げる仕事が少ないからであるが、それだけが理由だけではない。

私が地元で就職したくない本当の理由は「雇用の安定など実質的に存在していないにもかかわらず、正社員という働き方に対する信仰心だけが未だに残っているから」である。

私はそんな彼らの歪んだ情熱が嫌で地元を離れることになった。

・過激な宗教に走る人は自分と異なる意見を絶対に認めない

「会社からどんなにひどい扱いを受けても、本当に困った時は絶対に会社が守ってくれる!!」

彼らがそう信じて、生活できないような低すぎる基本給やサービス残業(と誤称されている不払い労働)を受け入れるだけなら、別に構わない。

思想も信仰もこの国では自由である。

しかし、問題なのは、自分の心の拠り所である幻の共同体を守るために、それを他人にもしつこく強要することである。

大企業のような手厚い福利厚生など有りはしない会社でも、「正社員だから」という理由で、会社による一方的な命令には依然として、正社員で働く以上はそれ振り回されることになる。

要するに正規・非正規の悪いとこ取りで、下手したらバイトの方がよっぽどマシな労働条件なのだが、それでも彼らは

「今はつらくても、正社員だから、いざとなったら会社が守ってくれる!!」

と都合のいいように解釈して、自分と他人を欺こうとする。

というわけで、「正社員」という肩書があれば、ブラック企業だろうが、お構いなしに職に就かせようとする。

もっと言えば、「ひょっとしてこの会社は正社員と言っても将来の保証なんかないのでは?」というように疑問を持つことは「自分の崇拝する神への冒涜」とみなされるため、彼らの前でそのことを指摘することは禁忌とされる。

・年金不信よりも正社員不信

正社員への疑いの目を向けることがタブーとなっていることを表すこんなエピソードがある。

私は20歳の時に地元でフリーターをしていた。

もちろん、成人したのだから、毎月国民年金を払わなくてはならない。

そのため、上司から年金はどうしているかと聞かれた時は「毎月、自分でコンビニまで払いに行っています」と答えた。

すると、彼は思いっきりバカにしたような態度で

「君さあ、毎月そんなもの払ったところで、自分が年寄りになった時に自分が払った分が貰えると思っているの?」

と言ってきた。

それを聞いた私は正直に

「確かに将来の年金は当てにならないかもしれません。だけど、年功序列や終身雇用のような正社員としての将来の見返りの方がよっぽど信用できません」

と答えた。

すると彼は

「そんな考えだから正社員になれないんだ!!」

とブチ切れた。

このように、一生安泰な正社員モデルなど存在していないにも関わらず、その疑いを持つことに対して猛烈な反感があった。

まるで、「神を恐れぬ不届き者はこの世から殲滅しなければならない!!」と思い込んでいる狂信的な信者のようである。

・フリーターを叩きながらも、自分の利害にかかわる非正規労働者は「フリーター」と呼ばない不思議

自分を守ってくれるはずの「正社員」という幻想を他人にもしつこく押し付けてくる彼らが、同じくらい熱心なのがフリーター叩きである。

これには2つの理由があると思う。

1つ目は他人にしつこく正社員であることを強要しないと気が済まないことの延長。

つまり、自分の信仰に反する人を攻撃せずにはいられない悪魔祓いとしてのバッシング。

2つ目は(自分自身が弱者であるにもかかわらず)より弱い者を叩くことで、「自分はこいつらとは違う」と安心するためのガス抜き。(この記事紹介した本を参考にするなら「癒しとしてのいじめ」)

つくづく哀れな人たちである。

さて、心の拠り所である「働く人は全員正社員である古き良き日本型雇用」という幻想を守るため、非正規労働者に罵詈雑言を浴びせる彼らだが、その一方で、増加した非正規労働者がもたらす恩恵はしれ~とした顔で受け取っていることが珍しくない。

私はこれまで年功序列や終身雇用といった日本型の雇用慣行がすべての人にとって最も適したモデルであると考えている人たちを「日本型雇用信者」とか「自称社会人」というように散々コケにしてきた。

とはいっても、それはあくまでも個人の考えの違いによるものだから、批判することはあっても、信仰自体は尊重する。

しかし、「人を守ることができるのは正社員という働き方だけ!!」と信じて疑わず、他人にはその宗教を強要する一方で、彼らはどれだけその秩序を守ろうとしているのだろうか?

たとえば、(私の地元に限らず)どの地方でも似たようなものだろうが、近年はチェーンのアパレルやコンビニ、大型ショッピングモールの進出で、地元の中小規模の会社が廃業に追い込まれることが珍しくない。

もちろん、それはこの社会が安定した生活よりも消費者としての利益を選んだ結果であり、「大型資本が地域の絆を破壊した!!」などと非難するつもりはない。

ただし、これらは非正規労働者が基幹労働となっている会社がほとんどである。

このような行いは日本型雇用信者にとっては、彼らの崇拝する安定を真っ向から否定するものである。

彼らはこのような会社に対して

「それはパートの仕事じゃないだろ!!」

「きちんと正社員を雇え!!」

と抗議して、不買運動でも展開しているのだろうか?

もし、彼らにそこまでの信念があるのなら、私は彼らに対するこれまでの無礼を謝罪しなければならないと思っている。

しかし、私の地元ではそのような表立った抗議活動など全く起こっていない。

それどころか、明らかに迎合しているように思われる。

前に牛丼屋の人手不足に関する記事でも書いたが、思想なんてものは安い・早い・便利といった消費者としての快楽の前では無力である。

彼らが、自分たちは非正規労働者の存在なしには生きていけないことを都合よく忘れるのは消費だけでなく、働く時も同じである。

「働く人はみな正社員でなければいけない!!」

「フリーターなんて絶対に認めんぞ!!」

などと威勢のいいことを宣っている人間も自分の職場にいる非正規労働者のことはなぜか「フリーター」と呼ばない。

それどころか、人件費ばかりかさむ正社員を置き換えることを期待していることが珍しくない。

あれだけ、「正社員!! 正社員!!」と叫んでいながら、軽蔑しているはずの大嫌いな非正規雇用者に甘えることを恥ずかしいと思わないのだろうか?

彼らの信念などその程度のものであり、私はそのバカバカしい猿芝居にうんざりしていた。

・排他的な「絆」

タケダは私に「正社員になれ!!」ではなく、必ず「地元で正社員になれ」と言っていた。

いつまでも非正規労働を続けるかつての同僚に対して「早く正社員になれ!!」と言うのは自然な感情かもしれない。

しかし、正社員になることを勧めるのであれば、仕事の数に恵まれている(はずの)東京で就職することを勧めるべきではないか?

わざわざ仕事の数も質も乏しい地方で就職することを望むことに何の理由があるのだろうか?

そして、彼は結婚することもしつこく勧めてくる。

家族を養えるだけの給料を稼ぐ仕事などほとんどないはずなのに。

仕事に恵まれていない地方で就職することを勧め、世帯を形成できる給料など稼げないのに結婚を勧めるとは実に矛盾している考えであるが、彼はなぜそのような考えができるのだろうか?

正論だけなら、前回同様「バカかお前は!?」の一言でけりがつくのだが、彼との決着をつけるためには、彼がなぜそのように考えているのかを理解した上で反論しなければならない。

おそらく彼の頭の中には、経済的に貧しくても、会社や家族に支えられる「絆」でも想像しているのだろう。

しかし、私にとってそれは温かい助け合いなどではなく「正社員でもなく、家族もいない奴は一人で死ね!!」というような冷血な印象がある。

その「絆」というものが、私が前回の記事で考えた話のように、福利厚生に恵まれた正社員でもなく、生活を丸々面倒見てくれる家族もいない人のような、経済や表社会の論理で立ち行かなくなった人を守るためのものであるのなら素晴らしいと思う。

ところが、実際に彼らがやっていることは全く違う。

彼らは基本的に社会とか経済の論理に従属しているため、そのような人を見つけると

「ちゃんとした会社に就職しろ!!」

「早くいい男(女)を見つけて結婚しろ!!」

というように、社会の穴を埋めるどころか、差別と偏見を助長して、孤立している人をより傷つけている。

そもそも、「絆」とは唯一無二の経験を通して、個人と個人の間に結ばれるものであって、「会社」だとか「家族」などという概念はただの容器に過ぎない。

しかし、彼らは人ではなく「正社員」とか「家族」という形に異常にこだわる。

そして、その容器がなければ仲間一人助けることができない。

それ以前に「仲間」とすら認識しない。

だから、「絆」などと温かい言葉を口にしながら

「そうではない奴は死ね!!」

と冷血な態度が取れるのだろう。

そのような内向きで、困っている人間を見てあざ笑う排他的な「絆」の中で生きることなど死んでも願い下げである。

・外れた予想

私が地元で就職したくない理由についてはすべて書き出した。

私は遠くない内に、彼らの心の支えになっている「雇用の安定」も「社会の安定」も完全に崩壊すると思う。

規制緩和に迎合して、非正規労働者抜きには成立しない社会にズブズブ浸かっていながら、頑なに昔ながらの「正社員モデル」以外は認めないずうずうしさ。

「企業は絶対に正社員は守る」という妄想に取りついて、従業員を使い捨てるブラック企業の存在は見て見ぬふり。

不安を紛らわせるためにフリーターを叩き、包摂など有り得ない排他的な「絆」が自分を守ってくれるという甚だしい勘違い。

彼らの理想と現実社会の間にはすでに多くの矛盾が出ている。

そんな中で、彼らの考える「古き良き安定した社会」などというものが崩壊しないと考える方が無理である。

さて、支えを失って無秩序に陥った時、信者たちはどのような醜態を晒すだろうか?

   などと考えていたのは、実は5年近く前のことである。

今になって思うと、その予想は完全な間違いだった。

「崩壊する」といっても、そこにアルマゲドンのような最終決戦があって、「この日を境に歴史が変わった!!」などということがハッキリと認識できるわけではない。

つまり…

彼らの望んでいる「安定した社会」なんてものはとっくに跡形もなく腐れ落ちている。

残っているのは自分を守ってくれる神の幻想に取りつかれて、自分の崇拝する教えに反する人を徹底的に迫害して、

「正社員!!」

「家族!!」

「絆!!」

と断末魔の叫びをあげる瀕死の病人だけである。

・いつまでもこんなことを続けるつもりなの?

タケダの頭の中には「いつまでもフラフラしているいい加減なフリーターを真人間にしなくては!!」というような使命感があるのかもしれない。

よくホームドラマで家族や友人に囲まれて充実した生活を送っている主人公が、ひょいと現れた、いい年して定職に就かずプラプラしている知り合いに説教をして改心させるシーンがある。

タケダはそれをやりたいのだろう。

そんな場面でよく使われることがこんなセリフである。

「あんた、いつまでそんなことを続けるつもりなの?」

私はその言葉をそっくりそのまま彼に返したいと思う。

私にとっては宗教に取りつかれて、劣悪な労働を強要して、癒しとしての弱い者いじめに走り、消費者としての快楽に溺れている彼らの方がよっぽどおぞましいケダモノに見える。

「ここにはあんたが思い描いている、命に代えてでも従業員の生活を守ろうとする人情味あふれる経営者も、伝統的で温かいひとつの家族のような絆もすでに存在しないんだよ!!」

この思いを彼にぶつける。

決戦当日、私は自分の考えを再度ノートに書き出してまとめていた。

すると、彼からメールが届いた。

メールの内容は…

「熱が出たから、今日は会えなくなった!!」

という当日ドタキャンの連絡だった。

この状況で「熱ごときで休んでんじゃねえよ!!」「甘えないで這ってでも出て来いよ!!」と一喝されるのが、あんたが崇拝している日本型雇用ではないのか?

「そんなんじゃ、社会では通用しませんよ」と言ってやりたくなったが、それをやめにした。

彼の崇める「安定した社会」なんてものはとっくに消えているのだから、改めて私がとどめを刺す必要もない。

このように彼との決戦は次回へ持ち越しとなった。

しかし、私が今度地元へ帰る時には、社会の化けの皮が完全に剥がれ落ちて、彼が今と同じ生活を送れていないかもしれないが…