孤独と人間関係に悩んでいた時に救ってくれた本:「『世間』と『空気』」③

前回のおさらい

20歳そこそこで友人と疎遠になり、仕事もクビになった私はこの本を読むことで、当時の自分を苦しめていたものを理解することができた。

今日はその解決法と私のその後についてお話しする。

・どのように生き苦しさを打破するのか?

ここで再び、当時の私の話に戻す。

「中途半端に壊れた世間」とはかつてのような包摂さは失ったが、同調圧力は未だに強い厄介な存在である。

年功序列も終身雇用もないのに無限の指揮命令権だけはしれ~と享受している「正社員」という雇用もこれと同じだと思った。

というわけで、この本を読む前に私が感じていた「何でもいいから正社員になりなさい」論への違和感は解消した。

自分を抑圧していた「世間」という魔物の正体と、それはもはや自分を守ってくれる存在ではないことは分かったが、その怪物とどう向き合えばいいのか?

著者の鴻上氏は世間が中途半端に壊れた生き苦しい時代を生きていくためには、前回の記事で説明したように「中途半端に壊れた世間」、すなわち「共同体の匂い」に支えられるという選択も可能だと述べている。

しかし、かつての「世間」は個人を支えるだけでなく、抑圧的でたくさんの人を傷つけてきた。

また空気は流動的なので常に自分が迫害される危険に怯えることになる。

そのため自分の身を保つために、常に自分が多数派に属しているか、または自分たちの敵を見つけて攻撃し続けなければならない。

その上、現代人は世間の抑圧から逃れて、個人として生きる快適さを知ってしまった。

だから、今さら、強力な力を持っていた「世間」を夢見たとしても、その不便さ、不合理さに耐えられるとは思えない。

そこで、少しでも楽に生きるための方法として以下の2つを提案している。

①:過度に「空気」を恐れない

かつての「世間」は5つのルールが作動して個人を守り、傷つけたが、現在はその5つのルールが完全に揃っている集団というものはほとんど存在しない。

そのため、個人を守ることもできないのだが、同時に、かつてと同じような徹底的に個人を抑圧する力も残っていない。

だから、空気の力を恐れる前に、その集団には世間の5つのルールがいくつ存在しているのかを考えてみる。

それを吟味した上で、自分を抑圧しているものが「世間」ではなく、ただの「空気」だったら、あえて抗ってみる。

なぜなら、「世間」を変えることは難しいが、「空気」は簡単に変えることができるから。

そこで、大事なのはほんの少し強い「個人」になること。

たとえば、大勢の人の前で自己紹介をする時に、前の人たちが全員、出身地と年齢のみを言った場合は、安易にその空気に同調して自分も同じ言い方をするのではなく、趣味や最近はまっているものように自分の言いたいことを言う。

すると、重苦しかった空気が壊れて、次の人からは自由に発言できるようになる。

このように「空気」は小さな勇気で簡単に変えることができる。

②:「社会」と繋がる
「誰かと繋がりたい。だけど、かつての世間のような重苦しい共同体は嫌だ」

という時は自分を支えてくれる強力な集団に身を宿すのではなく、「世間」を飛び出して「社会」と繋がる。

「『社会』と繋がる」と言うと、まるで「芸能人やスポーツ選手のように有名になって、大勢の人から認められること」をイメージするが、これはたくさんの集団の中から自分が生きやすそうな集団、自分を受け入れてくれる集団を複数探して、それぞれに緩やかに所属することである

そのためには、見ず知らずの相手と出会える可能性のあるインターネットは最適な空間だが、大事なことはネットの世界で人気者になるとか、たくさんの「いいね」ボタンを押してもらうということではなく、二人か三人でもいいので、本当の理解者を見つけること。

そこでは「世間」の人とは違うアプローチが必要になる。

相手は自分とは同質ではないことをきちんと認識して、自分がなぜそう思ったのかを一定のまとまった情報を与えながら伝える。

そうしないと、自分とは違う世界に住んでいる人は理解してくれない。

また、同じ「世間」を生きている人のように馴れ馴れしく接するのではなく、丁寧な言葉を使い、適切な距離を保つことが大切である。

それから、不安ゆえに一つの共同体にしがみつくと、それがいつの間にか、排他的で差別的な「世間」に変わってしまうので、適度な距離を取りながら、複数の共同体にゆるやかに所属することで自分の不安を軽くする。

・あれから約10年…

この本を読んでから10年近く経過した。

今でも、かつての自動車学校からの帰り道を通ると、「孤独としがらみ」の両方を恐れて、「他人との適切な距離の取り方」が分からずに、漠然とした生き苦しさに悩んでいた当時のことを昨日のできごとのように思い出す。(ここ数年はほとんど実家に帰ってないけど…)

この本は決して、「同調圧力に負けるな!!」とか「同質的ではない社会と繋がるコミュニケーション能力を身に着けた強い個人になれ!!」いう生き方を勧めているのではない。

空気に従わないことも社会と繋がることも、「世間」から自立した強い個人になるためではなく、「その方が楽に生きることができるからだ」と言っているに過ぎない

それでも、私は同調圧力に屈せず、同質的ではない社会と繋がることができる強い人間になりたいと思っていた。

だから、この本から得たヒントを積極的に実践した。

先に挙げた2つの他に

・お祝いのプレゼントは贈るが、「世間」を生きる相手に対して、お歳暮やお中元のような習慣化しているだけの贈り物はしない。(鴻上氏の指摘する通り、これは賄賂に当たると思う。)

「~させていただく」を連発する人のように「世間」に対して過剰に遜らない。

・同じく「世間」に向けて「自分がいかに大変か」を語り、諂(へつら)ったりしない。

お願いする時こそ丁寧に頼む。

・買い物時に店員に話しかけられたら無視をしない。

・マニュアル通りの対応をされても、きちんとお礼を言う。

・人から頼まれても、できないことはNoと言う

迷惑かどうかはぶつかってみないと分からないから、とりあえずお願いはする

ということがある。

まだ、上手く実践できない場面もたくさんあるが…

それから、この本で得た「他人との距離感」に対する知識は、その後の人生で大きく役に立った。

たとえば、この記事で書いた通り、同じ敷地で営業している他所の会社の店主が私に挨拶を返さなくても、「あの人は「社会」に属する人への言葉を持っていないから、相手が私のことを「世間」の仲間だと認めるまで待つしかない」と構えることができた。

それから、この記事で紹介したすぐにバックレる人たちも、言葉によるコミュニケーションが取れなかったり、自由の快適さを知ってしまったのだから今さら、他人と関わりを持つことを煩わしく思っている人たちなのだろうと思い、「裏切られた!!」というような感情的にならずに済んだ。

そして何といっても、エラそう顔で「社会人」だとか「コミュニケーション能力」だとか言っている人も、大半は「世間」という小さな世界を離れると、ただの人でしかないということに気付けた。

友人と疎遠になって以降ずっと抱いていた「誰かと一緒に繋がりたい」という感情も、ペンパルサイトを通して「社会」と出会うことで満たすことができた(良いことを言ってくれる人たちばかりではないけれど…)。

今はこのブログを読んでくれている国内の人とも繋がっていると思う。

まあ、このブログは鴻上氏が提唱する「社会に向けて書く文章では「です、ます」口調の丁寧な言葉を使うこと」という教えに反していますけどね。

最後に本編①で紹介した「空気を読んでも従わない」についての説明を一部撤回させてもらいたい。 

この本は「『世間』と『空気』」を読みやすく書き直した本だから、何か新しいことを見つけることはないだろうと予想していたが、前著にはなかった「世間との戦い方」がいくつか載っていた。

そのため、すでに「『世間』と『空気』」を読んだ方にもお勧めできる本である。