好きな人はいないけど結婚したい!!③(「家庭を持ってこそ一人前だ!」編)

前回までは「相手がいないけれども結婚をしたい」と思っている人の考えを

という2つの視点から説明してきた。

私はこれらの動機について共感こそしないが、理解はできる。

しかし、「どうしても結婚したい!!(させたい!!)」と願う理由で、私が「最低」だと思うのはこれである。

・結婚したい理由③:「既婚」というステータスが欲しい

典型的な昭和のサラリーマンをイメージしていただきたい。

残業や休日出勤に追われ、家庭のことはすべて妻に押し付ける。

妻が「少しは家族のことも考えてよ!!」と頼むが「自分の人生は仕事がすべてで、俺は会社と結婚した。だから2号(妾の意味)の家庭事情のことなど知らん!!」と言わんばかりの無関心。

そこまで確固たる意志を持って「仕事が人生のすべてだ」と宣言しているのなら、なぜ彼らは結婚などしたのだろうか?

仕事に人生をささげる覚悟があるのなら、「私は首相に就任した時に、この国と結婚することを誓った。だから、君一人を妻として迎えることはできない。平凡でもいいから幸せな家庭を望むであれば、他の男のところへ行きなさい」と毅然とした態度で、結婚を望む愛人を突っぱねたという逸話がある、どこかの国の総統を見習ってほしいものである。

・トロフィーワイフ

さて、私は最近この記事を読んで「トロフィーワイフ」という言葉を知った。

自分たちで産んだ子供をどうして自分たちで育てようとしないのか (blogos.com)

これは「権力を得た男が、成功の証として、誰もが羨むような美貌と知性を持つ女性を得る(結婚する)」ことである。

そこには、社会的な評価や、成功の象徴という認識しかなく、女性に対する愛情など存在しない。

元々はフェミニストが女性の人格を認めず、金で女を買い取ろうとする金持ち男を糾弾するために作られた言葉のようであるが、この「トロフィーワイフ」という考え方は今の私たちの社会にも当てはめることができると思う。

すなわち、

「自分はフリーターとは違って責任のある一人前の社会人だから、家族を養いたい!!」

という見栄から結婚を望んでいる男が欲しがるものが、この「トロフィーワイフ」である。

その考えには相手の女性に対する愛情も敬意も全く存在せず、家族も世間体を保つための道具でしかない。

だから、「自分は仕事がすべてだ!!」と言いながら、ヌケヌケと結婚できるのである。

念のために申し上げておくが、この考えは男性だけに当てはまるわけではない。

当然、「既婚というステータスが欲しい!!」という理由だけで結婚を望む女もいる。

若い時は合コンや婚活パーティーで「条件!!条件!!」と連発して、少しでも社会的地位や年収の高い男に取り入ろうとしているが、年を重ねるにしたがってトーンダウンして「売れ残り扱いされるのが嫌だから、とにかく結婚したい!!」と考えている哀れな女はトロフィーワイフを求める男たちと1㎜の違いもない。

・少子化の原因は道徳意識の低下が原因?

「既婚というステータスが欲しくて結婚したい!!」と願う人のことを散々罵倒してきたが、私はどんな理由で結婚するのかは個人の自由だと思っている。(その毒牙にかかる相手は災難であるにせよ)

当然、そのような動機で結婚しようとする人も認める。

しかし、「既婚=立派な社会人としてのステータス」という考えが、悪い方に進化して

「男は家族を養い、女は子供産んで、家庭を守ることが社会人としての責任だ!!」

という勝手な社会的規範(と当人は思っている)を持ち、その信仰に従って他人に結婚を押し付けてくる人間(以下:「道徳結婚バカ」と呼ぶ)の醜悪さには耐えがたいものがある。

道徳結婚バカが喜んで説教のネタに使うのが「少子化問題」である。

「自分は仕事が大変でも一生懸命働いて、子どもを育てている(もしくは育てた)。だけど独身のヤツは自分のことしか考えてないから、嫌な仕事はすぐに辞める。社会人としての責任感が全くない」

「この国は少子化で大変なことになっている。この状況を変えるためには、独身者には家庭を持つことの責任を教えるべきだ!!」

「結婚している人間は家族を守るため、どんなに辛い仕事でも辞めずに続ける」

これが彼らの考える

既婚者=責任感がある

の図式だろう。

逆に

「いい加減なフリーターでも結婚させれば、家族を守るために真面目に正社員として働くのではないか?」

と企てている人もいる。

はっきり言って、私はそのような人間は心の底から軽蔑している。

世の中には劣悪な労働環境が蔓延しており、そこで苦しんでいる人がたくさんいる。

これは法律や労働者によるボイコットで解決すべき問題である。

にもかかわらず、なぜ、そのような環境は一切問題にせずに、「責任」という名の恐怖で脅して、劣悪な職場で働かざるを得ない状況に追い込もうとするのだろうか?

「仕事を辞めたいのだけれども、家族の生活を考えると辞めることができない…」

私はこのような人を見ると(哀れみや嘲りではなく本気で)可哀そうだと思う。

しかし、このように苦しみながらも仕事を続ける(辞められない)人たちを見て、なぜか、

「家族のためにどんな苦しいことにも耐えて一生懸命働いて偉い!!

などと思っているバカがいる。

人が苦しんでいる姿を見て感動するなんて、サイコパスですか? あんたは!?

・道徳という名のレイプ

また、「少子化と未婚率の増加は女性の社会進出が原因だ」と考えている(困った)人たちもいる。

前回の話と少し重なる部分もあるが、30年以上前までは女性は結婚して家庭に入るしか生きる手段がなかったため、今よりも出生率は高かった。

そのため、

「男女平等は失敗だ!!」

「少子化の原因は女の経済的自立を認めてしまったことである」

「奴らには社会を繁栄させるために子どもを産むということが女の責任であるということを教え込むべきだ!!」

と(頭が悪い)彼らは考えているのである。

ああ!! なんだか、自分で書いていてムカムカしてきた!!

経済的理由で結婚する(しなければならない)人が減った結果、少子化が進行したのは事実かもしれないが、それはいいことだと思う。

そもそも、

「女性としての役割は仕事で社会に貢献することではなく、夫を支えて、子どもを産み育てることなのだ!!」

というような社会規範で脅して子どもを産ませるのは、もはや道徳という名のレイプである。

そんな社会を大真面目な顔で肯定する人間を見ると反吐が出るような思いをする。

たしかに少子化による歪が現れている今の日本社会はー(マイナス)100くらいの状態かもしれない。

しかし、女性が経済的理由で結婚させられて、子どもを産まされるような社会はー1000だと思う。

―1000がー100まで是正されたのだから、それは喜ばしいことだろう。

・「育児と介護には国が金を出す必要はない!!」という理屈の根源

もう一つ、道徳結婚バカの女性蔑視の例を挙げたい。

1年以上前のことだが、消費税の増税に関する話題である国会議員がこんなことを言っていた。

よく「社会保障の財源が足りない」と言われているけど、日本は企業がしっかりと従業員の生活を保障するし、保育や介護は元々は奥さんの役目だったので、社会保障にそこまでお金を費やす必要はなかったのですよ。

だから、国民が社会の一員としての自覚と責任を持てば、社会保障費がこんなに高くなることは無いんですよ。ガハハハッ!!

私はこれを聞いた瞬間、自分のパソコンをぶっ壊したくなるような衝動に駆られた。

民営化された社会保障を国会議員が肯定するなど言語道断である。

それ以上に「育児や介護は女性に(無償で)押し付けよう」などということを平然と言ってのける人間が国会議員になれるような国に生きていることが恥ずかしくなった。

また、そこには労働の対価として給料を受け取っている保育士や介護士の人たちへ敬意など微塵もない。

邪推だが、このような仕事に従事している人の給料が著しく低い理由は、この男のように「育児や介護なんて仕事は男に食わせてもらっている女子供のやることだから、自立できるだけの給料なんか払う必要はないんだよ~♪」というような考えがあるからではないだろうか。

・標準モデル以外の家庭を見て見ぬフリ

私が「道徳結婚バカ」が語る少子化問題で本当にふざけていると感じるのは、私のように全く結婚するつもりのない人間に「結婚しろ!!結婚しろ!!」としつこく説教するにもかかわらず、貧困に直面している子持ち世帯を助けることを一切考えていないという点である。

たとえば、今の日本では子どもの7人に1人は相対的貧困のレベルで暮らしているらしい。

当たり前だが、子どもが貧困だということは、その親も苦しい生活を送っていることになる。

この社会では、それだけ多くの人が子育てに苦労している。

前回の記事で「女性は結婚すれば経済的な安定を得ることができる」というようなことは書いたが必ずしも、そうなるとは限らない。

ちなみに「子どもの7人に1人は相対的貧困のレベルで暮らしている」という話は阿部彩さんが10年以上前に書いた本で言われていることなので別に真新しい話ではない。

それにもかかわらず道徳結婚バカがそのことに気づかない(もしくは見てみぬフリをする)理由は、彼らが口では社会の少子化問題を憂いながら、自分の「既婚」という事実を誇りたいという魂胆が見え見えの猿芝居だからである。

「結婚して家庭を持つことが社会人としての責任」だという道徳的観点から結婚を勧めるバカ共への憤りはまだまだ言い足りないが、彼らには道徳感情から結婚することを訴えると、それだけ「トロフィーワイフ」を求めて婚活に奔走する人たちのように愛情がない結婚を増やすことになるということを肝に銘じておいていただきたいものである。

そう考えると「既婚というステータスが欲しいから結婚したい!!」と思っている人たちはこの社会の被害者のような気がしてきた。

次回へ続く

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