「正社員」という名の宗教にすがる人たち①

外国人と会話をする時に注意しなければならないテーマが「宗教」である。

代表的なものは仏教、キリスト教、イスラム教だが、その中にも様々なグループが存在し、それ以外の宗教を信仰している人もいる。

私は外国の人から、「あなたの信仰する宗教は何ですか?」と聞かれたことはないが、「あなたは毎週、教会に行っていますか?」とか「毎日、お祈りをしていますか?」と聞かれた経験はある。

ちなみに、私は多くの日本人と同様に「無宗教者」を自称している。

この国は宗教の自由があるので、無宗教であっても何も問題はないのだが、仰深い人たちに対して絶対に言ってはいけないことがある。

「この世には神なんかいないんだから、そんな下らないことやめたら?」

そう言いたいところでも、決して、他人の信仰心を愚弄してはいけない。

・貧困と宗教

そもそも、「なぜ外国にはそこまで宗教に熱心な人が多いのか?」ということについて考えてみたい。

以前、どこかで聞いた話なので、正確なことは思い出せないが、宗教は格差が大きい国や貧しい国で大きな影響力があることが多い。

豊かな国では人を守るための法律や行政サービスが完備されて、その社会では誰でも個人の努力次第で成功を収めることができる(ということになっている)。

一方で貧しい国では、そのような個人を守るための制度がないため、食うに困るような貧困に陥るだけでなく、将来に希望を持つこともできない。

そのような生活を送り不安に満ちている人や頑張っても報われないと思っている人は個人の力で道を切り開こうとするのではなく、「神」という救世主に助けを求める。

ちなみに世界一の経済大国であるアメリカは日本とは比べ物にならないくらいの格差社会でもある。

大企業のCEOとして、一年で、その会社の従業員が一生かかっても稼げないような額の報酬を受け取る人間もいれば、彼の会社の高層ビルの近くの公園でホームレスとして暮らしている人もいる。

そういった国の貧困者は、自分と同じ世界に巨万の富を持つ人間を目の当たりにして生活するので、彼らに対する劣等感を持ってしまう。

ある意味では、社会全体が貧しい途上国よりも悲惨なのかもしれない。

そんな彼らを支えるものが宗教である。

普段の生活で自分がいかに「勝ち組」と呼ばれる人よりも劣っているかを実感している人は「神を敬って教えを守りさえすれば、どんなに貧しく苦しい生活を送っていても、神は「勝ち組の人」と同じようにあなたのことを愛する」と言われることで、精神的に救われて、明日も生きていこうと思うことができる。

なるほど、生活が苦しい人ほど、宗教に熱心だという考えは理にかなっている。

現実逃避と言えばそこまでだが、彼らを日々の苦しみから救う手段が宗教だというのであれば、私はそれを否定しようとは思わない。

・「正社員」という名の宗教

と他人事のようなことを書いてきたので、「自分は日本という豊かな国に生まれてよかった」と思う人もいるだろう。

しかし、当たり前だが、貧しい国の人間が愚かで、日本人は知的で優秀な人種というわけではない。

生活人が苦しい人ほど宗教に救いを求めるのは日本人も同じである。

ただし、本人は自分が宗教にすがっている人間だとは自覚できないでいることが多い。

たとえば、「正社員として働いているから自分の身分は安定している」とか「社会的に保護されている」という考えも「正社員」という名のれっきとした宗教である。

注:今回は「正社員」という言葉に「」がつく場合とつかない場合があるが、「」は「正社員」という言葉を聞いてパッと思いつく共通のイメージ(たとえば終身雇用でボーナスが支給されるとか)を表すときに使い、「正社員として雇われている」というような事実を表すときは「」を使わない。

私は今でこそ東京に住んでいるが、数年前までは西日本の田舎で暮らしていた。

「地方には正社員の仕事がほとんどない」

だから、若者がみんな東京へ出ていく」

よくこんなことが言われているが、これは必ずしも正しいとは言えない。

正社員の仕事や求人自体は珍しくない。

実際に私のような傷だらけの履歴持ちでも、バイトや派遣先から正社員にならないかという誘いを受けたことは何度かある。

ただし、一点だけ注意が必要である。

それらの会社は正社員といっても、「正社員」のイメージに張り付いてくる、年功序列や終身雇用、退職金、さらに定期的なボーナスの支給が全くないということが珍しくない。

よほど、勤務態度が悪くない限りクビにされることはないため、終身雇用くらいは存在しているのかもしれないが、会社自体が潰れないとは言い切れない。

それに昇給も月給20万で頭打ちになることは珍しくない。

終身雇用だと言われても、「家を買おう」とか「結婚して、子どもを中学から私立の学校に通わせよう」などと思ったら、高い給料を求めて転職するしかない。

ちなみに、正社員が高福祉の代償として受け入れなければならない、一方的な勤務地の変更や配置換えは当たり前のように存在している。

このような会社はごまんとあり、「正社員」=一生安定ではないのである。

しかもこのような会社は外資、ベンチャー、IT関係のような「最近、現れて、何だかよく分かんないけど普通の会社とは存在」というわけではなく、何年もその地域で商売を続けている会社だったりする。

つまり、現地の人はそのような会社が存在することを知らないはずがないのである。

にもかかわらず、なぜか、このような会社は社会に存在しないもののように扱われている。

私は年功序列や終身雇用が存在しない会社を「ケチだ!! ブラックだ!!」と批判しているのではない。

そのような会社があるにもかかわらず、「その存在を認めようとしない人が問題だ」と言っているのである。

その存在を知らないにせよ、見て見ぬふりをしているにせよ、「正社員=無条件に安定」という図式が頭に染み付いているのだから、これを宗教と言わずに何と言うのだろう?

・過激派テロ組織の報道を見てあることに気づく

もう一点、私が違和感を持つのは、そのような特定のモデルしか頭にない偏狭な人が、なぜか「社会人」などという幅広い視野を持った人間であるかのような名を自称している点である。

たとえば、地方に住み車で職場に通う正社員がいる。

毎日作業服を着て汗や油に塗れて仕事を行う正社員もいる。

しかし、社会人と自称する人の考える「正社員」とは、なぜかスーツを着て満員電車で通勤し、都心の中心地にある大企業で働く人のみを指しており、地方在住で年功序列も終身雇用も存在しない中小企業に勤めている人は視界から消していると思われる時がある。

なぜ、彼らは特定のモデルしか見ようとしないのだろうか?

今から5年前、「イスラム国」と称する過激派集団がイラクやシリアを支配していた。

日本人二名が拉致(その後、殺害)されて、日本国内でも大きく報道されたための当時のことを覚えている人も多いと思う。

その時の報道で

「彼らが「イスラム国」と名乗っているからといって、過激派テロ集団と敬虔なイスラム教徒を一緒にしないでほしい!!」

「イスラム教は彼らのような暴力を肯定する宗教ではないのだから!!」

というようなことが頻繁に言われていた。

というわけで、日本の報道機関は括弧書きで「イスラム国」と書いたり、「自称イスラム国」という名で報道していた。

その様子を見て、ある考えが私の頭に浮かんだ。

この国で「社会人」と自称している人も同様で、彼らの考えている「社会」とは、この国の地理、歴史、政治、法律といった本当の意味の「社会」のことではなく、「正社員」として企業に忠誠を誓えば、どんな人であっても、年功序列・終身雇用といった安定した生活を保障される空想の世界のことではないのだろうか?

だから、その理想に反する現実が目の前にあっても「知らない、見ない、見たくなーい」となるのではないか?

というわけで、このような特定のモデルしか想像することができないクセにいっちょまえに「社会人」と自称する人間のことは「自称社会人」と呼ぶことにしよう。

次回へ続く