20代半ばで上京して生活を安定させるまでの話①(足場固め編)

先日、四国の田舎町で暮らしている女性からメールをもらった。

彼女は現在25歳で、実家に住みながら正社員として働いている。

しかし、今の生活を続けていても将来の展望がないことから、仕事のあても知り合いもいないが東京へ出て、後悔しない内に人生を変えたいと思っている。

そこで、情報を集めていたところ、この記事を読んで、新卒ではなく、地元で数年働いた後に上京した私に対して親近感が湧いて、このブログの読者になってくれた。

地元と東京の暮らしに関する記事はほぼすべて読んでくれたそうだが、それでもダイレクトに聞きたいことがあると言って連絡してきた。

そのメールで、彼女は私にこんなことを尋ねた。

・仕事と住まいはどちらを最初に探したのか?

・上京の際の初期費用はどのくらい必要か?

・すでに社会人となって5年が経過しているが、それでも仕事を見つけることはできるのか?

・地元での生活との違いではどんなことに苦労したのか?

・地元では会うことがなかった類の人との出会いはあるのか?

私は20代の中頃まで地元で生活した後に上京したわけだから、生活だけでなく仕事に関しても、田舎のものと東京のものを対比させて考えることができるし、新卒社会人のように生活の全初期費用を親や会社が出してくれたわけではないから、新生活を始めるための費用は自分で工面しなければならず、その結果、「予想していたよりも…」というような金銭的なやりくりの経験もある。

これは東京で生まれ育った人や学卒後すぐに上京した人にはないアドバンテージである。

そのため、巷に溢れる進学者や新卒の就職者へ向けた東京の暮らしガイドとは違った視点で、地元と東京の生活の違いや、メリット・デメリットを紹介することができるかもしれない。

というわけで、今日から数回に分けて、20代半ばで地方から上京した私が、東京で安定した生活を送るまでの話をしていこうと思う。

ただ、一つだけ理解してもらいたいことがある。

私が東京で暮らし始めてから2年以上が経過しているため、私は「自分は東京に定住している」と思っている。

しかし、永住するつもりはない。

正直な話、来年の今頃も東京で暮らしているという保証は全くない。

だから、クレヨンしんちゃんの登場人物である野原ひろし氏のように田舎から出てきて、東京でそれなりに規模の大きな会社に正社員として勤めて、現地で出会った人と結婚して、子どもを作って、家を買うことで、東京を(厳密に言えば、彼の住んでいる地域は埼玉県だが)人生の拠点にしているわけではない。

そのようなことを考えている人がこの記事を読んでも期待外れに終わることはご容赦願いたい。

今日のテーマは私が東京へ出てきて、最初の住まいと仕事を見つけるまでのこと、いわば生活の足場を築くまでの最初の一歩についての話をしたい。

・上京前の状況(笑)について

先ずは私がどのような経緯で東京へ出てくることになったのかについて簡単に説明したい。

私が東京へ出てきたのは今から数年前のことである。

当時は20代半ばであった。

理由のひとつは前出の記事で書いた通り、お金のためだった。

地元には一人で生計を立てることが出来る仕事などほとんどなかった。

だからと言って、低賃金の暮らしをカバーし合えるような人間関係の絆もなかった。

学生時代の友人も地元には残っておらず、彼らとは5年以上疎遠になっていた。(皮肉なことに友人の一人とは上京の2ヶ月前に再会したが…)

当時の私はそのような暮らしに絶望していて、地元に残る理由など全くなかった。

その頃、東京ではオリンピックバブルの影響もあってか、人手不足が問題となって、非正規労働の時給がどんどん上がっていた。

そのため、東京へ出たら、フリーターであっても、一人暮らしができるだけの収入が得られるのではないかと考えていた。

それに加えて、英検準1級を取得したため、「英語を活かせる高時給の仕事に就けるのではないか」と密かに期待していた。

よく、「社会人になってからの上京は家族から反対されることが多い」と言われる。

しかし、私は地元にいた時から、学卒後に一つの会社で働き続けたわけではなかったため、仕事を辞めることも、東京へ出ることも特に家族から反対されたことはなかった。

ただ、「今の仕事を辞めて東京へ出る!!」と言ったら、同僚や社長から疎まれると悟ったため、表向きの退職理由は「海外へ留学する」とウソの理由をでっち上げた。

ちなみに、仕事も、住まいも全くあてなどなく、すべてを東京に着いてから探そうと思った。

そうして、持ち物はスーツケースと運動部の学生が用具を詰め込むような比較的大きいバックの2つだけで、夜行バスに乗り東京へ向かった。

・予算について

予算についてだが、私の場合は初期費用として100万円程用意していた。

これは元々、留学しようと思って蓄えていた資金であり、東京で生活するための予算を確保するために死ぬ物狂いで働いて稼いだわけではない。

結論から言うと、100万を用意しておいてよかった。

最初はシェアハウスに滞在していたので、住まいの初期費用に関してはシェアハウスを探している間に1週間ほど滞在していた宿代以外は全くかからなかったが、最初の仕事に就けるまで4ヶ月かかった。

そのため、最初の給料が振り込まれるまでには貯金が40万を切るところまで目減りしていた。

もしも、上京後すぐにアパートを借りていたら、バカ高い頭金や家財代で予算が底をついていたかもしれない。

こればかりは上京後の状況(←笑、本日二度目)によるため、「最低でもいくらは必要」とか「逆にいくらあれば安心」とは言い切れない。

・住まいについて

家を探すのが先か?

それとも、仕事探しが先か?

この選択に迷う人が多いだろうが、私は前者を選択した。

正社員なら最初に仕事を探して、就業前までに住まいを確保すればいいのかもしれないが、私はすぐに働きたかったし、住所不定ではアルバイトすら(だからこそ?)採用されるのが難しいと思った。

しかし、学生のように親が名義人になる場合はともかく、田舎から出てきた無職者に部屋を貸してくれる大家は先ず見つからないだろう。

そう考えて、仕事が安定するまではシェアハウスに住むことにした。

その方が、家財なども購入せずに済むため、初期費用を抑えることが出来るし、万が一、地元に帰ることになった時も自分の身一つですぐに撤収することができる。

住まいを探す間はバックパッカーが使うような130005000円程度の宿に1週間滞在した。

その間にインターネットでシェアハウスを探した。

振り返ると、東京へ着いてから住まいを探すのは遅すぎた。

目ぼしをつけた物件の大家から、たまたますぐに返事をもらえたからよかったものの、連絡しても返事がなかったり、希望者が何人もいるため下見ができるのは10日待たなければならない物件もあるため、1週間しか宿の予約を取っていない状況ではあまりにも危険だった。

私が選んだシェアハウスは1ヶ月分の前家賃さえ納めて、身分証明書と(連帯保証人ではない)緊急連絡先の提示さえ行えば入居できた。

無職でも、特に「貯金はいくらあるのか?」などの質問はされなかった。

場所は東京の都心部(たぶん、住所を正直に書いても信じてもらえないだろうから、ここでは伏せておく)に位置しており、毎月の家賃は45000円で、その中には光熱費やインターネット代も含まれている。

私は利用しなかったが、毎週のゴミ出しと、2週間に1度部屋の掃除を行えば、家賃が5000円引きになるオプションも用意されていた。

部屋の間取りは、トイレとシャワーは別で、リビングのような大部屋はなく、台所と2人掛けの食事スペースがあるが、3人以上で集まることは難しいような狭いスペースだった。

洗濯機と乾燥機も用意されているが、それぞれ有料で、洗濯機は1100円、乾燥機は10100円だった。

個人の部屋は完全に仕切られているため、一応プライバシーも確保できるが、部屋といってもカプセルホテルのような小さなベッドルームに本棚くらいの物置がある小さなスペースで、ある同居人は「小屋」と呼んでいた。

私は一人暮らしを始めるまで、そのシェアハウスに半年以上住んでいたが、人によってはこのような狭い家に10人以上が同居していることに耐えられず、12週間で出ていく人もいた。

・最初の仕事に就くまでのこと

シェアハウスで東京の生活を開始した私は、生活費を得るために一刻も早く仕事をしたいと思っていた。

そのため、正社員ではなく派遣社員として働こうと思った。

その方が、比較的簡単に職に就けて、(下手したら正社員よりも)時給が高いため、足場を固めるには好都合だと考えていた。

というわけで最初に就いたのは百貨店での販売の仕事で時給は1300円だった。

やっていることは上京前にやっていたバイトと同じような仕事だが、時給は1.5倍にアップした。

そこで働いたことで経済的な足場を固めることができたため、一人暮らしの算段も整った。

その職場での話は次回以降詳しく話すことにして、今回はその仕事に就くまでの話をしようと思う。

予算の項でも触れた通り、その仕事に就くまでに4ヶ月かかった。

最初は繋ぎのバイトでもやろうと思ったが、上手くいかなかった。

以前の記事で、「アルバイト=簡単な仕事でないということを実感した」と書いたが、それは私の地元でのことだった。

だから、東京は違うのかと思ったが、結局、同じだった。

実際に職務経験のあるバイト(時給1000円)に応募したが、「つなぎのような考えでは困る」と言われて断られた。

たまたま、そんな職場に応募してしまっただけかと思い、以前の記事で登場した同居人C(仮名)にも相談したが、彼も同意見で「たとえつなぎのつもりでも、それは絶対に言わない方がいい」と言われた。

というわけで、最初から本命のみを探そうとしたが、かなり手こずった。

せっかく東京へ出てきたのだから、地元では絶対に経験できない英語を使う機会がある仕事に就いてみたいと思っていたが、ほとんどの仕事は事務経験が必要と言われた。

この年で、しかも男性である私が事務の経験を積むことなど困難である。

ということで、英語を使う仕事であっても、敷居が低いコールセンターの仕事に応募した。

その仕事には社内選考で落ちたが、派遣会社から一般事務の仕事を紹介された。

え!?

未経験で事務の仕事って紹介されるの!?

だったら、先ずは楽で高時給なイメージのある事務職から始めよう。

そう思ったのが、間違いだった。

なぜ、私がその事務職を紹介されたのかは知らないが、結局、その仕事も不採用となり、別の派遣会社でも「事務職希望」ということで仕事を探してもらったが、社内選考にも通らず、あれよあれよと時間が過ぎていった。

さすがに3ヶ月過ぎた頃から、貯金の残高が心配になり、このままでは資金が底をついて泣く泣く田舎へ帰ることも頭に過った。

というわけで、将来のビジョンなどよりも、先ずは東京に居続けることを優先させることにした。

そのため、スキルアップにはならなくとも、経験がありすぐに働ける仕事へ目標を変えてスーパーの販売に応募した。

その仕事は経験があるため比較的に就ける可能性が高く、時給も1300円と高額だったため、最低賃金のアルバイトとは違い、つなぎの仕事ではなく、生活を安定させることができるのではないかと思った。

その仕事はすでに募集を終了していたが、その派遣会社から近くの百貨店の仕事を紹介されて、そこで働くことになった。

こうして私はシェアハウスに住んで、派遣社員として地元で働いていた職種と同じ仕事をしながら、東京での本格的な生活を始めたのであった。

次回へ続く

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