・同一労働同一賃金は正社員の敵?
前回の記事で、年功序列や終身雇用のような日本型雇用に守られていない人たちが、不安を和らげるために「自分たちも会社に守られている」と思い込んでいる不思議について書いた。
そんな彼らが頑なに反対するのが同一労働同一賃金である。
正式な統計や意識調査を見たわけではないが、彼らが反対する一番の理由は
というような怨念に満ちたものであるような気がする。
よく同一労働同一賃金とは「正規と非正規の差をなくしましょう」という切り口で語られるため、勘違いしている人もいるが、実際は雇用形態だけでなく就業先企業による労働格差を是正するためのものである。
たとえば、アメリカでは車の製造ラインで働く人に対しては、T社の工場で働く場合も、G社の工場で働く場合も同じ給料を払わなければならない。
会社の売り上げは景気の動向やセールスマンの手腕によって左右されるため、それは工場で車を製造する人たちの努力で解決できる問題ではないのだから、車を製造する人はT社で働いているのか、G社で働いているのかなどは彼らの給料とは無関係のことである。
だから、会社の利益に関係なく同じ仕事をしている人に対しては同じ給料を払わなければならない。
このような同一労働同一賃金が導入されれば、正社員といえども、大した賃金も福利厚生も望めず、すでに奪われるものなど何も持っておらず、既得権と呼ぶにすら値しないほどボロボロで、「底**(←自主規制)」と呼ばれている人たちは、奪われる側ではなく、救われる側の人間である。
しかし、彼らは自分たちを上へ引き上げてもらうことよりも、自分たちよりも楽に見える非正規労働者の待遇が改善されることに対して不公平を感じて、頑なに反対する。
その結果、より自分たちが不幸になるとも知らずに。
このように、人間は自分の弱さに負けて、本来なら自分を守ってくれるはずのものを攻撃してしまうことがある。
しかも、本人は正義感気取りであるから迷惑な話である。
今日はそんな筋違いな不公平への憤りについての話をしたい。
・「社会人の実家暮らしは甘え」だという的外れな批判
社会人として給料を得ているにもかかわらず、実家で生活している人を「パラサイトシングル」などと呼んで攻撃する人は珍しくない。
私も、同僚に住まいのことを尋ねると
「実は実家で親と同居していて…」
と恥ずかしがって答える人が何人もいた。
しかし、成人後も実家で親と同居してはいけない理由とは何だろうか?
実家暮らしを続けている人への批判は「甘えだ!!」とか「恥ずかしくないのか!?」というような意味不明な批判を除くと、唯一もっともらしいのは
という批判である。
これを聞いて
と考えた人は甘い。
考えてみてほしい。
もしも、彼らパラサイトシングルが全員独立したら、圧倒的な住宅不足になり、需要と供給のバランスが崩壊、その結果、家賃が急上昇してしまう。
東京にいたっては家賃二倍どころでは済まない壊滅的なことになるだろう。
そうならないのは、彼らが成人後も親と同居してくれているおかげなのである。
つまり、私のような地方出身で一人暮らしをしている者は彼らパラサイトシングルに感謝しなければならない。
成人後も親と同居している人は「脛かじりの恥知らず」などではなく「救世主」なのである。
恵まれない給料の中から生活費をやりくりして、毎日の家事にも手を焼いている人は、実家暮らしで何不自由なく暮らしている人を見かけると不公平感で胸が張り裂けそうになり、手痛い攻撃を加えずにはいられなくなるかもしれない。
しかし、その不公平への怒りは自分の身を亡ぼすことにつながるかもしれない。
苦しい時こそ自棄を起こさずに、「自分の敵は何なのか?」を冷静に見極めなければならない。
実家暮らしを批判している人間こそ、私たちのような貧乏人の真の敵である。
・コネ採用に塗れた会社は本当にろくでもない会社なのか?
実家暮らしの人に対しては特に不公平も嫉みも感じることのなかった私だが、かつてはコネで入社した人に対して同じような偏屈な感情を持っていた。
これは私が個人経営の零細企業で販売の仕事をしていた時の話である。
私の働いていた店舗に母親と一緒に働いている従業員がいた。
その時は特に何も感じなかったが、私がその会社で働き始めて1ヶ月が過ぎた頃、人手不足のため、私は他の店舗も掛け持ちで働くことになった。
そこにも、母親と一緒に働いている従業員がいた。
彼は高校を中退した後に再度別の高校に入り直したため、すでに20歳を超えていたが、まだ高校生だった。
それを知った私は「普通の会社なら彼のような人は雇わないだろうなあ」と思った。
ちなみに、その会社は個人経営の会社であるため、社長の息子も働いていたし、夫婦で同じ店で働いている人もいた。
全従業員は20人もいないのに、
家族と一緒に働く人多すぎだろ!?
従業員同士の仲が良い「家族のような」職場ではなく、本当に家族同士で働いている会社である。
余談だが、親子で働くケースだけでなく、全く業種の異なる他社へ転職したものの半年で舞い戻って来た人もいた。
その会社は絶対に普通の会社では雇わないような人たちで溢れていたのである。
当初の私は、この会社は縁故塗れのろくでもない会社だと思っていた。
そんな甘ったれた人たちにまともに仕事などできるのだろうか?
ある日、店長とこんなやり取りがあった。
店長:「最近、向こうの店で息子と一緒に働くことはある?」
早川:「どの息子さんのことですか?」
それを聞いた店長は大笑いしたのだが、その際、思い切って彼に、何でこの会社はこうも親子や夫婦で働く人が多いのかを尋ねてみた。
すると、彼がこんなことを言った。
それを聞いて、ハッとした。
確かにこの会社は「会社」というような会社ではないかもしれない。
だけど、このまともではなく、古い体質の会社に救われている人もいる。
母親と同じ職場で働いている20歳を超えた高校生の彼は後にこんなことを言っていた。
彼が再びこの社会で働く意志を取り戻せたのは、間違いなくこのコネ塗れの普通ではない会社のおかげである。
思い返せば、それは私だって同じだった。
この会社が厳しい就業規則を設けて、正しいお辞儀の角度だとか、身だしなみだとか、どんな客に対しても笑顔でいるための作り笑いだとか、しつこく書面にハンコを求められたりする職場では、とてもではないが仕事を続けることはできなかっただろう。
にもかかわらず、なぜ自分がまともな会社の側の人間だと思い込んでいたのだろう?
この会社がコネ採用を認めず、書類審査や二次も面接などの厳選採用を行うような「会社らしい会社」になってしまったら、息苦しすぎて真っ先に居場所を失うのは私だったことだろう。
私がここまで生きてこられたのは普通ではない会社のおかげだった。