東京で仕事をしている人は料理を作れるのか?

現在はだいぶ慣れてきたが、上京したばかりの頃は、あることがとても嫌だったため、職場では常に一人で昼食を取っていた。

それは昼食中の私を見た同僚(または会社の知り合い)から、

「え!? 毎日自分でお弁当を作っているんですか!? 偉いですね!!」

と言われることである。

私は決して、照れや、恥ずかしさからこんなことを言っているのではない。

冗談抜きに

本気でイヤ

なのである。

それはなぜか?

・その発言は男女差別ではないのか?

まず一つ目のジェンダーバイアスの問題である。

もしも、私が女性であり、毎日職場に手作りのお弁当を持ってきているのであれば、こんなことは決して言われないだろう。

事実、かつて私は自分と同い年の女性と一緒に働いていたことがある。

彼女も昼食は手作りのお弁当を持って来ていた。

私は彼女と同じ時間帯に休憩に入ることが多かったのだが、彼女が私と同じように「毎日お弁当を作って偉いですね」などと褒められている様子を見たことは一度もない。

私が数いる女性の同僚の中からあえて「同い年の女性」を選び出したのが重要なポイントである。

彼女を引き合いに出すことで、「それは性差別ではなく、子どもの世話をする必要のない若い人があえて弁当を手作りすることを褒めているのではないか?」という意見は封殺できる。(ちなみに彼女は独身である)

「毎日手作りでお弁当を持ってきて偉いですね。男なのに

この発言の裏には

「男が弁当を作ることは立派だが、女がそれをやるのは当然だ!!」

というような意味が込められているのではないかと思うと背筋が凍りそうになる。

これを「男女差別」と呼ばずに何と呼ぶのか?

ちなみに上京して不思議に思うことの一つでもあるが、どういうわけだか

「地方は男尊女卑の傾向が強いが、東京では男女平等の意識が進んでいる」

と思い込んでいる人がいる。

しかし、私が地元で働いていた時は人前で手作りの弁当を食べていようが、そのことを注目されたことなど一度もない。(もしかすると、母親が作っていたのだかと勘違いされていた可能性もあるが)

東京の職場も意外と男女差別に満ちている。

・私が毎朝弁当を作れるのは「怠けずに家事を行う人間だから」ではない

少し話が脱線してしまったが、今回のテーマは職場の性差別ではない。

今回取り上げたいテーマは、私が手作り弁当を褒められたくないもう一つの理由から生まれたものである。

それは通勤時間のことである。

私が上京して最初に働いた職場への通勤時間は約1時間だった。

家から職場まではめちゃくちゃ近いわけではなかったが、遠いわけでもなかった。

同僚には県外である神奈川や埼玉(それも東京近郊ではなく結構な奥地)から2時間以上かけて通勤している人もいた。

そのため、私は(彼らと比べると相対的に)朝の時間に余裕があった。

同じ「毎朝弁当を作って出勤する」ことでも、私と彼らでは条件が全く違うのである。

だから、私は毎朝弁当を作っていたからといって、自分が彼らよりも偉いなどとは口が裂けても言えなかった。

そもそも、そこまで時間をかけて通勤している彼らと比較すること自体がフェアではない。

だから、私は手作りの弁当を褒められた時には、彼らに対して後ろめたい気持ちがあった。

先ほど述べた通り、私が東京へ出てきて初めて働いた職場までは片道1時間だった。

地元にいた時は車で通っていたため、距離はほとんど同じでも時間は長くて30分以内だった。

往復では一日に1時間の差が生じる。

しかも、一人暮らしであるため掃除も洗濯も家事はすべて自分で行わなくてはならない。

そのため、一人暮らしを始めた当初は

「全然家事をする時間が足りない!!」

と悩んでいた。

とはいっても、周りを見渡せば私よりも通勤時間が長い人など珍しくはなかった。

東京都心は家賃が高いため、子育てをしている世帯は郊外に住んでいることが多い。

というよりも、所帯持ちで23区内に住んでいる人など見かけたことがない。

そこで疑問に思ったのだが、私以上に通勤に時間をかけている人は一体どんなように家事を行っているのだろうか?

私には通勤時間に片道2時間かけて仕事に通いながら家事を行う自信は全くない。

しかも、私の場合は独り身で、自分のことだけを考えていればいいのだから、

「弁当を作るのが面倒くさい!!」

と思う時は買い食いなり外食なりすればいいだけの話である。

しかし、家事に対して責任を持っている人はそうはいかない。

同居人が成人しているのならまだしも、子どもがいる場合は「今日はちょっと疲れたから」などと思っていても、彼らの食事の世話を放棄するわけにはいかない。

ちなみに、私の手作り弁当を褒めてくれた人の中に、朝の5時前に起きて、自分と高校生の子どもの弁当を作って、東京の西部から2時間近くかけて通勤している人がいた。

いや、私なんかよりもあんたが毎日弁当作ってくることの方がよっぽど大変でしょう?

・家事の負担を少しでも減らす方法

これは食事以外の家事についても同じことが言えそうである。

専業主婦のいる家庭や夫婦二人で家事を分担している家庭ならそこまで苦ではないのかもしれないが、私の同僚には小学生の子どもがいて

「旦那は家事を一切やらない!!」

と不満を言いながら、片道一時間半かけて埼玉県から通っている女性もいた。(しかも、彼女は夜の8時頃まで残業することも珍しくなかった。)

彼女がどのように家事を行っているのかは分からないが、相当な負担になっていたのではないか?

よくワークライフバランスの問題では「日本の雇用習慣が悪い」と言われることが多い。

長時間労働とか一方的な勤務地の変更とかがそれである。

しかし、この通勤時間の問題はそうとは言えない。

就業場所も居住地も決めたのは自分であるし、そもそも東京だけが働く場所ではないから。

そこで、私も微力ながら、このような人たちの負担を少しでも軽減する方法を考えてみた。

それは

「手作り料理にこだわるのはやめよう」

ということである。

仕事へ出かけた日の昼食は外食や社食で済ませている人たちも、なぜか

「家庭料理は手作りじゃないとダメ!!」

という強迫観念に苛まれていることが多い。

しかし、そこまで手作りにこだわる理由があるのだろうか?

この社会には

「手作りの料理こそが家族への愛情だ!!」

などという意味不明な社会規範は持っている人がいる。

そのため、家族の食事にレトルト食品でも使おうものなら

「手抜きだ!!」

「家族への愛情の欠如だ!!」

「家事の放棄だ!!」

などと発狂する人がおり、その批判を恐れて過度に手作りの食事にこだわっているのではないかと思う。

もっとも、周囲が本当にそのようなことを求めているのか、本人が勝手にそう思い込んでいるだけなのかは分からないが…

しかし、別にレトルト食品や冷凍食品でもいいではないか。

手作りでないからと言って、それが食事そのものを放棄することにはならない。

むしろ、家事に費やす時間を少しでも減らして、浮いた時間を家族と接することの方が大切ではないのだろうか。