「家族の絆を大切にしよう」という言葉の使い方を間違えてはいけない

前回の記事では「高齢者が車の運転を続けるか否かは本人の自由意志による選択ではなく、実は家族の支えがあるかどうかの違いに過ぎないのではないか?」ということを書いた。

しかし、その記事を書いていると、「悲惨な事故を引き起こさないために家族を大切にしよう!!」という小学校の道徳の授業で出てくるような呪文を唱えて、「家族の支えがない奴は勝手に死ね」と思っている自己責任論者を喜ばせることにつながるのではないか思ってしまった。

今日のテーマはそんな懸念から生まれた。

・子どもの時に「家族の絆を大切にしよう」という説教に感じたこと

個人的な回想から始めるが、子どもの時の私は「家族を大切にしよう」という説教や「家族の絆」を強調したがる作文や図画の授業が大嫌いだった。

私が育った家庭は父親が会社員で母親はパート労働に出ている主婦という典型的な旧日本型標準モデルで家族の仲が悪いわけでもなく、特に不満はなかったが、それを言葉や作品で表現させられることが嫌でたまらなかった。

   お父さんは君のために一生懸命働いてくれて、お母さんは毎日家事をやってくれているんだから両親に感謝しましょう。そして家族の誰かが困っていたら助け合いましょう。

はあ!?

あんたにウチの家族の何がわかるの!?

   今日は家族への感謝の手紙を書きましょう。

何を言わせたい(書かせたい)んだよ!?

つうか、何でそれを学校の授業でやらないといけないんだよ!?

こんな感じである。

ちなみに、くどくどと「家族を持つことの大切さ」を説教してくる者への反感は大人になっても持ち続けている。

このように「家族を大切にしよう」という説教をゴリ押ししてくる「家族教信者」がウザいと思っていたわけだが、それでは私に家族の支えなど必要なかったのか?

答えは「No」である。

・上京後のシェアハウスで見たもの

それを感じたのは上京してシェアハウスに住んでいた時のことだった。

この記事で書いた通り、私が東京に出てきた目的は仕事(というよりも金)のためである。

仕事も見つけずに上京してきた私が家を借りることなどできるはずもなかったため、仕事を見つけるまではシェアハウスに住むことにした。

そこの同居人も「私と同じく地方出身者で東京で一旗揚げようと思って出てきた人がほとんどなのだろう」と思っていたのだが、驚いたことに11人の内、少なくと6人は川崎、柏、船橋、川口など東京近郊の出身者だった。

しかも、1人こそ正社員として働いていたが、残りの5人は「定職」と呼ばれる職についておらず、求職者、役者になる夢を追ってバイトをしている若者、夜の世界で働いている人たちだった。

私はそれを聞いて驚いた。

「なぜ、彼らは経済的に不安定なのに実家を出てシェアハウスに住んでいるのだろう?」

「もしも私の実家が彼らと同じのように首都圏にあるのなら、絶対に実家に住み続けることを選ぶのになあ…」

私は彼らが実家に住み続けることができない理由については知らない。

だが、私はその時初めて、「自分は彼らと違って、頼りたい時はいつでも頼ることができる家族がいる恵まれた立場の人間なのだ」と気づいた。

以前、親に虐待されて、親元を逃げ出して社会のアウトサイダーとして生きている人たちを取材した本を読んだことがある。

そこに興味深いことが書いてあることを思い出した。

親にネグレクトされて育った人たちは自己管理という当たり前のことができないということが珍しくない。

たとえば、寒い日でも半袖を着ていたり、大雨の中でも傘を差さなかったり、好みの食べ物のみを毎日食べていたりする。

思えば、体を壊さないための自己管理は親の子どもに対する愛情そのものである。

虐待されて育った人の多くは私たちにとって「そんなこと当たり前」のことすら与えられていないのである。

虐待の経験者ほど悲惨ではないにせよ、彼らも似たような状況なのだろう。

彼らは私にとっては「当たり前」のものであった家族の支えがなかった。

彼らを見ていると、ふと自分と家族の関係について考えていた。

成人後も実家に住んでいることが多かったが、家族旅行はおろか、いつの頃からか家族で郊外のショッピングモールまで買い物に行くこともなくなっていた。

業務連絡以外の会話をすることが一切ない日も多くなっていた。

それでも困ったことや不便なことがあれば、家族の助けを借りることができた。

一人暮らしの今はそのありがたさがよく分かる。

・そもそも自立する必要などあるのか?

私は「一人で生計を立てることができる仕事がしたい」と思って上京してきたわけだが、彼らを見ていると(本末転倒甚だしいが)「そもそも、家族と仲が悪いわけではなく、職場にも実家から通える人間が親と離れて暮らす必要があるのか?」と疑問に思った。

この国では成人後も親と同居している若者(特に男性)が非難されることが多い。

しかし、その「成人後に(社会人は)親と同居してはいけない」という意見で私が納得できたものはこれまで一つもない。

特に私が意味不明だと思うのは「実家暮らしのまま甘えていると親が悲しむ」というものである。

なぜ、彼らは親元を離れて暮らすと、親が喜ぶと考えるのだろうか?

私は親元を離れて以来、一度も実家に仕送りなどしたことはない。

お金を送るどころか、1年近く連絡さえしないこともあった。

そんな私に比べると、少額でも実家に生活費を入れて、小さなことでもしっかりと家族の面倒を見る実家暮らしの人の方がよっぽど家族思いで親孝行なのではないか?

しかも「実家暮らしは甘え」だと言って腹を立てている人間が、同時に親元を離れたら離れたで「冷たい人間だ」とか「親不孝だ」とか「ちゃんと親の面倒を見ろ!!」とかグチグチ言っていたりする。

結局のところ実家暮らしを批判している人間は、大した理由もなく単に人を蹴落として、マウントを取りたいだけなのではないか?

そんなことを考えていると、ペンパルサイトで海外の人と交流する時に「あなたは家族と一緒に住んでいますか?」と聞くようになっていた。

そして、最近はそこから少し突っ込んで、「あなたの国では、成人後も親と同居することは珍しくないのか?」ということも聞くようになった。

その結果、まず事実として「成人後も親と同居している」と答えた人と「独立している」と答えた人の割合はおよそ「82圧倒的に同居派が多かった。

ちなみに「自立しなければ!!」というようなイメージの強いアメリカ人でも2/3で同居派(2人とも未婚の男性)が上回り、日本と同じアジア圏の国の人々に至っては中国で出稼ぎをしている1人のフィリピン人女性を除いて20人近くが同居派だった。(尋ねた時期は違うが「アメリカ人と自立」についてはこちらの記事にも詳しく書いてある)

そんな彼らに「成人後も家族と同居を続けている理由」を聞いてみた。

その中の意見をいくつか紹介する。

韓国人女性(29歳)

一人暮らしはお金が無駄にかかると思うから。それに親と仲が悪いわけでもないから。

タイ人男性(26歳)

家から通える距離の職場で働いているのに何で一人暮らしをしないといけないの?

ポーランド人女性(33歳)

少しでも家族との時間を作りたいから。

アメリカ人男性(32歳)

物価が高くて一人暮らしができないから。

どれもシンプルで合理的な理由である。

そこには「一人暮らしをしている人間は立派である!!」とか「実家暮らしは恥ずかしい!!」というような考えは微塵もない。

よくよく考えてみると、昔の日本人は本当に独立派がマジョリティーだったのか?

農業や自営業は家族の間で事業の継承が行われることが圧倒的に多かったし、その際に住まいを分離するなどということがあったのか疑問である。

結論:自立なんか必要なくねえ?

・「家族の絆を大切にすること」と「社会保障を家族に丸投げにすること」は全く別のことである

何だか、一人暮らしの人間が「家族の大切」を力説する記事のようになってきているが、それでも私は「『家族の大切さ』を口説く説教野郎がウザい」と思うことには変わりない。

言っていることが無茶苦茶なのは自覚しているが、私は決して、学習していないのではない。

むしろ、自分が家族に支えられていたことを感じたからこそ、くどくどと「家族の大切さ」を説教する人間に対する憤りが生じるのである。

そんなに「家族の大切さ」を口説くのなら、

なぜ、エラそうに説教するだけで、それを持ち合わせていない人を助けようとしないのか?

なぜ、「自分は恵まれた人間だった」と謙虚な姿勢を持つことができないのか?

なぜ、家族に恵まれない人たちに公的なサポートを提供しようと考えないのか?

なぜ、そのような恵まれない人を見て「自己責任」だと嘲笑うことができるのか?

なぜ、彼らの苦しみに耳を傾けようとしないのか?

「家族の支え」がかけがえのないものであるなら、その支えがない人はかなりのハンディキャップを背負っていることになる。

だから、「家族の絆を大切にしよう!!」などとくだらない道徳を訴えるのではなく、きちんとした公的サービスを用意するべきだと私は思う。

(もっとも当事者がその支援を望むのかは話が別だが…)

しかし、彼らにそのような優しさがあるとは思えない。

「家族の絆を大切にしよう」

これはその支えがある人にとっては大切なことなのだろうが、それがない人にとっては残酷な言葉になる。

それに気づかない人は以前の記事で紹介した「道徳結婚バカ」と同じではないかと思う。

・今日の推薦本

最貧困女子 鈴木大介(著)幻冬舎

文の中で触れた親に虐待されたり、家族との折り合いが悪くて実家を飛び出した女性(少女)の生活を追った本。

なぜ、福祉が彼女たちを保護することが困難なのかについても考えさせられる。

データや社会問題として扱うのではなく、苦しんでいる一人ひとりと向き合っている著者の思いが伝わる良書。

人の支えを当然だと思い「自分は自助努力だけでここまで生きてきた」と思っている人に読んでもらいたい。(というよりも、読ませるべきである)

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