貧困者を救うものは何なのか?

・福祉の救済を拒む貧困者

先日、書類を整理していると、健康保険に加入した際に送られてきた書類のある文章が目に入った。

経済的な理由で支払いが困難な方は必ずご相談ください。

この文言は健康保険だけではなく、住民税や国民年金の支払い案内にも書いてある。

しかし、これに該当する人の内、一体どれだけの人が「役所に相談する」ということができるのだろうか?

日本はまがりなりにも先進国であり、基本的人権が保障されている国である。

まだまだ、社会保証制度は充実しているとは言えないかもしれないが、そもそも払う金など持っていない生活困窮者から「金が払えないなら、体か臓器を売ってでも金を作れ!!」というような剣幕で、問答無用に資産の差し押さえなどすることはなく、貧困者の救済制度もたくさんある。

役所が「これでもか!!」と言わんばかりに執拗に取り立てに来るのは、きちんと免除申請を行っていれば回避できたかもしれないものが多い。

そういった意味ではその申請を怠った本人の自業自得かもしれないが、私が気になるのは、「福祉による救済を必要とされている人たちが、その申請を行わず、逆に公的機関を敵とみなすことがある」ということである。

今日はその「福祉に救済されることを拒む貧困者」の話をしようと思う。

・国民年金と住民税の催促を完全無視

私は上京後、仕事を見つけるまでの数ヶ月間、シェアハウスに住んでいた。

その時に私と相部屋だったのがカメダ(仮名)という男性だった。

彼は私と同じ年だが、そこまで世間話をするわけではなかった。

彼が私に話してくれたことは

・日雇派遣の仕事に就いていて収入が安定していないこと。

・これまで、いくつもの仕事を転々としてきたこと。

・奨学金の返済が苦しいこと。

・実家は埼玉県の南部にあって、東京にも新宿にも電車一本で通える便利な場所であるということ。

・最近は3度の飯も満足に取ることができず、同居人から食べ残しを恵んでもらうことが本当に有難いこと。

くらいだった。(「あまり話していない」つもりだったが、こうして文字にしてみると案外多くの話をしていたのかもしれない)

ある日、私が帰宅してポストの中の郵便物を回収して、宛先ごとに仕分けていると、カメダ宛の「住民税の通知、至急開封ください」と書かれた、督促状らしき封筒があった。

ちなみに、シェアハウスに住んでいると毎月のように税金や保険料の支払い催促が来るのだが、ほとんどの宛先は知らない人である。

おそらく以前の住人が住民票を残したまま逃げ出したのだろう。

私はこの件を家主に連絡したことがあるが、「そういうことはシェアハウスでは珍しくない」と言われて、後で家主が回収して、役所にその人はもうここにはいないことを連絡することになっていた。

ただし、今回の催促は今も住んでいる人間に対してのものである。

私はそれを直接本人に渡した。

すると、彼は受け取りを拒否した。

カメダ:「捨ててください!!」

早川:「それはダメでしょう」

カメダ:「今の自分にはそんなものを払う余裕はありません」

彼はそう言って封筒を突っぱねた。

しばらくすると、今度は彼宛の国民年金の未払い通知と催促らしき封筒が届いた。

私は住民税の時と同じように彼にその通知書を渡した。

彼は前回と同じく「食うにも困る状態だから、そんなものを払う余裕はない」の一点張りだった。

私は彼に

「支払う余裕がないのなら、きちんと役所に相談に行った方がいいです。もしかしたら支払いが免除されたり猶予されたりする可能性もあります」

と諭した。

当時の私は無職で時間を持て余していた。

だから、「一人で役所に行くことが不安なら私も同行する」と伝えた。

しかし、彼は役所で免除申請を受けることを拒否した。

私は彼に「役所の世話になれない理由、たとえば人に言えないことがあるのか」を尋ねたが、彼は無言のままだった。

・水商売の女性に対して心を開く

ある日、私が深夜2時を過ぎた時間帯にトイレへ行くと、カメダがリビングのソファーで頭を抱えていた。

最近の彼は夜勤で働きに出ることが多かったので、私は「その習慣のせいで今夜は眠れないのだろうな」と思って気にも留めなかった。

その後、シェアハウスの住人であるイマイ(仮名)という女性がリビングにやって来たようだった。

ちなみに、彼女に対する他の同居人からの評判はすこぶる悪い。

彼女は他人の収納スペースを占領していたり、周りのことを考えずに強烈な臭いの料理を作ったりしていた。

それから昼間はほとんど家にて、夜な夜な濃いメイクで出かける。

同居人は「彼女はキャバクラか風俗かは知らないが夜の仕事をしている」と噂していたし(これは噂ではなく事実だった)、カメダも彼女の陰口を叩いていた。

余談だが、私はカメダと同様にイマイ宛の料金未納の通知と催促の手紙を何度も目にしていた。

そのイマイがカメダに「どうしたの? 悩みでもあるの?」と声をかけた。

彼は当初、彼女の問いかけに無言を貫いていた。

しかし、彼女はカメダのことを放っては置けないと思ったのか、「今、仕事は何をしているの?」というような雑談を始めた。

ちなみに、私の部屋はリビングの隣にあるため、そこでの会話は否が応にも聞こえてくる。

カメダは最初、彼女の問いかけに一言二言の短い返事をするだけだったが、彼女に対して心を開いたのか、次第に自分の過去を吐露した。

・彼は大学卒業後に就職するも、数ヶ月で退職して専門学校に通い、その奨学金の返済に苦しんでいること。

・専門学校を卒業した後の就職先も数ヶ月で退職したため、実家に居づらくなってシェアハウスに住んでいること。

・シェアハウスに住んでからの就職活動は上手くいっておらず、辛うじて不安定な日雇い派遣の仕事でかろうじて生計を立てていること。

・正直言って、すぐにでも実家に帰りたいが、今の自分では到底親に顔向けできないこと。

・そんな自分をとても情けなく思っていること。

・自分の過去を誰にも言えずに、常に孤独を抱えていたこと。

・最近は明日が来ることが怖くて夜も眠れないこと。

イマイは黙って彼の話を聞いた後に、一言「大変だったね」と声をかけた。

カメダは泣いていたのだろうか、鼻をすする音が聞こえて、ぎこちない返事になった。

イマイはさらに「その気持ちは分かるよ。だって私も同じだから」と言った。

何が同じなのかは私には分からない。

他の同居人の推測通り、彼女は水商売の仕事をしていて、その事を誰にも話したくなかったという意味だろうか。

イマイはカメダに「今日だけはこうしてていいよ」と優しく言った。

二人が何をしていたのかは分からない(正確に言うと「考えたくなかった」)。

しかし、カメダはそれで落ち着いたのだろう。

啜り泣きの音が次第に深呼吸のような「ハァ、ハァ」という大きな呼吸音に変わった。

それは彼が今まで一人で抱えていた苦悩をすべて吐き出しているようだった。

・どっちが正解なのかは分からない

一瞬、自分が官能小説でも書いているような気がしたが、話を戻そう。

私はカメダに「福祉の制度を利用すること」を何度も訴えて彼を救おうとしたが、全くの無力だった。

一方で、彼はイマイに対しては心を開いて、私には話さなかった自分の過去をすべて打ち明けた。

正直に言うが、私は彼女があそこまで思いやりのある人だとは思わなかった。

少なくとも、カメダは私ではなく彼女の方を「自分の味方」だと考えていた。

彼が求めていたのは福祉による救済ではなく、自分の理解者、つまり「自分の味方」だったのかもしれない。

彼の様子を見ていると(正確には「聞いていると」だが)、自分の話を聞いてもらいたくて高額の料金を払ってキャバクラに通う人や、「寂しいから」という理由で売春を行う人の気持ちが分かるような気がした。

結局は「人を救えるのは人だけ」ということだろうか。

ただし、それが正しい答えなのかは私には分からない。

事実、カメダは数ヶ月後にバックレたが、彼宛の未払い料金の催促状はその後も何度となく送られてきた。

だから、私は彼の人生がその後好転したとは思えなかった。

彼がどんな人生を送っているのかは知らないが、私は今でも「彼を無理やりにでも役所に連れていくべきだった」と思うことがある。

思い返せば、奨学金の返済も同じことだと思う。

「返済が苦しい」と言うが、(当時)20代の彼は学校を卒業してから10年も経っていないはずである。

そして、あのような貧困状態だから免除措置とまではいかなくても「支払い猶予措置」くらいは受けることができたと思う。

しかし、彼はその申請もしていないようだった。

彼がなぜそんなに福祉による救済を拒むのかは分からない。

無知なのか?

すでに滞納しているため、今さら助けを請うことができないと思っているのか?

「真面目に人生を送らないとダメだよ」と説教されるのが嫌なのか?

かつて生活が切羽詰まって生活保護の申請に行ったが、冷たく断られた経験でもあるのか?

分かっていることは、彼は役所のことを「自分を救済してくれる福祉機関ではなく、自分の生活をさらに苦しめる存在、いわば取り立て屋」だと思っていたこと。

それから彼は真面目過ぎたと思う。

彼は大学と専門学校を卒業した後の就職先を数ヶ月で退職したことを正直に履歴書を書いていた。

それを見た同居人Cはその職歴を「正社員ではなくアルバイトとして働いたことにしたらどうか?」と提案していたが、彼はそれを拒否した。

ちなみにCは初めて私とあった時点で20近くの職場を転々としていた人間だが、職歴を巧みにアレンジして平然と好条件の仕事を得ていた。

カメダにも同じくらいの神経の太さがあれば、福祉制度を上手く味方につけることができたかもしれない。

話を戻すが、少なくとも、私は福祉の力で彼を救うことはできないと思った。

そして、不安に押しつぶされ、絶望に満ちていたカメダを救ったのはイマイの優しさだった。

それは事実である。

それが無ければ、もっと酷いことになっていたかもしれない。

人を救うのは社会福祉なのか?

それとも、人の優しさなのか?

私は今もその答えを見つけることができない。