新入社員に優しく仕事を教えることは本人ではなく会社のためである

今日は新入社員に関する仕事ネタである。

この記事は新入社員に仕事を教えている人に読んでもらいたいと思って書いたもので、当初は4月の中旬に公開する予定だった。

しかし、コロナウィルスに対する緊急事態宣言の影響で多くの会社が新人研修を4月には行わない可能性が高いと予期して、多くの会社が研修を実施するであろう時期まで待ってから公開することにした。

・イライラを他人にぶつけても得になることは何もない

新入社員に仕事を教えていると、彼らが慣れない仕事に四苦八苦している様子を見てイライラすることがある。

たとえ致命的なミスを犯した場合でなくても、彼らが始業時間ギリギリに出社したり、休憩時間や勤務時間終了後に「何かすることはありますか?」という自発的な見せない場合には小言の一つでも言いたくなる。

しかし、その怒りを彼らにぶつけても得になることなど何もない。

自分が新人だった時のことを思い出してほしい。

上司や先輩から理不尽に怒鳴られたり、罵られたりして、「もっとしっかりしなきゃ!!」などと前向きな気持ちになったことなどあるだろうか?

大半の人はその時の怒りや屈辱だけを感じて、今でもその恨みを忘れることができないのではないだろうか?

忘れることができないだけならまだマシである。

無意識の内にその時の屈辱を封印しつつ、自分が地位と権力を手に入れたら、かつての自分と同じ立場の人物に、自分がやられたことと同じことを行って、過去の経験を癒そうとする最低な人間もいる。

始めたばかりの頃は時間がかかるかもしれないが、大半の仕事は慣れだけで解決するものである。

・「仏」と呼ばれた正社員の本音

当たり前だが、新入社員は知らないことだらけであるため、次から次に質問をしてくる。

私が以前働いていた職場にオカダ(仮名)という名前の先輩社員がいた。

彼は「仏のオカダさん」と呼ばれるくらい、何があっても同僚や部下に怒りをぶつけることはなく、誰に対しても低姿勢を貫いていた。

その職場は土日祝日も関係なく営業している会社だったが、管理も教育もかなりいい加減だったため、作業マニュアルなど存在せず、情報の共有ができていないことが多かった。

それに加えて、働く人もあまりやる気がない。

分からないことでも、確認せずに曖昧なまま我流で進める人が多く、休日明けに「昨日何か作業工程の変更などありませんでしたか?」などと自分から質問する人などまずいない。

珍しく真面目に分からないことを質問したかと思えば、横で話を聞いていた私が「え!? 今さらそんなこと聞く!?」と驚くような単純で初歩的な質問ばかりだった。

そんな職場だったが、彼はどんな質問に対しても嫌な顔一つせず丁寧に答えていた。

彼と二人で残業することになった日、私は彼にその話をすることにした。

早川:「オカダさんも大変ですね。こんないい加減な会社で上からも下からも面倒ごとばかり押し付けられて」

オカダ:「まあ、仕事ですから」

早川:「みんな言っていますよ。オカダさんはどんなことでも嫌な顔一つせずに答えてくれるからとても頼りになると。僕が同じ立場だったら『あんた、そんなことも知らなかったのか!?』と言ってしまうかもしれません」

オカダ:「僕もそう思う時はありますけど、変にプレッシャーを与えて『質問したいけど、聞けない』と思われることの方が仕事の効率が落ちるし、最悪、隠蔽のような不祥事につながることになるので、そこは我慢ですよ。それができなければ信頼関係なんて築けませんから」

当時20代前半で経験の浅かった私は理解できなかった。

彼の言葉の意味も、分からないことを何不自由なく質問できる関係がいかに恵まれているものであるかということも。

いや、仕事で分からないことがあれば、質問することが当たり前であり、そこにプレッシャーも何もないだろう?

それに、職場は友達を作るための場所ではなく、各々がお金のためだけに集う場所であって、所詮はお金を媒介して支配・服従する関係に過ぎない。

その間柄に信頼なんて必要ないはずである。

・人に聞く前に自分で調べろ!!

時は流れてオカダとの会話から数年が経過した。

その間に私はいくつもの職場を転々としてきた。

そこで感じたのは、世の中の職場は知らないことを上司や同僚に気軽に質問できるようなところばかりではないということだった。

前回の記事で紹介した、Excelの計算式を誤って消してしまった新入社員の例など典型である。

支払伝票の計算式は重要かつ複雑なものであり、下手に弄るとかえって泥沼化する可能性がある。

彼もそれを理解していたからこそ、上司の指示を仰いだのだろう。

そんな時に「すぐに人に聞くなよ!! それくらい自分で調べればいいだろ!!」と罵倒されたのだから、彼はショックを受けたに違いない。

その後の彼は自信をなくしたのか、明らかに上司を避けているように見えた。

彼に質問したくないためか、分からないことを派遣社員の私に聞きに来ることもあった。

私は自分が知っていることは教えたが、知らないことは「すいません。それは私は把握していないので○○さんに聞いてください」と答えるしかなかった。

その類の回答で「上司に聞いてください」と言った時の彼の絶望的な顔が今も忘れられない。

「分からないことは自分で判断せずに、必ず上司に報告して支持を仰げ」などと言っているにもかかわらず、その舌の根も乾かぬうちに「それくらい自分で調べろ!!」「普通に考えて分かるでしょ!?」などとバカにされた態度を取られたら、「この人とは関わり合いになりたくない」と思って避けようとすることは容易に想像できる。

そして、その結果、本当に重要なこともあえて気付かないふりをして、後々面倒な問題が起こるであろうことも。

このような職場を経験するまで分からなかったが、分からないことを気軽に上司や同僚に質問できることは当たり前ではなく、とても恵まれた環境だったのである。

・組織は非公式の力で動いている

さて、多くの会社は新人研修で「分からないことは自分で判断せずに、必ず上司に確認して指示を仰げ」と口酸っぱく教育していると思う。

逆にそれを怠ると大きなトラブルに発展する危険があるし、分からないことを一人で延々と悩んでいても時間の無駄であり、その結果、別の仕事ができなくなるという機会ロスが生じる。

分からないことを一人で抱えても百害あって一利なしである。

「分からないことは必ず上司に確認する」というのは規則、統制、常識、効率性といったあらゆる観点から、そうするように圧力がかけられている。

言い換えれば、あえてそうしない理由がない。

しかし、組織内の人間は必ずしもこのような表立った公式な圧力で動いているとは限らない。

たとえば、先ほどの例のように上司に報告、確認を行う度に

「前にも同じことを言っただろ!!」

「そんなこと聞かなくても分かるだろ!!」

「人に聞く前に自分で調べろ!!」

とギャーギャー騒ぎながら悪態をつく人物だったとする。

すると、このバカ上司の部下は

「分からないことがあるけど、あの上司に聞いたらまた怒られる…」

と上司の仕打ちを恐れて、そこに「確認を行わない」という非公式な圧力が生じる。

公式の圧力だけであれば、

「確認する or 確認を怠って後々大目玉を喰らう」

の二者択一になるはずだが、「上司に確認すると怒られる」という非公式な圧力が生まれることによって、「上司に確認するか?」の判断基準が

「確認して上司に悪態をつかれる or 悪態を避けるために見て見ぬフリをする」

に成り代わる。

確認を怠って重大事故を起こしてしまう人も、大半はいい加減な人なのではなく、このような別の何かに怯えた結果、大きな失態を犯してしまったのではないだろうか。

・質問をされることは信頼されている証

私が働き始めたのは10年以上前になるが、その頃のオジサンたちの愚痴は「近頃の新入社員は分からないことがあっても全然質問に来ない!!」という指示待ち人間批判が多かった。

しかし、最近はそれもダメで、

「近頃の若い奴らは何でもすぐに人に聞きたがる!!」

「何で人に聞く前に自分で調べようとしないのか!?」

という憤りが多い気がする。

ますます生きづらい世の中になったと思う。

調べろと言っても「分からんもんは分からん」のである。

それなのに一人でしどろもどろするのは時間の無駄であり、それこそ給料泥棒に値する。

そんなことを推奨する人はきっとライバル会社のスパイなのでしょうねえ。

「分からないことを聞くことが悪いのではない。まずは自分で調べようとする姿勢を見せないことが問題だ」とかほざいているアンポンタンもいるが、なぜそんなバカ一人を気持ちよくさせるために莫大な時間を浪費させないといけないのか?

そのような相手の顔色をうかがうことがコミュニケーション能力だというのであればお笑いである。

逆に分からないことは気軽に確認できることこそが「円滑なコミュニケーションが取れている」と言えるのではないだろうか?

その方が人の顔色を窺って仕事をするよりも、はるかに働きやすいだろうし、重大なミスを起こしたり、その隠蔽工作を行って会社が立ち直れないほどのダメージを受けることを阻止できる。

それがあの時、オカダが言っていた「信頼関係」という言葉の意味だったのだろう。

「情けは人のためならず」という言葉がある。

少なからず誤解している人もいるが、この言葉は決して、「人に情けをかけることは本人のためにならないから、あえて厳しく突き放すことも必要だ」という意味ではない。

正しくは「人に情けをかけることは、巡り巡っていつかは自分にとって良い報いが来る」という意味である。

https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_03/series_08/series_08.html

この言葉が表しているように、新入社員に優しく仕事を教えることは決して、本人を甘やかすのではなく、それは巡り巡って会社や自分の利益になることに繋がるのである。