英語の勉強法で「とにかくネイティブスピーカーの喋り方を真似ろ!!」と主張する人がいる。
私はそのような勉強法を実践したことはない。
なぜか?
それは、この主張をする人たちが勧める勉強法とは大概「CDの音声を何百回も聞いて真似ろ!!」とか「日本語で考えずに英語で考えろ!!」という精神論的なものだったので、バカらしくて従う気にはなれなかったからである。
もちろん、英語の発音やイントネーションを覚えることは大切なのだが、何も考えずにただ真似だけをして何が生まれるというのだろうか?
はっきり言って、全く意味のない無駄な勉強としか思えなかった。
しかし、この考えに一石投じる出来事があった。
きっかけは、一緒に働いていた同僚から、かつて、同じ職場で働いていた中国人の話し方を真似ることで中国語を身に着けたという話を聞いたことである。
だが、同時に、それは学習そのものを完全に断つことになってしまう危険性も孕んでいることを知った。
今日はその話をしたいと思う。
・憧れの先輩は日本語が苦手な中国人
その同僚はアキヤマ(仮名)という名前で、私と年が近い男性だった。
彼は私と同じく学校を卒業してから独学で英語の勉強を始めていた。
英語関係の資格は英検2級とTOEICが800数点(私はTOEICに関心がないため、細かい点数は憶えていない)。
しかし、彼には私と決定的に異なる経歴があった。
それは、彼は英語の勉強を始める前に1年ほど中国語の勉強をしていたことである。
その後に、英語の勉強を5年以上続けている。
そして、最近になって、数年ぶりに中国語の勉強を再開したらしい。
彼が中国語を学び始めた動機は、尊敬する職場の先輩が中国人だったからである。
その時の職場は彼にとって居心地のいい場所ではなかった。
日頃から上司の罵声が飛び、彼らの気分次第で仕事内容も毎日のように変わる。
分からないことを聞けば、「それくらい自分で考えろ!!」
彼が自分で考えてやったことが気に召されなければ、「勝手なことをするな!!」
というダブルバインドで締められる最悪な職場だったそうである。
そんな環境で、いつも彼を助けてくれたのが中国人の先輩だった。
その先輩は仕事の指示のような簡単な日本語は話すことができたが、日常会話に不自由しないほど堪能だったわけではなかった。
同僚である別の中国人とは中国語で楽しく会話をしていたが、彼とは日本語で仕事以外の話をすることはなかった。
それでも、その先輩はいつも彼のことを守ってくれた。
彼はその先輩に憧れ、もっと仲良くなりたいと思った。
そして、中国語を独学で学ぶことを決めた。
・憧れの人を真似ることが上達への近道?
中国語は発音がとても難しい。
そして、日本語で書いたら
・シュー
・ジャー
・ユー
というような特定の音を何でも目にする。
しかし、日本語ではすべて同じに見える(聞こえる)音でもイントネーションや日本語では表現できない発音の違いで意味が全く異なることがある。
日本人の彼が独学でその違いを身に着けることは困難なのではないか?
そのことを彼に聞いてみた。
アキヤマ:
僕が中国語を覚えようと思ったきっかけは中国人の先輩に憧れていたからです。
そして、その人が話す中国語を毎日職場で耳にしていました。
僕は無意識の内にその人の口調やイントネーションを真似していたので、まるで自分も中国人になって、細かい違いが理解できているような気がしました。
あの時は毎日中国語の勉強をするのが楽しかったです。
少しずつだけど、憧れの人に近づいている気がして。
言葉だけでなく、中国語の鼻歌まで真似していました。
これは大変興味深い話である。
私が「とにかくネイティブスピーカーの真似をして覚えろ!!」という主張はバカバカしくて従う気になれないと考えていたのは冒頭で述べた通りだが、彼のように「この人のようになりたい!!」と思うほど憧れている人が近くにいて、その人を真似て覚えるという方法は上達への近道といっても間違いではないかもしれない。
それに毎日の勉強が楽しそうで、長続きしそうである。
・突然の別れにショックを受けて封印する
アキヤマは猛勉強した結果、憧れだった先輩と中国語で会話ができるようになった。
そして、先輩との距離がどんどん近くなっていくことを感じた。
しかし、彼が中国語の勉強を始めてから1年後、悲劇が起こる。
憧れだった先輩は結婚して中国へ帰ることになり、彼の職場を去ることになった。
彼はショックだった。
それ以来、中国語の勉強に身が入らなくなり、中国語は封印することにした。
…って、さすがにそれは大げさではないか?
ずっと背中を追いかけていた憧れの先輩が目の前からいなくなりショックを受けることは理解できるが、だからと言って、今まで頑張って勉強してきた中国語の一切を放棄する必要があるのか?
私はその点を彼に指摘してみた。
アキヤマ:
もしも、その先輩が同性だったら、僕もそこまで思い詰めることはなかったのかもしれません。
え!?
この発言を聞いた時、私は初めて彼が憧れていた先輩が女性だったことを知った。
ということは、(これは私の勝手な推測だが)その彼の彼女に対する感情は職場の先輩としての憧れというよりも恋愛感情だったのかもしれない。
彼はさらにこのように続けた。
アキヤマ:
先ほども説明した通り、僕が話す中国語はその先輩の喋り方を真似して身に着けたものでした。
だから、彼女がいなくなった後も、彼女を真似た中国語が口に出てしまい、その度に彼女のことが頭に浮かんでつらい気持ちになってしまいました。
もちろん、僕と彼女は付き合っていたわけではありません。
僕が一方的に彼女に対して特別な気持ちを持っていた(=片思いしていた)だけでした。
だけど、当時22歳だった僕は彼女がいなくなったショックに耐えられず、中国語から逃げるように英語の勉強へ移りました。
それ以来、中国の人と話す機会があっても中国語ではなく英語で話すようになりました。
・今の自分は当時の彼女の年齢を超えていた
随分と辛いことを思い出させてしまった。
先ほど、私は身近なネイティブスピーカーの真似をすることが上達への近道である気がすると言った。
しかし、それは諸刃の剣のようである。
彼のように、身近にいる憧れのネイティブスピーカーの真似をすると、一気に外国語の学習が進むかもしれないが、憧れの人が目の前からいなくなるという本人にはどうすることもできない要因で、学習動機が完全に喪失してしまうこともある。
最後に気になることを聞いてみた。
憧れの先輩がいなくなったことで、数年間封印していた中国語をなぜ今になって再開することにしたのか?
アキヤマ:
一つ目の理由は英語の勉強を5年以上続けているので段々と飽きてきたからです。
TOEICも人に見せても恥ずかしくないスコアを取得したから、「そろそろ英語もこの辺りでいいかな」と思うようになりました。
そして、僕も29歳になり、気が付いたら、あの時憧れていた先輩の年齢(当時26歳)を超えたことで、次第に気持ちの整理ができるようになりました。
僕も、いつまでも、あの時の思いに囚われるのではなく、変わらないといけない。
きっと、その方が彼女も喜んでくれるはずです。
今はあの時のようなワクワクした気持ちがあるわけではないけれど、それでも少しずつ前に進んでいこうと思います。
彼女と会うことは二度とないと思いますが、もし再会することができたら、その時に恥ずかしくない人間になっていたいという目標もあります。
語学のことではなく、一人の人間として、あの時輝いていた先輩に近づけたのだろうか…
きっと彼はそんなことを思いながら、新たなスタートを切ったのだろう。